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「党生活者」 石崎徹

小林多喜二「党生活者」  石崎徹

 この作品も45年ぶりである。そのときは、ただ暗くじめじめした作品としか思わなかった。なぜこの作品の才能に気づかなかったのだろう。所詮太宰崩れの能天気な学生の世界と違いすぎた、ということだろうか。
 今回びっくりしたのは、その意外な明るさである。決してじめじめした作品ではない。留置場、刑務所、拷問、食うや食わずの生活、といった世界に作者も登場人物もいながら、そしてそういった暗い状況を描きながら、人物は決して暗くない。追いつめられた状況の中でも軽口を飛ばしあっている。
 多喜二の文章は、洗練されているとは言えないかもしれないが、下手な文章ではない。ちゃんとつじつまの合った読みやすい文章である。むしろ説明を避けて描写で押していこうとするところに、馴染みのない状況を描いているだけに、とっつきにくさがあるのかもしれない。だがそのことが情景を生かしていることが読み終わるとわかる。
 多喜二は若い時から、文章を書くと同時に絵も描いていた。それがおそらく無縁ではなかろうと思わせる。多喜二の文章からは絵が浮かび上がる。情景が目に浮かぶのである。この描写力は只者ではない。
 もちろん小説だからどこまで現実を反映しているのかは断言できないわけだが、(それはぼくに日本史の知識が全く欠けているからだが)、おそらくかなり忠実に現実をなぞっているだろうと思わせる、そういう点で目を瞠るのは、あの激しい弾圧の時代にあって、ずいぶん大胆な活動が繰り拡げられていることである。
 戦前と戦後の連続性というテーマにヒントを与えてもくれ、また現代の閉塞状況を考える鍵のひとつともなりうるだろう。
 「笠原」の描き方については、随所で指摘されているのと同様、ぼくも不満を持つ。行き場を失った主人公を救い出すために、事実上の結婚にふみきり、そのために疑惑をもたれてタイピストの職を失い、女給にまで落ちぶれ、「女郎にでもなります」とまで言わせた相手にたいして、主人公はあまりにも冷たい。あろうことか、主人公の心は「伊藤」に傾いているのである。これではあんまりだ。確かに「伊藤」は魅力的に描かれている。主人公に気がありそうでもある。まだ若い主人公の心がそちらに傾いていったとしても無理はないだろう。だが、「笠原」に対する「すまない」と思う気持ちがもっとあってほしかった、と読者は思わずにおれない。
 おそらくこの点が唯一の傷になっている。
 しかし、それがまた、それこそリアリズムなのかもしれない。あの追いつめられた状況で、誰が完ぺきなヒューマニストたり得ようか。若い未熟な人間が、配慮すべきことを配慮しなかった、そして作者がそれに注釈を加えなかったとしても、それも現実だったのだ
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