「宝くじ」 鬼藤千春

 宝くじ   鬼藤千春

 いつもの街がどことなく浮き足立っている。人々は首に巻いたマフラーをなびかして、せかせかと歩いていた。車もやけにクラクションを鳴らして、過ぎ去ってゆく。
 やはり、師走だな、と雄介は思った。なんとなくせわしく、怖いという感じがぬぐえなかった。が、雄介は一人悠然と構えているかというと、決してそうではなかった。彼もまた、師走の空気の中に溶け込んでいたし、自らその空気をつくっている一人でもあった。
「年末ジャンボ一等、四億円。前後賞、一億円」そんな看板が立っていた。雄介はそれを一瞥して車で走り去ったが、まもなくユーターンして戻った。彼は吸い寄せられるように、宝くじ売り場の前に立っていた。
 数人のおじさん、おばさんが並んでいた。どことなく強欲で、厭わしく思われてならなかった。その中に並ぶ自分に雄介は嫌悪した。が、その列から離れようとは思わなかった。
 当たらないことは重々承知の上だ。だってそうだろう。二分の一の確率でも、当たらないことはよくあることだ。ジャンケンがそうだ。雄介はジャンケンによく負けた。忘年会でジャンケンに勝った方が、自転車を貰えるという時も負けた。営業の仕事でテリトリーを選ぶのに、勝った方に優先権が与えられるという時も、負けたのだ。
 それが、宝くじの一等、あるいは前後賞になると途方もないことだ。ドラム缶に米粒をいっぱい詰め込んで、その中から赤く着色されたひと粒を、眼を瞑って掴み出すようなものだ。雄介はそんなことはよく判っているのだ。が、雄介は浅ましい列に並んでいた。自身もその浅ましい人間の一人だった。
 雄介は連番でなくバラ買いで、三十枚求めた。彼は家に帰って、その宝くじのチケットを神棚に祭り、二回柏手を打って頭を下げた。

 彼は当選したときの夢を描くようになった。一等はよしとして、前後賞の一億円の遣い道を考えた。子どもが四人いたから、まず彼らを家に招くのだ。息子が二人、娘が二人いて、それぞれ所帯をもち、四人とも家を出ている。家には雄介と女房の二人だけだ。そして、彼らをリビングの、テーブルの前に座らせるのだ。
「おじいさん、どうしたん。何かあったんか」
 長男の大輔が怪訝そうに訊いた。
 おじいさん? おじいさんとは、どういうことじゃ。雄介の頬の皮膚がピクピクと痙攣を起こした。娘二人はおじいさんと呼ぶことはなかったが、息子二人は恥知らずにもそう呼ぶのだ。孫の視点なのだ。雄介の心は穏やかではない。
「そう慌てるな。そのうち話すのでちょっと待て。せいては事をしそんずる」
 雄介は彼らを見回し、右手を突き出して制した。
「大輔、シャープは不景気で人員削減が烈しいが、下請けの君の会社はどうなんじゃ」
 雄介は顔を覗きこんで言った。
「いま、うちの会社は大変じゃ。リストラの嵐じゃ。五十歳以上がターゲットになっている。退職勧奨が烈しく行なわれてるんじゃ」
 大輔はそう言って、顔を曇らせた。
「シャープは、一兆円以上の内部留保をため込んでいるぞ」
 語気を強めて、雄介は言った。
「おじいさん、うちの会社にはリストラ部屋と呼ばれている室があるんじゃ。勧奨を断ると、君のする仕事はもうない、と言って、その部屋へ送られるんじゃ」
 大輔は身体を乗り出して言った。
「そうか、大変じゃなあ。大輔、他人事じゃねえぞ。そんな気配があったら、わしに相談せえ」
 うーむ、と唸って、雄介は腕を組んだ。
 雄介は、それからおもむろに、宝くじが一億円当たったこと、子ども一人について、一千万円ずつ遣るという話をした。残りは夫婦二人が持ち、旅行三昧をして、自由気ままに暮らすことを語った。

 雄介の今の生活は、年金暮らしで可処分所得が月二十万であった。まさに薄氷を踏む思いで日々を送っている。これで健康を損なったり、不意の出費があったりしたら、たちまち生活はたちゆかなくなるのだ。
 一億円当たったら、雄介は悠々自適の暮らしをするつもりでいる。小説を書く辛さ、苦しさから、もう開放されるぞ、と思っていた。
 雄介は、元旦の新聞が届くのを今かいまか、という思いで待っていた。新聞受けがコトリと鳴ると、彼は足早に駆け出して行った。神棚で手をぽんぽんと打って、チケットを降ろした。
 雄介は、ルーペで新聞を覗き込みながら、一枚一枚丹念に照合していった。三十枚のうち二十枚ははずれであった。雄介は嘆息を洩らした。あと十枚、彼は眼を凝らして、ルーペを覗いた。駄目だった。下一桁が三枚当たっているだけだった。彼は冷めたコーヒーを飲みながら、大きな溜め息をついた。彼は遠くを見るような眼をして、壁に掛かった静物画をぼんやりと見ていた。
「やっぱり、小説を書く暮らしから、抜けられないな、――」
 ふうっと息を吐いて、雄介は呟いた。
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