「徳正の懸念」 笹本敦史

徳正の懸念  笹本敦史

 徳正は気がかりだった。最近、つれあいの痴呆がかなり進んできているようなのだ。話しかけても、徳正の言っていることが理解できないのか、とんちんかんな反応をする。
 先日は、つれあいがふらりと家を出て行って行方不明になった、徳正は何時間もかけて探し、ようやく見つけることができた。
「ずいぶん探したぞ。何をしてたんだ?」
「お父さんがいないから探してたんですよ」
「おれはここにいるだろう」
「どうしてですか?」
「どうしてって、お前を探してたんだ」
「そうですか」
 つれあいは諦めたようにつくり笑顔を見せ、手を差し出した。今さら手をつないで歩く歳でもないが、徳正はその手を取って歩いた。困ったことになった。このままではつれあいのことを四六時中監視していなくてはならなくなる。頼りになる一人娘は遠方に嫁いでいて、めったに帰ってこない。
 今日ももう昼飯時をとうに過ぎているのに、つれあいは飯の仕度をしようとしない。困ったことに徳正は家事というものが全くできないのだ。こんなことなら飯の炊き方ぐらい教わっておけば良かったと思うが、今のつれあいの状態ではまともに教えてはくれまい。
「おい、昼飯は」
 とうとう我慢できなくなって、徳正はつれあいの背中に怒鳴った。つれあいは呆けたように振り返り、
「さっき食べたじゃないですか」
 などと言う。
「もういい」
 徳正は静かに言って立ち上がった。これ以上何を言っても無駄だろうと思い、外に出ることにする。
「どこへ行くんです?」
 つれあいの声が聞こえる。
「加部のところへ行く」
 徳正は近くでそば屋をやっている幼馴染の名を告げた。
 そば屋の暖簾をくぐると幼馴染が、
「徳ちゃん、待ってたよ」
 と声かけてきた。
「待ってたってのはおかしいな。お前は予知能力でもあるのか」
「おカミさんが電話してきてさ、あんたが行くからよろしくってな」
「そうか……」
 徳正はつれあいが何を思って電話をかけたのか、と考え込んだ。
「それで何の用だ?」
「何の用もないもんだ。そば屋に焼肉食いに来るやつがあるか。あったかいヤツを頼むよ」
「おお、そうか……わかった」
 加部は手際良くそばを茹で、出汁をはった丼に入れ、葱と鳴門を乗せて出した。
「いやあ、美味そうだ。もう腹が減って死にそうだったんだ」
 しかし、徳正の箸の動きはすぐに鈍った。やはりつれあいの状態が気になって、食が進まないのだ。
 それから数日経った。娘が珍しく訪ねてきた。
「病院へ連れて行ってあげようと思って」
 娘はタクシーを呼び、二人を乗せて病院の名を告げた。
 精神科のようだった。待合室は空いていた。痴呆の治療はこういうところが担当するのか、と考えていると、予約をしてあるためかすぐに声を掛けられた。
 診察室へは徳正と娘もついていった。
「徳正さん」
 医者に名前を呼ばれた。
「今日が何月何日かわかりますか?」
「ええと……、一月……」
 そう言いかけて自分が半袖シャツを着ていることに気がついた。
「あっ、いや違った」
「いえいえ、いいんですよ。ちょっとした検査ですからね。徳正さん」
 医者は満面の笑みを浮かべていたが、徳正を凝視する目は笑っていなかった。徳正は思わずつれあいと娘を見まわした。二人とも心配そうな目で徳正を見つめていた。
「えっ?」
 徳正は思わず立ち上がった。その勢いで丸椅子が転んだ。椅子が床を打つ音が診察室に響いた。
「オレじゃない」
 徳正は大声を上げた。
「大丈夫ですから、落ちついてください」
 医者はいっそうの作り笑顔で言った。しかし、射すくめるような目は徳正を冷静に観察している。
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コメント

うまい
 あいかわらずうまいね。出だしのワンセンテンスで読者をとらえている。仕掛けは蕎麦屋のあたりで何となく感じ、娘の来たところではっきりわかったが、そういう伏線で読者を期待させ、期待通りに終わるところがいいのだろう。全く伏線のないどんでん返しはかえって効果をあげづらいようだ。もちろん、認知症を描いてこれでいいのか、という声は聞こえてきそうだが、5枚という制約の中で二兎を追うわけにもいくまい。これは読者を楽しませたということで良しとすべきだろう。それにひょっとしたら自分も、という怖さもあるしね。問題提起を潜在しているともいえる。

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