妹尾倫良 「カワセミ」を読む  鬼藤千春

「カワセミ」(妹尾倫良 まがね54号)を読む    鬼藤千春          

「お姉さん」と呼ばれる女性が、町内会の会費の集金に行って物語は始まる。物語といっても、エリカの「ひとり語り」である。
 エリカは今、35歳である。彼女は病院通いをして働けないので、生活保護を受けながら、アパートでテレビを観ながら退屈な日々を送っている。
 エリカは、いままでの人生を「問わず語り」で振り返ってゆく。彼女は高校の時、妊娠をして学校を中退した。結婚はしなかったけれども、17歳の時、女の子を産んで自分で育てている。と、いっても、田舎の母が育てエリカは金を送っていただけだ。子どもを育てるために、収入のいいピンクサロンで働くようになった。
 彼女は、高校の時の男、ピンクサロン時代に「大人しい公務員の彼」、そして、征夫という男という風に男性遍歴を経てきている。
 征夫は製紙工場に勤めていたが、今は代行運転の仕事をしている。彼とはピンクサロンの時代に出会って恋に落ちた。しかし、エリカが病気で入院している時、征夫はエリカのコーポから「テレビや冷蔵庫、洗濯機やベッド、羽根布団や毛皮のコート、洋服ダンスや金のネックレス」など、全部持ち出して、売り飛ばしてしまった。そんな男である。
 これがエリカの人生である。悲惨な人生だ。「ひとり語り」であるが、エリカの人物像はよく描かれている。エリカの人生の断面を切り取って提示している作品である。「何を書くか、どのように書くか」を考えてみると、「ひとりの女の生きざまを書く」というモチーフがあり、「ひとり語り」という手法に作者は挑戦している。が、この小説には何かが足りない。「文学とは何か、小説とは何か」を考える時、この小説は風俗を描いているが、その域を越えるまでにいたっていない。読者はそれを越えてほしいのだ。その先にある世界を読者は見たいのである。それが小説世界というものだ。
 ただ、最後の中学時代の夢か回想か、あの場面は生きている。カワセミの美しさ、生命の勢いというものを、中学生のエリカは真っ直ぐに受けとめて、将来への希望を見出している。今の自分との落差を象徴的に描いている。
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