「カーネーション」 鬼藤千春

カーネーション    鬼藤千春

 三月三十一日。
 瓜生貴志の定年退職の日である。彼は机の抽斗の中を片付けていた。私物と役所の物を分けながら、苦い想いを噛みしめていた。十八歳から六十歳まで、実に四十二年間勤務してきた市役所の建築課である。
 貴志は建築課の係長だ。係長どまりだ、といった方がいい。同じ工業高校から同期入所の榊悟朗は、建築部の部長である。建築部はいくつかの課を統括する部署であり、そこのトップが榊であった。
 広いフロアの最も奥の席に榊は座っている。貴志が片付けの手を止めて、その席の方に眼をやると、榊は腕を組んで鷹揚に構えていた。その席に近づいて頭を下げている部下を見上げて、屈託のない笑顔を振りまいている。
 榊はよく仕事をする男だった。入所した当時から退勤の五時になっても、ほとんどその時間に席を立つということがなかった。課長や係長が仕事を切り上げるまで残って、よく一緒に帰っていた。そして、部長の席まで駆け上ったのである。
 貴志は仕事ができないという方ではなかった。ただ、彼は高校のとき文芸部に所属して、雑誌の発行などに携わってきた。ベトナム戦争や文部省の愛国心を育成する、「期待される人間像」などの研究会にも首を突っ込んでいた。だから、労働者に対する当局のあり方などについて、関心をもって見守ってきたのだ。
 さらに、ここの労働組合は、特定政党支持を機関決定し、その政党へのカンパも強制されていた。貴志は組合員だったけれど、それには初めから納得がいかなかった。労働組合は要求に基づいて団結するのであって、その構成員の思想、信条は守られなければならない、と考えていた。
 貴志は職場集会などで、組合の執行委員に異議を唱えてきたのだった。そのために、組合は貴志を敬遠するようになったのだ。そのうち組合のレクリエーションなどにも誘いがかからないようになった。
 貴志に対する当局の差別も露骨に行なわれた。彼が主任になった時には、榊はもう課長になっていたし、ようやく係長になった時には部長になっていたのだ。貴志はそのたびに屈辱を舐めてきたのだ。後輩が彼を次つぎと追い越していった。彼は労働組合からも当局からも睨まれながら、仕事をしてきたのだ。
 抽斗の中を整理しながら、貴志は硬く唇を噛んでいた。不意に苦い胃液がせり上がってくるような嘔吐感があった。この四十二年間は貴志にとってなんだったのか。差別と屈辱の永い時間だったのだ。
 が、貴志は外部の演劇サークルや登山の会に所属して、市役所での疎外感から開放されて、愉しく過ごすようにしてきた。そんな趣味の会に、職員を誘って入ってもらっても、当局か労働組合からの横槍が入って、すぐに去ってゆくということがずっと続いてきた。
 榊のところへは、ひっきりなしに部下たちや他の職場からも挨拶に来ていた。が、貴志のところへは誰もやって来なかった。彼は黙々と抽斗の中を片付けているのだった。
 午後から貴志は、建設部の職員に挨拶をして回った。しかし、彼らは視線をちょっと貴志の方に向けて、口を歪めて笑って見せるだけで、すぐに俯いて書きものをするのだった。
 なぜなんだ、どうしたというのだ。俺が何をしてきたというのだ。もっと胸を張って、顔を上げて生きてゆけないのか――。貴志は心の中でそう叫ばずにはおれなかった。が、当局や労働組合の眼が怖いのだ。決して彼らのせいではない。
 柱にかかった大きな時計が、五時を指しチャイムが鳴った。榊の席を多くの職員が取り囲んで、にぎやかに談笑している。ときに弾けるような笑いが起こっていた。
 そのうち、若い男が大きな花束を榊に渡し、一斉に拍手が沸きあがっていた。貴志も彼のところへ足を運んで、挨拶をした。
「おう、瓜生君か。お互いこれまでよく頑張ったなあ。君はこれからどうするんだ。元気でやれよ」
 榊は右手を伸ばしてきた。
「まだ、何も考えてないよ。しばらくゆっくりするつもりだ。部長も元気でいて下さい」
 貴志も右手を差し出した。榊の左手には大きな花束が抱えられていた。
 貴志は自分の席に戻り、ビジネスバックを手にして、ひっそりと帰ろうとした時だった。ひとりの女性が、彼のところに駆け寄ってきた。そして、花を一輪貴志に手渡して、
「永い間、ご苦労様でした」
 と声をかけ、微笑んだ。
美しい笑顔が印象的だった。そして、彼女は足早に立ち去っていった。
 それは、真紅のカーネーションだった。
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コメント

貴志はどういう人物なのか
 貴志のイメージが捉えられないのです。出世とは別のところで信念を持っていた人物とも思えるのに、出世競争に敗れたことをえらく気にしている。人間にはもちろん矛盾した感情はありますが、あまりに支離滅裂で、そういう人物に対する風刺なのでしょうか。

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