「ブラウス」 鬼藤千春

ブラウス    鬼藤千春

 修二は駅に近い線路ぎわに建つ、二階建てのアパートに住んでいた。六畳ひと間と、一畳くらいの狭いキッチンがついている。
 修二は窓を開けて、駅の方に眼を走らせた。プラットホームには小さい人の影が動いていた。あの中に亜希子もいる筈だ。彼女はこれから郷里へ旅立つのだ。
 亜希子は小学校の教師をしていた。彼女は修二と別れるために、転勤届けを出したのだ。それが受理されて、まもなく来る列車に乗って、修二のもとから去ってゆくのだ。
 亜希子に会ったのは、彼女が大学を卒業して、この街の小学校に赴任になってからだった。修二はこの街で、建築会社の現場監督をしていた。そして、青年運動や文化活動をしていたのだ。彼女も大学で青年運動をしていて、それで彼女に会ったのだ。
 この街にやってきた亜希子は、すぐに青年運動に加わった。彼女は高校生の担当になって、勉学や活動の相談に乗る役目をおっていた。修二は地区の役員をしていたから、ときどき彼女に会って、運動の進め方などを話し合ってきたのだ。
「亜希ちゃん、高校生班の名前をつけようか。みんなと相談してみてくれないか」
 修二は亜希子を、自転車で送りながら言った。
 亜希子は修二の肩に片手をかけていた。彼は自転車のペダルを踏んで、星明りの中を進んだ。
「修二さん、みんなで考えてもうつけたんよ。高校生は三年で卒業するでしょ。だからね、その活動が絶えないようにと、火種という名前にしたのよ」
 肩にかけた手に力を込めて、亜希子は言った。
「火種か? ちょっと古臭いけど、うーん、それいいかもな」
 後ろを振り向いて、修二は言った。
「いいかもな、じゃないでしょ。もう決めちゃったんだから。それいいな、でしょ」
 亜希子は肩にかけていた手で、ぽんと修二の背中を叩いた。
 その日修二は彼女の部屋に上がって、コーヒーを淹れてもらった。このようにして、ふたりはアパートへのゆききが始まったのだ。
 亜希子のワンルーム・マンションには、もちろん風呂があったが、修二のところにはなかった。それで、夜亜希子が来ると、一緒にちょっと洒落た、近代的な浴場へ行くのだ。タオルと着替えを持って、横丁の路地をすりぬけて行った。帰るとき、亜希子の髪はシャンプーで匂い立っていた。その頭を彼女は修二の左腕に押し付けてくるのだった。
 そんな日々が少しつづいてきたとき、ふたりの間に結婚の話が持ち上がった。しかし、亜希子の両親は猛反対だった。
「拝み屋さんに、相性をみてもらったら、凶相が出ているというんじゃ。北条さん、この話はなかったことに、してもらいたいんじゃ」
 遠くから父親が出てきて、そう言った。
「拝み屋? 凶相?」
 修二は首をかしげた。
「そうじゃ、拝み屋じゃ。拝み屋を莫迦にしちゃいかんよ。ここの占いはよう当たるんじゃ」
 父親は修二を睨んで言った。
「この時代に、占いですか?」
 修二はいくぶん怒ったように言った。
「あなたと論じ合うために、来たんじゃない。とにかく、もう終わりにしてもらいたいんじゃ」
 父親はそう言い放つと、そそくさと帰っていった。
 修二は、決して拝み屋の占いだけが原因だとは思わなかった。学歴や家柄のこともないとはいえなかった。それは想像に難くなかった。亜希子は両親の猛反対に、ずいぶん動揺していた。修二も優柔不断だった。亜希子はやけぎみに結婚したい、と洩らしていたが、修二は曖昧な返事しかできなかった。
 修二は結婚に踏み切ることに、畏れをいだいていた。ずいぶん弱気になってしまった。それからふたりの間に、しだいに亀裂ができていった。そして、しばらくしてふたりは別れたのだ。
 駅にオレンジとグリーンに彩色された列車が、滑り込んできた。列車から乗客が吐き出され、人々が乗るようすが遠くに霞んでみえた。列車がゆっくり動きだして、修二のアパートの前を差し掛かった。修二はその列車を凝視していた。すると、出入り口に立った亜希子の姿が見えた。彼女は唇を噛んで、しきりに手を振っている。列車はアパートを震わせて、修二の前を通りすぎていった。
 修二は列車が消えるまで、その後を追っていた。亜希子は遠くへ去っていった。ふと、柔らかい匂いが立ち昇っていることに、修二は気づいた。振り向くと、白木蓮が純白の花々を開いているのだった。じっと見つめていると、純白の花びらが、ひとひら舞い落ちていった。
 修二は窓を閉めて、部屋を見渡した。白木蓮と同じような、純白のブラウスが鴨居に掛かっていた。北の窓からは花冷えの風が舞い込んでいる。
 亜希子のブラウスは、かすかに揺れていた。
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コメント

ロマンス
 鬼藤さんには珍しいロマンスで、興味をひかれて読みました。ここ何作かに比べて、ずっと小説的になっていると思います。でもロマンスになっていますか。焦点を絞り切れていない感じがします。
1、書き出しにスマートさがほしい。
2、「のだ」の多用が臨場感を失わせている。「のだ」はすべて取ったほうがよい。
3、「青年運動」だの「地区の役員」だの「高校生班」だのは一般読者には何のことだかわからない。短い文章の中で二人のなれそめを説明する必要がありますか。
4、父親との会話は不要。二人の間の行き違いをこそ描くべきです。
 以上の欠点のために焦点がどこにあるのかわからない文章になっています。欲張りすぎていませんか。
 このコメントへの反論を期待します。自作を棚に上げて、わざと厳しい指摘をしていますが、自信があるわけではありません。討論を起こすことで切磋琢磨したいのです。
焦点
二人がなぜ別れることになったのか、というところが焦点なのだろうと思うのですが、モチーフが非科学的なものに対する嫌悪なのか、学歴社会への批判なのか、気持ちを貫けなかったことへの後悔なのか、どれだとしても(あるいはそれらの複合的なものだとしても)描ききれていないように感じます。

「のだ」は文章の個性だとしても、確かに気になります。

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