「あこがれ」  石崎徹

 あこがれ  石崎徹

 出身地をきかれると、ややこしいので福山と答える。事実、少年時代のほとんどを福山で過ごした。でも最初の記憶は十日町なのだ。そこに何年いたのか、いまではわからない。両親にはきかずにしまったし、姉にきいてもはっきりしない。
 少なくとも二冬は過ごしたはずだ。というのは異なる家での冬の記憶があるから。
 ひとつめは中心市街地からさほど離れていなかっただろう、ちょっとした川のかたわら。凍りついた川の上で年嵩の子供たちがはしゃぎまわり、屋根の上ではおじさんたちが背丈より高い雪をおろしている。川向こうにはスコップをふるってかまくらを作るお兄ちゃんたち。
 そんな日々の暮方、姉とふたり、かまくらに招待された。古い座敷を通り抜けて裏庭に出ると、雪の小山が小さな口を開いている。その秘密めかした狭い穴倉には子供たちだけ。中央には火鉢。餅を焼き、みかんを食べ、やがてゲームが始まる。……
 ふたつめは明らかに別の冬だ。農村地帯で、家は道路に面した高台にあった。道路の向こうは畑からなだらかに山につながっていく。冬が来ると、雪は建物の一階部分を埋めつくし、出入りには雪の壁に挟まれた小道を通る。軒には長く太く鋭いつららの隊列。窓には雪の結晶。父は簡単な箱橇を作って、道路向こうの山で滑らせてくれ、母は雪を利用してアイスクリームを作った。
 長い冬ごもりのあとで、やがて雪が融ける。すると顔を出した何もない土の上からいっせいに新芽が噴き出し、山も野も道もすべてがみるみる緑で埋めつくされていく。この冬から春への鮮やかな変貌は、子供心にはっきりとした印象を刻みつけた。
 入学して最初の夏休み。校庭の木陰にござを敷いて車座になり、上級生たちに教わりながら宿題をやる。木陰を抜ける風の涼しさ。蝉の声。別の日には、みんなで稲をわけいってイナゴを取り集め、その山のようなイナゴを校庭で焼いて食べる。……
 そこで十日町時代が唐突に終わった。二学期には福山にいた。
 新しい街がそんなに不満だったわけではない。言葉はよく理解できなかったが、ぼくはもともとお喋りではない。でもたとえばあそこでは石ころはどこにでも転がっていたのに、ここではそれが必要なとき探すのに苦労する。そして何年か過ごしたのち、ここには冬らしい冬がなく、春らしい春がないことに気づいた。
 そのときぼくに、十日町への憧れがはじまったのだ。
 ぼくはことあるごとに十日町の冬を思い、十日町の春を思い、十日町の夏を思った。……
 十八で出生地の大学へ入った。出生地とはいってもぼくには記憶がなかった。小学校を終えるころ、まだその地に住んでいた祖母宅で休暇を過ごした経験だけ。
 新しい街は福山よりは居心地がよかった。とうとうなじめなかった福山言葉も、ここまでは追いかけてこなかった。
 だが、十二三の頃から屈折してしまったぼくの心は、ますます空虚になっていくばかりで、住む街を変えても直るわけではなかった。
 のちにぼくの妻になった女性に、ぼくは何度も十日町の話をしたにちがいない。とうとう彼女が言った。「じゃ、そこへ行ってみようか」
 そのとき初めてぼくは「そこへ行く」こともできるのだということに気づいた。
 真冬の夜、ぼくたちは出発した。そのとき雪はまだ降ってなかった。汽車は琵琶湖の東を通って日本海に抜け、途中のどこかで雪が降り始め、やがて立ち往生して小さな駅に止まった。ぼくらは喜んで汽車を降り、雪の積もったせまい短い駅前通りを歩きまわった。
 翌日、十日町に着いた。雪はすでにやんでいたが、家々の屋根には大人の背丈を超える雪が積もり、街路樹も道路も、小さな街全体が真っ白で、陽を浴びてピカピカ光っていた。「お伽噺のような街ね」と彼女が言った。
 ぼくらは歩いた。どこまでも歩いた。いつしか「お伽噺のような」街を出外れ、道なき新雪を踏み、雪をかぶった木々の間を抜け、山の方へと登っていった。ふりかえると、ぼくらのブーツの跡だけが、長い列となっていた。
 ぼくらは満足して帰ってきた。……
 何年か経ってふと気づいた。あれほど憧れていた十日町のことをもうずいぶん思い出していない。考えてみると、十日町を訪れたあの日からなのだ。ぼくはもう一度その街のことを思い出してみようとした。彼女と行った日のことはそれでもまだ残っている。だが、遠い幼いころの十日町は消えてしまっていた。
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