青木資二「ステップ」  石崎徹

 青木資二「ステップ」  石崎徹

 残念ながらこの作品には最後まで入りこめなかった。これでは小説ではなく作文であろう。
 漫画的なパワハラに終始する女性校長、もちろんどこにでもいる。それに対して、40才の早苗は、20年近くも小学校教員を務めてきながら、内向的な性格でいっさい反抗できずに泣きべそをかくだけである。もちろんそういう女性だっているだろう。その設定自体に文句をつけようとは思わない。問題はこれをどういう絵に描くかである。
 客観的にこの図を頭に思い描いたら、喜劇にしかならないに決まっている。校長も滑稽だし、被害女性も、本人には気の毒だが、外から眺めれば滑稽である。問題をどう扱うにしろ、漫画的な事態はまず漫画的に描写するしかないではないか。見たままを書こうとすればそうなるはずだ。それがリアリズムというものだろう。
 ところが作者は実に暗鬱な一本調子に終始するのである。悲劇にしてしまうのだ。もちろん被害者本人にとっては悲劇である。だが作者が完全にそれによりそう、どころか早苗になりきって書いていくのでは読者はおいていかれる。
 普通の読者ではとてもこの作品に入りこむことはできない。よほど作者によりそってあげる読者だけだろう。
 ここでも田島作品と同じ指摘をせねばならない。作者が三人称主人公と一体化しては小説ではない。作文なのだ。
 これはパターン小説(類型小説)の典型である。どの人物も類型を出ていない。生きた人間は一人もいない。
 校長のパワハラの原因をわからないでいながら(わからないなら分からないままでいいのだ)根拠もなく競争社会のせいとこじつけても説得力はまるでない。
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