「小鳥」 鬼藤千春

小鳥   鬼藤千春

 周作と外界を結ぶのは、わずか六十センチ角ほどの小窓だけだ。だが、この小窓がどれだけ彼の心を癒すものとなっているか、それは計り知れない。
 青い空を背景にして、白い雲が流れていったり、時折り小鳥が過ぎっていったりする。周作はその小窓を終日眺めているのだ。晴れの日も曇りの日も、雨の日もそうだった。
 やはり、雨の日は憂うつだった。鉛色の空が低く垂れ込めて、グレーのカーテンを引いているようだ。風にあおられ、雨粒が斜めに落ちて、窓硝子を流れるだけである。
 周作は、三階の倉庫のような部屋へ押し込められている。この部屋は横四メートル、縦三メートルくらいの大きさだ。その部屋の中央に、ひと組の机と椅子がぽつんと置かれている。入り口は半間のアルミのドアだ。
「桐野君、うちの会社はピンチだ。いま退職すれば、三割増しの退職金が出せる。どうかな」
 応接室へ呼んで、だしぬけに課長が言った。
「課長、それはどういうことなんですか。辞めて欲しいということですか」
 虚を衝かれて、周作は狼狽していた。
「桐野君、不況でどうにもならんのだ。コストをカットしなければ、会社がもたん」
 眼鏡の奥の瞳が、鋭く光った。
「課長、うちには、中学三年と小学六年の娘がいるんですよ。金がいるのはこれからです。家のローンもあと二十年ですよ」
 課長を睨んで、周作は言った。
「まあ、今すぐ結論を出せ、と言ってるわけじゃない。考えといてくれ」
 課長はそう言って、席を立った。
「課長、ぼくは、いま辞めるわけにはいきません。考えることは何もありません」
 課長を見上げて、周作は言った。
 その後、周作は三回呼ばれた。いずれも辞めてくれ、辞めない、の押し問答だった。そして、前回の面接があったのだ。
「桐野君、もう君のする仕事はないんだ。辞めるのが厭だったら、明日から三階の特別室で待機していてくれ。仕事があるようなら、またいずれかの部署に、就いて貰うようにしよう」
 課長の言葉は、冷ややかで突き放すように聞こえた。
 周作は、次の日から特別室へ通うようになった。朝、出勤すると、総務へ出向いて室の鍵をもらう。午前八時までに室へはいるのだ。そして、午後五時まで特別室で待機しているのだった。
 特別室へ通うようになって、はや一カ月が過ぎた。二月の初めにここへ来るようになって、もう三月を迎えた。二月は北の空が鉛色の日が多かった。が、三月になると、空の色が変わってきた。
 小窓で切り取られている風景は、まるで写真を観るようだった。遠くに山々の峰の連なりが見える。そのうえにスカイブルーの空が広がっている。白い綿菓子のような雲が、窓の左から覗いて、ゆるやかに右の窓枠の方に向かって流れてゆく。
 窓を凝視していると、小石が投げ飛ばされたように、小鳥が窓を横切ってゆく。が、一日に何回かは、小鳥が窓枠に止まって、特別室の中を覗いてゆく。窓枠が少し張り出した上を、器用に渡って移動してゆくのだ。
 スズメだろうか、いや名も知らぬ小鳥のようだ。チチッ、チチチッ、チッ、とかすかに、小鳥の鳴き声が聴こえてくる。小鳥はせわしげに、首を左右に振って室の中を窺う。周作と眼が合うことがある。机の前に座っている周作をじっと見つめる。そして、首をかしげる仕草をする。滑稽だった。周作は、思わず笑みがこぼれた。
「おい、元気か。いよいよ春だな」
 周作は、優しく小鳥に声を掛けた。
 明日香は今春から、高校生である。妹の紗希は中学生だ。ここでギブアップするわけにはいかない。周作は待機が解かれるまで、この特別室にいるつもりだ。
 この室はリストラ部屋と呼ばれて、もう何人もの人が会社を去っていった。精神的に参って、うつ病になった人もいたし、不眠症や食欲不振に陥った人もいた。彼らは退職を余儀なくされていった。
 周作は本屋に行って、ストレッチの本を求めて、この室でよく身体を動かすように努めてきた。四メートルと三メートルの室をウオーキングもしている。
 ふんわりとした白い雲が流れて、青い空が山なみの上に広がっている。春の光を浴びて、空は輝いていた。小鳥が周作をじっと覗き込んでいる。時折り小さく羽ばたきをして見せる。
「負けてたまるか!」
 胸底から突き上げてくるものがあり、周作は心の中で叫んだ。
 チチッ、チッ、チチチッ、――
 小鳥が不意に力強い声音で啼いて、飛び立っていった。

スポンサーサイト

コメント

よい作品なのですが
 興味をひかれる書き出しで、文章の流れもよく、過不足なくコンパクトにまとまっています。風景と小鳥のおかげで暗くならず、ある種さわやかな味わいがあります。ただ、散々書かれてきた題材だけに、もうひとつ何かほしい。ありきたりのことをありきたりにまとめたというのでない、この作品ならではのひねりがほしいのです。会社の思惑が外れて主人公がふてぶてしく居座って会社をあわてさせる、あるいは主人公がこの境遇に生きがいを見出した、というような、読者をあっと言わせる何かがほしい。追い出し部屋は、最近やっと朝日新聞も大きく取り上げていますが、それは実際を取材したルポなので、迫力があります。この枚数で、フィクションを使ってルポに対抗するのは所詮無理です。おそらく追い出し部屋を設けることができるのはかなりの大企業だけでしょう。中小企業にはそんな余裕はありません。ルポはかなり具体的に書けますが、この枚数のフィクションで社会告発するのは困難です。フィクションならではのひねりで勝負するべきでしょう。でも、読後感は悪くなかったですよ。

管理者のみに表示

トラックバック