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「桜雨」 鬼藤千春

桜雨  鬼藤千春

 法廷は静まり返っていた。いよいよ判決が言い渡されるのだ。原告席に座っている耕治は、喉が渇いて、脇の下から冷や汗が落ちるのを感じていた。
 耕治は裁判長をじっと見つめていたが、靄がかかったように、ぼうっとかすんでいた。裁判を起してちょうど四年である。いろんなことが、走馬灯のように駆け巡っていった。
 大手自動車メーカーから、派遣切りをされたのは年末だった。宿舎を明け渡すように言われ、寒空にまるでモノのように投げ出された。耕治は途方に暮れた。たいした蓄えはなく、下手をすれば路上生活者になりかねなかった。
 耕治は当面の生活のために、父の年金に頼らざるをえなかった。四十歳を超えた男が、父の僅かな年金を、宛てにすることに耐えられなかった。悔しくて、悔しくて、恥辱に身を焼く思いだった。
 たった一枚の紙切れで、労働者をクビにするというは、受け入れ難かった。耕治はこの職場で五年三カ月働いてきた。労働者派遣法では、三年を超えて働かせる場合には、雇用契約の申し込みをする必要がある。
 が、このメーカーは、三年が経過する直前に、「サポート社員」として、三カ月と一日だけ直接雇用とした。そして、また派遣社員に戻すのである。これが、この裁判の大きな争点であった。
 耕治は、トランスミッション関連の職場に配属されていた。彼はモノづくりの喜び、愉しさを、次第に味わうことが出来るようになっていた。その労働者としての誇りを、傷つけられたのである。
 彼は他の派遣で働きながら、この四年間の日々を生きてきた。が、月十万ほどの収入だったから、不足分は生活保護を受給して、しのいできた。
 裁判をたたかうなかで、いろんな支援が広がってきた。労働組合はもちろん、名も無き人々から、声が掛けられた。
「ねえ、うちに空き家があるから、誰か使ってちょうだい」
 六十代に見える婦人からの申し出だった。
 駅前で裁判支援の訴えと、署名のお願いをしている時に、駆け寄ってきて、微笑みかけてくれたのだった。
 もう一人は、年配の紳士だった。
「うちには、みかん農園があるんだが、それを譲るから、自由にして貰っていいよ」
 紳士は署名簿に記入して、握手を求めてきた。
 婦人の空き家には、原告の二人がアパートを引き払って移り住んだ。年末にはみかん農園に入り、収穫をして原告団十五名の家に、みかんと餅を届けた。正月用の格好の贈り物となった。
 裁判長がゆっくりと、判決文を読み始めた。
「原告○○、同○○、同○○……および同○○」と、十三名の原告の名前が読み上げられた。その後、
「被告に対し、被告正社員としての労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する」
 裁判長はたんたんと、判決文を読み上げた。
 耕治はその文面が、何を言っているのか理解できないでいた。それは耕治だけでなく、他の原告も傍聴者も同じであった。法廷は一瞬、海の底のように暗く静かになった。
 が、原告側の席に座っていた、国会でもこの問題を取り上げて追及した弁護士が、
「よしっ!」
 と、力強い声で叫んだ。
 それでやっと、原告や傍聴席の人が、この裁判は原告側の勝利だということが、理解できたのだった。
 閉廷直後、傍聴席から、
「よっしゃー!」
 という、歓声と拍手が沸き上がった。
 大手自動車メーカー側の弁護士が、憮然とした表情で、法廷を出ていく姿が印象的だった。派遣十三名が正社員と認定されたのだ。
 裁判所前には、傍聴席に入りきれなかった、支持者の人々が待っていた。傍聴席の支持者が、「勝訴」という紙片を掲げて仲間のところに駆け寄って行った。「勝訴」という字は、骨太で力強く刻まれていた。
 原告十五名、支持者たちは、お互いに肩を抱き合い、叩き合って、勝利の感触を確かめ合っていた。原告団はじめ、支持者の多くの人々は、眼を紅く染めていた。ただ、二名は「サポート社員」の経験がなかったため、残念ながら認定はされなかった。
 耕治は、これで四年間の苦労が報われた想いがした。が、相手もしたたかだから、控訴の可能性は十分考えられる。しかし、今日は、今日だけは、この勝利に酔ってもいいように思った。それに自身の身を委ねたい想いだった。
「桜雨!」
 誰かが、そう叫んだ。
 福岡では、今日桜の開花宣言がなされたのだ。そして、雨である。
 銀色の雨は、糸を引いて静かに降っていた。
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