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「無念石」  三浦協子

 無念石  三浦協子

 Sさんの家に石をもらいに行くことになったのは、総務部長が町長に話しをしたのがきっかけだ。福島の原発事故以来、近隣に原発を抱えた町村では、万一のことがあった場合を恐れ、安全審査の徹底や新規着工や再稼動の見直し等を県に意見するなどするようになった。町民から直接問い合わせや陳情が多く出るようになったことが大きいが、被災して逃げ惑う人々を実際に見て、隣町に原発のあるうちの町長も変わったのだ。そこそこに再稼動されて、もしものとき、風がこっちに吹かれたのではたまらないから、と町長は言うのだった。「やるなとまでは言わないが、とにかく、安全にしといてもらわないと」
 このままでは我々は交付金や寄付金がもらえないばかりか、被害だけをもらうことになるぞという、いささか被害妄想めいた町民からの苦情も、事故の影響が甚大で無視もできない数でもあることから、とにかく、形だけでも町は原発には慎重であるよと意思表示しておくことは重要だ、と言うので、町長は、役場の入り口に何かそれらしいものを置いたり何か貼るなどしてアピールができないか、と総務部長にもちかけた。言われた総務部長は、あれこれ考えるうち、自身の家の近くに、遠方の原発に反対する裁判に、わざわざ原告として加わって、その裁判に負けて自身の庭に石碑を建てたという変わった人物が住んでいることを思い出し、それを町長に告げたのだった。
 Sさんの家には、総務部長とわたしが行ったのだ。敷地の広い豊かな農家で、ほら、あれだよ、と総務部長が指をさす先には、ひとかかえほどもある石がごろん、というように置かれていた。石には、なんと「無念」という文字が堂々と彫られていて、わたしは、その丸い大きな石をつくづく見ながら、勝てる見込みのない、しかも他人の県の原発裁判に目をつりあげて加わって、闘った挙句敗訴して、石を抱えひとり悔しさを噛み締めるという老人の姿をリアルに思い浮かべ、そのあまりのわかりやすさに、思わず親しみを覚えたのである。
Sさんの家では息子夫妻が迎えてくれて、けげんな顔はしていたものの、石の譲渡にはこだわることはなかった。くだんの裁判老人は、一昨年既に亡くなっていた。
「いいですよ。そうしてもらえるんだば。親父も喜ぶでしょう」
金は要らない、石は寄附するから、と息子さんが言うので、部長とわたしは丁重に礼を述べ、石をいただく日どりを決めてその日は帰ったのである。石は、数日後、無事役場の玄関に寄贈者の名と由来を記した小さなプレートをつけられて鎮座した。町長は、「なかなか、いい石じゃないか」と喜び、わたしは、以来そのことを忘れていた。
 ところが、それから半年ほどして、ある日、帰り支度をしていると総務課のカウンターに、突然Sさんが現れたのである。Sさんはわたしを見るとしきりと頭を下げて、
「他でもない、あの石のことなのだけれども。申し訳ねえんだけれども、あれを返していただけないですか」
と、恐縮するのであった。驚いて理由を聞くと、
「実は、えらい騒ぎになってしまって」
と、息子さんは大きな体を縮込めるようにした。聞けば、その後老人を映画にしようという人が来たのだそうだ。全国で原発をなくそうという運動が広く起こっていることから、映画の話は急に話が持ち上がり、資金も集ったのですぐにも撮りたいと言われたのだそうである。映画の中で石と老人を撮るから、石はどうしても元のところに収めて欲しい、そもそも、反対運動をやってきた仲間に黙って無念石を町にやってしまうなどと、息子といえども、どうしてそういうことをするのかとずいぶん怒られたのだと言う。
「親父は、あんたひとりの親父なんじゃねえって言うのですさ。全国の、原発に反対する人たちの希望の星みたいな親父であったと。この石のことも、今に人がどかどかと見に来るようになるって言うのですさ。だけど、わたしにとっては親父は親父で、別にそれ以上でも以下でもねえ、あんまり働かない、困った親父でしたさ」
わたしは、そんなに心配なさらなくても石はお返しできると思う、部長にはこちらから話しておくからと言い、Sさんに帰っていただいた。部長と一緒に町長に事情を話しに行くと、町長は、あっさり、じゃ、写真にしておけば、と言ったので、役場の玄関には「無念石」の写真が置かれることになった。わたしは、ホンモノの石が玄関にあった間は石のことなど忘れていたのだが、その石がなくなってからは、妙にそのことが気にかかり、役所の玄関を通るたびにその写真をちらっと見ては、「人生、いろんなことがあるもんだない。たいした、無念ってばっかりでもねえではないか」と、心の中でつぶやくことが常となった。
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コメント

良い話です
 文章はあまりなめらかともいえないが、内容が素晴らしい。実際の話なのか創作なのかわからないが、どっちにしても、いろんなところで、いろんな人が、いろんなことを、こつこつとやって、それが積もっていって世の中を変えていくんだろうと思う。肩ひじ張らずに、ちょっととぼけた感じで書いているのがよい。内容にマッチしてます。
佳編
老人はもう亡くなっていて、実際にはこの話の中には登場しないけれども、老人の生きざまが、しっかりとした存在感をもって描き出されている。佳編である。
無念ってばっかりでもねえ
信念を持って取り組んだことが実を結ぶとは限らない。しかし結果が出なかったからといって、それが無駄な努力だったなんて悲観する必要もない。だから結果を恐れるあまり、正しいと思うことを主張し行動することを避けてはいけない。
「無念ってばっかりでもねえではないか」という何気ない呟きに、そんなメッセージを感じました。

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