「小岩井にて」  石崎明子

 小岩井にて  石崎明子

きのう頂を雲にかくし
神の不可知を語った岩手山が
今朝秋空に凛と立ち
彫りの深い顔立ちでじっとわたしを見つめる
神は死んだとニーチェは云ったが
それならこうして畏敬の念に打たれ
知らず知らず合掌し祈る私は何だろう
自然の侵すことのできない美しさは
ときに神ととても近い
岩手の人は朝な夕な
岩手山に祈るのだという――

踏みしめた足が冷たい
霜のおりた草々が
靴をすっかりぬらしてしまった
冷たい空気を深くすいこみ
肺に爽やかな風をおこす
むこうが盗人森 あっちが狼森
こっちは黒坂森
森の名前をつぶやきながら
両手を広げてくるくる踊ってみる
四方を森にかこまれた野っ原は
朝露が輝いてまるで千粒のダイヤをぶちまけたよう
ふと立ち止まり考える それではこの中に
本当のダイヤが交じっていたら?
今 目を射たひときわ鋭いあの輝きが
それだったなら?
スカートをひるがえして走りより
悄然と立ちあがる
もちろんそんなわけはないのだ
だが もしかしたら
こんなことがあったのかもしれない
その昔農場の監査に来たお役人が
奥方と朝の散歩をなさっているとき
いつのまにか白魚のような奥方の指先から
きらめくダイヤの指輪がすべりおちたのだ
男も女も職員総出でさがしたけれど
みつかったという声にかけよれば
そこには朝日に輝く白露ばかり
とうとうあきらめて
泣く泣く東京へ帰ったと
だからこの野っ原のどこかには
今でも失われたダイヤが眠っているのだ
ほら あのひと群れのすすきのわきで
今 光ったあれがそうではないかしら
いやおまえさんの足下に
そら 落ちているではないか
いつしか私は聞こえぬ声を必死で聞いて
きまぐれな蝶々のように草原を走っていた
はっとわれにかえり腕時計を見る
すると奥方のダイヤはまたたくまに光を失い
腹を空かせた私はうれしそうにはねて
宿舎へともどるのだ

  宮沢賢治「冬と銀河ステーション」から
      (1996年)
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