「駅」 笹本敦史

駅       笹本敦史

 五月二十三日、今日が私の最終出勤日だった。定年による退職日は六月末だが、使い残した年休と最早いつのものかわからない休日出勤の代休が合わせて二十七日半あるため、今日の午前までが仕事ということになった。もっとも新年度が始まってから二カ月足らずで退職する者に重要な仕事が任せられるわけもなく、この間は仕事と言ってもほとんど雑用だけだった。今は管理職になっているかつての部下が伝票の束を持って来て「役不足で申し訳ありません」などと言うのを、笑顔で受け取ったりしていた。定年になっても多くの社員は六十五歳までの再雇用を申し込んでいるが私は断った。私は幸い五歳下の妻がまだ元気に働いているし、子どももおらず、共働きしてきたこともあって住宅ローンも完済している。経済的には無理して働く必要はないのである。しかし仕事以外にこれと言って打ち込めるものも持たずにきた私にとって、退職というのは一抹の寂しさを感じるものではある。最後の日が水曜になるため、送別会は先週末に済ませている。今週は雑用すらも回されてこず、身辺整理と取引先への挨拶回りに明け暮れた。今日は出勤してから昼までに社内への挨拶回りを済ませ、途中、同期入社の常務と雑談を交わした。
「働かなくても良いなんてうらやましいな。うちは女房が絶対許してくれないぞ」
「役員がそんなこと言ってたら士気が下がるぞ」
「こんなことはお前にしか言わないよ。残念だな、本音が言える相手がいなくなって」
 最後に受けつけの女性に軽口をたたき、時間が早いことを除けば、いつもと同じように会社を出た。それは自分が望んだ通りの退職日のあり方だ。最早、会社は私を必要とはしていない。私も会社を必要とはしていないのである。そう考えると急に足場を失ったような心許なさを感じた。地に足が着いていないような不安な心持で岡山駅まで歩いた。平日の昼過ぎだから、さすがに人は少ない。いつもは混雑している改札を、押し合うこともなく一人で通り抜けた。掲示板を見ると、瀬戸大橋線の次の電車は高松行きの快速で五分後に出ることがわかる。ホームに着くとすでに電車が止まっていた。車内は空いていて、私は二人掛けの席の通路側に座った。乗客の多くは高齢者だ。自分がそう呼ばれるようになるのも遠い先のことではないのだろうな、などと考える。その中で若い男が一人、通路に長い足を投げ出すように座っている。学生ではなさそうだが、だらけた態度からして、まともに働いてもいないだろうと勝手に想像する。
 発車のベルが鳴った。ドアが閉まる直前、旅行用のトランクを引きずった若い女が乗ってきた。彼女は安堵の表情を浮かべ、座席を見回した後、通路を挟んだ私の隣の席に座った。これからどこかへ出かけるところなのか、帰るところなのか。窓側の席に押し込んだトランクに軽く手を掛け、駅の風景を目に焼きつけるように窓の外を見つめている。小柄だが姿勢が良く、清楚な黒のスーツが似合っている。高い位置で結んだポニーテールが意志の強さを表しているようだ。電車の速度が一定になると彼女は正面を向いた。私の位置からは横顔が見える。二十代中盤だろうか。もし自分に娘がいたとしたらこれぐらいの歳になっているだろうか。軽い肌の荒れを隠そうともしない薄い化粧が、容姿に対する自信の表れなのかも知れない。そう思えるほど、その横顔は凛として美しかった。いつまでも見ているわけにはいかないと思い、私は正面に目を向けた。週刊誌の広告が目に入った。見出しを見るだけで何となく内容が想像できる。それ以上を期待して買ってみると必ず期待は外れるのだが、所詮は暇つぶしに読む程度のものだ。それで良いのだと思う。
「次は茶屋町。茶屋町です」
 少しうとうとしていたらしい。気がつくと降車駅が近くなっていた。踏み切りの警報音、駅への高架を上るために出力を上げるモーターの音、それらが習慣的に私を立ち上がらせる。
 着信があったのだろう。彼女はポケットから携帯電話を取り出した。そして小さな声で二言三言話して電話を切った。「電車の中だから後で掛け直す」とでも言ったのだろうか。中国語のようだった。中国から来たのか、と思うと同時に、その若さに彼国の活力を感じた。彼女はどこの駅で降りるのだろうか。そしてそこには何が待っているのだろうか。それが何であれ、彼女は若さと強い意志で新しい道を切り開いていくのだろう。
 私は駅を出た。いつもと同じ駅前の風景のはずだが、何かが変わっているように感じた。それが何なのか、探してみようという気になった。
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コメント

若い女の希望
「駅」笹本敦史について
 ある男が定年になった。そして、会社をあとにして、帰路についた。が、「急に足場を失ったような心許なさを感じた。地に足が着いていないような不安な心持」であった。
 発車のベルが鳴った。「若い女が乗ってきた」そして、男は女を観察する。意志の強そうな、そして凛として美しかった。携帯電話が鳴った。中国語のようだ。二言、三言話して電話を切った。彼女は若さと強い意志で新しい道を切り開いていくのだろう、と男は思った。
 そして男は、駅前がいつもと、何かが変わっているように感じた。それは男が、この先何をやってゆくか、その目標のない不安定そのものなのだ。
 この掌編は、仕事を失って何もすることのない男の不安定
さと、女の希望に満ちたようすをくっきりと対比させて描いている。
そうなのか?
 ぼくは鬼藤氏と全く逆に解釈しました。異国に来てはつらつとしている若い女性を見るうちに男の心に変化が生じ、希望が湧いてきた、というようにです。
 それが「探してみようという気になった」と表現されているのだと思います。
 でも確かに解釈を混乱させる欠点があるようです。通勤時間帯でない駅前の風景はすでにいつもと違うのです。「何かが変わっている」のは退職したせいだと解釈されても仕方がないでしょう。でもそれでは、「それが何なのか、探してみよう」と結びつかないのです。

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