「白樺」 石崎明子

白樺   石崎明子
 
 図書室で勉強しようと思ったのには訳がある。韓国人のスーキョンが、ガラス越しにリスを見たと言ったのだ。
 図書室は寮の中庭に面している。奥の方は密林のような有り様だから、リスがいたって不思議ではない。フランス美術史のノートをめくりながら、時折ちらっと庭を見やる。
 もう中心街ではノエルのイルミネーションがにぎやかで、オペラ座の前の広場には回転木馬も姿を見せた。ウィンドウの樅の木は店ごとに趣向を凝らして飾りたてられ、大人も子供もうきうきと街を闊歩する。もちろん、暖かいコート、帽子にマフラーは必需品だ。
 ところが、来週にテストを三つもかかえた私はといえば、昼下がりの図書室で、ロマネスクとゴシックの建築様式の違いについて頭を悩ませていたりするわけだ。そういえば、川向こうの移動遊園地も今日までって言ってたっけ。
 リスは現れない。もしかしたら既に冬眠に入ったのかもしれない。乾いたいい匂いのする枯れ葉をいっぱい敷き詰めて、頬には山ほど木の実をつめこんで、春の緑の新芽の夢を見ながら。
 それはともかく、勉強勉強。フランス美術史は最も好きな授業だが、最もハードな授業でもある。マダムルコントは三十代半ばの優しい声をした教授で、授業はスライドを見ながら行われる。ラスコー洞窟の壁画の頃は、慣れない学生達の耳を気づかって、スローペースだった講義も、二カ月たとうとしているこの頃は猛スピードで進んでいく。マダムの言葉を必死に書きとっている間に、いつのまにか一時間がたっている始末だ。綴りも何もあったものじゃない。ノート一杯に書きちらかされているアルファベットを判読しながら、Jersualem(エルサレム)がJesusalem(エスサレム)となっているのにため息をつく。
 キリストの十二使徒って誰だっけ? と考えていた時、すぐ近くで落ち葉を踏みわける足音がした。顔をあげると、一人のシスターが眼の前をゆっくり横切った。
 シスターマリーテレーズだ。年老いた静かな横顔を紺の頭巾が包んでいる。庭の小道を遠ざかって見えなくなった。何をしているのだろう。もしかして日曜日のシスター達は、朝昼夕の祈りのほかにも、こうやって祈り続けているのだろうか。
 また木立の向こうにちらっと彼女が見えた。日本人のみきさんによると、二十年前知人がこの寮に住んでいた頃には、彼女が毎日猛烈に働いていたそうだ。今では、マリージュヌヴィエーブとマリーアルメールの二人のシスターが寮を取り仕切っていて、マリーテレーズを見ることはあまりない。一生涯尼僧服に身を包み、神に仕え、他人のためにつくし、そうして彼女らの日々は暮れていくのだろうか。カトリックの国フランスに、時々、不思議な気持ちを覚える。その果てしない信仰は、どこから来るのだろう。庭中を歩きまわったあと、彼女の姿は消えた。
 いつになく敬虔な気持ちで残りのノートを見直す。建築技術が高度になるにつれ、徐々に高くなっていく教会の尖塔。より高く、空に突き刺さるほどに、人は神に近づくことを望み続けた。シャルトル大聖堂のステンドグラスは地上で最も美しい青色である。その色を今日出そうと試みるのは、無駄なことなのだ。
 日差しがかげり、鳥の声がしだした。視線をあげ驚いた。様々な種類の小鳥達が、庭中を歩きまわっていた。
 ガラス越しに二メートルのところを、黒いしなやかな姿の野鳥が器用に落葉をひっくりかえしつつ、ぴょんと跳んでは何かをついばんでいる。手前にはスズメほどの大きさの小鳥がやってきて、無心に地面をつつきはじめた。柔らかそうな白い胸のにこ毛と灰色の羽根が、はっきりと見分けられる近さだ。
 こんなにたくさんの野鳥を一度に見たのは、生れてはじめてかも知れない。異なる音程の鳴き声がひっきりなしに、庭のあちらこちらから聞こえる。
 白樺の木立が風にざわめいた。しなやかな白い幹が優しく揺れ動いている。雲の隙間からのぞいた夕日に照らされて、金色のこまかい葉がふるえている。幾枚かの葉がゆるやかならせんを描いて落ちた。金の粒を庭にふりまいているように見えた。
 私はじっとそれを見つめていた。探し求めていた答えを、確かに見つけたような気がしていた。
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