「カミーユ・クローデル」 野中秋子

カミーユ・クローデル   野中秋子

 先日テレビの芸術番組で女性彫刻家カミーユ・クローデルの作品とその生涯が紹介されていた。
 パリにあるロダン美術館には30年程前に一度だけ訪れた事がある。「ロダン」という発音ではタクシーの運転手に通じなくて、「オダン」と発音するのだという事もその時知った。
 ロダン美術館の一室をとってカミーユ・クローデルの作品が展示されていた。私はこの美術館を訪れるまでカミーユについては全く知らなかった。おそらく彼女をモデルに使ったのであろうと思われる、とても大胆なポーズのロダンのスケッチ画とともに、この男と肩を並べる程の力量を感じさせる女性の彫刻家がいたという事実は私の心に強く残った。
 「カミーユ・クローデル」の映画を見るために広島まで出かけた事もあったが、見終わった後、私は出口のない暗闇の中に放り込まれたような辛く憂鬱な気分に襲われてしまった。
 何故なのか。一つには創作を通して語られるロダン自身の言葉が若い頃の私を魅了し、日本でも度々見る機会のある彼の作品の素晴らしさが芸術家としてのみならず、人間としても素晴らしいと私の心の中に焼き付けられていたせいである。
 1864年に生まれたカミーユは、幼い頃から神話や聖書の劇的シーンを想像力だけで立体化して遊ぶような子供だったらしい。父親の転勤に伴って各地を移動する度にカミーユの関心事だったのは、近辺に粘土性の土を見つける事だった。
 彼女の才能を最初に認めたのは、パリの美術アカデミーで彫刻を学ぶアルクレート・プーシェという人物で、彼はカミーユの弟の家庭教師の友人という間柄だった。プーシェはカミーユの作品を見て、本格的に彫刻を学ばせるよう彼女の父親に勧めたのだ。
 当時のフランスは、まだ国立美術学校に女生徒を受け入れていなかった。
 1881年、パリの美術学校ジュリアンでカミーユは学び始め、学友と共同で本格的に学習アトリエを開き制作に没頭した。そして翌年サロン(政府主催の官展)へ送った石膏胸像が見事入選し、未来は希望に輝いていた。
 そんな時アトリエの指導者だったプーシェはローマに留学することになり、代わりにやって来た新しい指導者がオーギュスト・ロダンだった。こうして18歳のカミーユと42歳のロダンは出会った。
 ロダンはこの時既に量感溢れる作風で他を圧倒する新進気鋭の彫刻家として世に出ていた。彼はカミーユの並々ならぬ才能に衝撃を受けるとともに、その若さと美しさに心を奪われてしまった。ロダンには16年連れ添ったローズ・ブールという女性がいたにもかかわらず。
 カミーユとロダンの関係は子弟を超えた男女の愛へと進んでいった。ローズは貧しいロダンのためにお針子として働き、日常の世話から作品の管理までやり、一人息子が生まれても内縁のままでロダンに尽くし続けるという女性だった。
  才能溢れるカミーユの中で、彫刻家としての自立の欲求とロダンへの強い愛の葛藤という苦しみが始まった。誇り高いカミーユは、愛人の座に甘んじることは出来なかった。また彫刻家としても、女性という事で容易に世間から認められず、事あるごとに、「ロダンの物真似」「ロダンの生徒」と言われ続けてもきた。
 彼女はロダンと出会い、学び、お互いの才能を認め合いながら創作を重ねていった。そして激しく愛し合い強く反発しあった。 しかしロダンが最後に選んだ女性はローズだった。
 醜い老婆と一緒に去ろうとする老人。そして男に取りすがる若い女。「分別盛り」という題名でカミーユはその時の自分の想いを作品にした。老婆はローズ、老人はロダン、若い女は彼女自身を表している。
 1898年、カミーユは彫刻家としての自立をめざしロダンのもとを去る。しかしその後間もなく心を病み精神病院に隔離され、78歳でその生涯を終えるまでの30年間、病院から出る事は一度もなかった。妄想の中で激しくロダンを憎み続けながらの30年間であった。
 ロダンはカミーユのために病院へお金を送ったり、晩年建設予定のロダン美術館の一室をカミーユ・クローデルのために捧げるよう遺言も残している。
 1880年フランス政府の依頼で制作された未完の作品「地獄の門」はカミーユ自身もモデルとなり、共に制作した二人の愛の葛藤の最後のモニュメントと言われている。
 幽閉された病院の中で30年間、かつて愛した男を憎み続けるカミーユの心の中は想像を絶するものがある。
 彼女を発狂に追い込んだものは何なのか。そして発狂せずにその苦しい人生の一場面を乗り越える道は、一つも見出しえなかったのであろうか。まだ彼女が若かっただけに、一層その事が私を辛い思いにさせた。
 ロダンをして、あの時代で女性を一人の人間として見る力をどれ程持ち得ていたであろうか。
 こんな事を考えている時私の心をよぎったのは、「一番時間がかかり、最後まで残るのが女性差別だよ。これは相当時間がかかるなあ」と喫茶店でお茶を飲みながら私達に語った、哲学者の古在由重氏の言葉だった。まだ私が若い教師だった頃の話だ。また我が娘の結婚式のスピーチでこうも言ったそうである。「娘よ。夫の奴隷にはなるな」と。
 ロダンもカミーユも共に才能豊かな芸術家である。二人とも自分の力への自負とともにプライドや高慢さも持ち合わせ、その事が二人の愛情の中の葛藤の一つにもなったであろう。単に二人の女の間を揺れ動く優柔不断な男ロダンという側面だけでなく、女がその仕事に自分と肩を並べる程の力を持って現れた時、ロダンはその男の古さでもってカミーユの全てを受容しきれなくなったのであろうか。カミーユはローズのように、愛する男の後ろを静かについて行くだけでは終わらなかった女である。
 しかし愛の関係においては、カミーユも多くの女性達がそうであったように、まだ自立の方法を見つけ出す事が容易には出来なかった。またロダン自身も自分の中の愛に生きる勇気は持ち合わせていなかった。
 若いカミーユが激しい恋愛の破綻から受けた深い傷を糧に一層芸術家としての力に豊かさを増し、ロダンをその創作でもって乗り越えていってほしかったと女性の私は強く思う。
 男を全身全霊で愛した自分まで否定せず、その愛の過程の自分のありのままを受容し、作品を生み出す女としての力を私はカミーユの中に見出したかった。
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コメント

映画は「アデルの恋の物語」のイザベル・アジャーニ主演なんですね。観てみたいような。でも重たいだろうな。
感動しました
 とてもつらい、でも心うたれる物語ですね。芸術家というのはひとも苦しめ、おのれも苦しむ宿命の中にいるかのようです。われわれ凡人も心のどこかに似た要素を持っているので、共感してしまうのでしょう。そしてせめて彼らの物語を味わうことで、彼らのようには飛翔できない自らを慰めて、平凡な一生を送るのです。

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