「防雪林・不在地主」 石崎徹

小林多喜二「防雪林・不在地主」 石崎 徹

 1928年4月26日「防雪林」脱稿。1903年10月の生まれだから、24才の時である。その年の暮れに「一九二八年三月十五日」を発表。翌年「蟹工船」に続いて「不在地主」を発表。この「不在地主」によって拓殖銀行を解雇された。作中小作搾取に銀行の果たす役割を名指しで書いたからである。
 だが「防雪林」は戦後発見されるまで、草稿ノートに埋もれたままであった。「不在地主」はそのノート稿に『「防雪林」改題』と書きこまれていた。多喜二は「防雪林」に納得できずにこれを捨て去り、「不在地主」として全面的に書きなおしたのである。
 だがいま先入見なしにこの両作品を読み比べたとき、読者諸氏ははたしてどちらを支持するであろう。
 ぼくは「防雪林」である。
「防雪林」は第一にその情景描写が圧倒的に優れている。その圧巻は冒頭の石狩川での密漁場面、および最終近く防雪林に沿って荷馬車が行進していく場面である。
 第二は主人公源吉の造形が見事である。
 ぼくは多喜二に先入見を持って読まなかった不明を恥じる。これは描写といい造形といい天才的な作家である。
 だがその手腕をわざと封印したのが「不在地主」である。
「不在地主」には、吸い込まれていくほどの描写は、あえて言えばラストに少し見えるのみである。手で触れることができるような人物の造形もない。
「不在地主」を書いた時、多喜二は文学以外の目的をはっきり意識していた。ほかならぬ小作たちに、愉しみながら読めて、しかも自分たちを苦しめている仕組みが自然と分かるようなものを与えたい。彼は大衆小説の手法で教育書を書こうとしたのである。
 小説にはいろんな種類がある。大衆小説もそのひとつであるし、教育的な大衆小説があっても構わない。読者がそれを求めており、愉しみながら知識が増えるという点で現代でも、たとえば歴史小説は圧倒的な人気である。愉しみのためだけの小説にも需要がある。人生に娯楽は必要だ。
 しかしどんな芸術でも趣味が高じてくれば人はより何か別のものを求めるようになる。しかしそれは小作の読めるようなものではない。多喜二は小作の役に立ちたかったのだ。趣味人の相手をしている暇はなかったのだ。
 このように考えてくるとぼくは複雑な思いがしてきて、よくわからなくなる。だが、この問題にはここではこれ以上立ち入らないことにしよう。
 多喜二は、「蟹工船」では集団の描写に専念してあえて個人を書こうとしなかった(そしてぼくはそれでよかったと思っている)が、「防雪林」には源吉という独特の人物が出てくる。「原始人的な、末梢神経のない人間を描きたいのだ」と作家は述べている。末梢神経云々はよくわからないが、まわりくどく考えずに思ったことが行動に直結する人物という意味だろう。源吉はまさにそうだ。
 彼は強姦犯なのである。被害者とその周囲にとっては許すべからざる人物である。元恋人の芳が田舎に見切りをつけて札幌へ行ってしまったことへの苛立ちが彼を犯罪に走らせるのだが、その芳が北大生に妊娠させられ捨てられて帰村し、村八分、家族にさえ容れられないという状況で源吉に助けを求めても無視し、だが彼女が自殺してしまうと、北大生の所属する地主階級への怒りを募らせる。
 ここでは彼は被害者(芳)の関係者として被害者の心情に立っている。その事態に至っても自己の犯罪を顧みようとはしない。あの時は欲望の赴くままに行動した、そしていまは地位に絡めて女を欺く人間への怒りに燃える。自己の心理のこの矛盾を検討してみるという態度は源吉にはない。
 一見奇異に思えるが、当時の農村青年の中の直情的な一典型として実在感を持っている。
 こうしようと思ったら、あれこれ考えず、また何物も恐れずやってのける人間である。それは冒頭鮭の密漁の場面でくっきりと描かれる。
 地代をめぐる小作たちの不満が頂点に達し、低減要求の運動が組織化される過程で、これを冷ややかに見ている源吉はいっとき背景に沈み込む。そして終盤テロリストとして現れる。地主邸に放火するのだ。そんなことで問題が解決するわけではないことを、作者はもちろんよくわかっている。源吉は農民の怒りが凝縮した存在なのである。
(2000字に収めようとしているので字数が足らなくなったが)「不在地主」の主人公、健の存在感の無さと、源吉の圧倒的な実在感とを比較してほしい。作者は、健の描き方については完全に失敗している。
スポンサーサイト

コメント


管理者のみに表示

トラックバック