丹羽郁生「道」 石崎徹

丹羽郁生「道」 石崎徹

 冒頭、興味をひかれたのは技法面である。主人公の外見が描かれている。誰の視点でもない。強いて言えば作者の視点か。19世紀のヨーロッパ小説の雰囲気を漂わせて始まる。かつて山口県の下松での眠れぬ夜に作者から聞いたトルストイが好きだという言葉を思い出して、にやりとした。この手法は最後まで貫かれて、最終ページで「すっかり目を覚ました彼の顔からは、沈鬱に青ざめていた色がいくらか消えていた」と書かれる。本人が鏡を見ているわけではないのだから、それを見ているのは作者なのである。
 この技法は主人公と作者との間に距離を持たせ、さらに言えば、読者の過度の感情移入を阻もうとする試みにも思える。おそらくそうしたい理由が作者にあったのだろう。
 1977年の地点を現在にして十数年来の過去をふりかえる、なぜ2013年ではないのだろう。ここにもまた作者のたくらみがありそうである。
 話自体は単純で、鉾田という29才の青年が、旧友江沼を自殺から救えなかったことの後悔と、そこに至るいきさつである。
 鉾田は父を自殺で失ったがそのことを隠していた。ところが江沼もまたそうであったことをその死後になって知る。あれだけ親しく付き合ったのだから、そのことを打ち明けていれば救えたのではないかという後悔で終わる。
 だが、そこにはあまり説得力はない。というのは最後に会ったのが5年前、その数年前からすでに疎遠になっており、高校卒業以後の江沼はほとんど分からないからである。
 5年前最後に会ったとき、江沼は孤独なのだと鉾田は感じており、この事実だけで十分であったという感じがする。父の自殺という過去が両者に与えた影響を、この作からは十分に感じとれない。
 鉾田は大学受験に三度失敗してかなりの挫折感を味わうが、群馬の田舎から東京に出てきて一介の労働者として働く中で、労働組合、民青、共産党に出合い、それまでいかに狭い世界で悩んでいたか、もっといろいろな生き方があるのだということを知って立ち直る。
 一方江沼にはその機会がなかった。彼は研究生活を送りたかったのに、大学と違って企業での研究とはすぐ商品化できるものでなければならなかった。
 江沼の挫折が、広い世界との出会いがなかったからなのか、彼の志向と社会の要求とのミスマッチか、あるいは彼自身の性格的弱さなのか、なにぶん江沼について少ししか書かれていないので、判断はできない。鉾田自身にもつかみづらいのだろうと思う。ただ死後に知らされた共通の過去ゆえに、それならもっと分かりあえたのではなかったか、と後悔しているのだろう。
 この作品を江沼を中心に読むのは難しい。充分に書かれていないからである。むしろ70年前後の日本における青春像のひとつとしての興味で読ませる作品であろう。
 その意味では、興味深いものがあった。それはぼく自身が同時期に青春を送りながら、いろいろな意味でずいぶん異なっているからである。
 ただそこでの作者の二つのたくらみ、外からの視点の持ち込みと、77年を現在に設定したことの意味を探ろうとするのであるが、いまのところそれもよく分からない。
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