笹本敦史 「わだかまる」を読む  鬼藤千春

 「わだかまる」 (笹本敦史 まがね54号)を読む   鬼藤千春

 父を殺したのは母なのか、姉なのか。それとも事故だったのか? その真相は定かではない。だから「わだかまる」という題名になっている。「わだかまる」を辞書でひけば、「不満・不信などの感情が心の中にたまって、さっぱりとしない」とある。
 この物語の発端は母からの電話である。
「お父さんが死んだよ」母の声だった。
「死んだんだよ。階段から落ちて」
「どうして階段から……」と私。
「私が殺したんだよ」と母。
 こうして物語は始まる。
 父は高校で倫理社会などを教える教師だった。地域では知性的な人格者として振舞っていた。が、彼は「若いころ飲み屋の女と浮気したり、酒を飲んでの暴言、暴力。そして兄が自殺した原因が父にあると言っていたこと」などの性向があった。特に母に対しては、「殴る、蹴る、髪の毛を引っ張って引きずるなど常軌を逸した暴力が何度も繰り返された」
 母は認知症を患っている。「たまには徘徊しているところを町内の人が保護したりしたことはあった」
 母は「自分が階段から突き落とした」というけれど、隣の陽子は、私の姉の景子が実家に帰っているときに「父の死」が起きたと言った。が、陽子は「あっ、そうか。景子ちゃんの車が来てたのは前の日か」と言い直した。このあたりも、判然としない。
 父の暴力は死の直前まで続いていたようだ。「亡くなった人の悪口を言うのは心苦しいんだけど、お父さんの怒鳴り声がしょっちゅう聞こえて、その方が迷惑だったの。あれじゃ奥さんがかわいそうだってみんな言ってたぐらいよ。景子ちゃんもそれを心配して来てたんじゃないかなあ」と陽子さんは囁いた。
「姉が来てた時はどうでした? 事故の前の日とか」私は訊いた。
「聞こえてたわ。景子ちゃんでも抑えきれないんでしょうね」
 陽子さんの言葉である。
 この物語で作者は何を語ろうとしたのだろうか。
 「私が生まれ育った家」を語りたかったのではないのだろうか。
 「天井裏に大きな蛇がいる」という母。その頃から母の精神は病んでいたのかも知れない、と私は思う。そして、兄の自殺。それも母がいうには「あの人(父)が殺した」という。さらに母の認知症。父の浮気、飲酒、暴力、暴言があった。「私にとって、生まれ育った家の思い出は暗く重苦しいものでしかない」
 「何を、どのように書くか」というのは、私たちがいつも心得ていなければならないものである。作者は「暗く重苦しい家の在りよう」を「ミステリアスの手法」で、追求しようとしたに違いない。
 この作品は、スリリングで読み手を小説世界にいざなう。その巧みな筆力は見事である。が、たしかに魅力的な小説には違いないが、「文学とは何か、小説とは何か」を自問する時、その本質に迫り切れていないように思う。私たち読者が、文学に求めるのは「人生とは何か、生きるとは何か」ではないのだろうか。果たして「ミステリアスの手法」は成功したといえるだろうか。
スポンサーサイト

コメント


管理者のみに表示

トラックバック