「蟹工船」評 石崎徹

小林多喜二「蟹工船」(新潮文庫「党生活者」併載)評 石崎徹

 45年ぶりの再読である。実はむかし読んだときはぴんと来なかったので、今回も、期待していなかった。むしろあらを探してやろうという気持ちで再読したのである。
 文章はあまり上手じゃない。だから最初のうちちょっと読みにくい。それでも今回ひきこまれてしまった。小説の魅力は必ずしも文章力だけではなさそうだ。
 2008年のブームは、(インターネットに出まわっている噂のひとつによると)、毎日新聞紙上での高橋源一郎との対談で、雨宮処凛が、その前日にたまたま読んだ当作品に「感動した」と言ったことがきっかけで徐々に読まれはじめ、それを新聞が記事にし、さらに郷ひろみがテレビのお笑い番組で、芥川と言うところを間違えて多喜二と言った瞬間にブレイクしたらしい(?)。160万部売れたそうだ。もちろん、何人が読了したかは分からない。2,3ページで挫折した人も多かったのではないか。書き出し部分が退屈なのだ。だが、せっかく買ったからには、そこを我慢して読み進めてほしい。蟹工船現場の迫力に圧倒されること請けあいである。
 作中、学生上りが「ドストエフスキーの『死の家の記録』も、ここに比べればましだ」とこぼす場面があるが、この作品には「死の家の記録」の影響が濃厚に認められる。余談だが、これも大変読みづらい本である。ストーリーというものが全くなく、シベリア監獄の徒刑囚たちの日常が延々と書き込まれているからだ。だが読み進むうちにその迫力に圧倒される。トルストイが激賞し、もう一人は「ミケランジェロの壁画だ」と言った。ドスト自身、「一幅の絵のように書きあげたい」と望み、そのとおりになった作品である。
「蟹工船」もまたミケランジェロである。荒れ狂うオホーツク洋上の、400人もの船員、漁夫、雑夫の労働、虐使、サボタージュの描写がありありと目に浮かび、そのまま、システィナ礼拝堂の「最後の審判」を想起させる。
 蔵原惟人は新潮版の解説で、「集団の迫力は描いているが、個々の人物を描けていないのが欠点である」と言った。これは無理な注文だ。確かにドストの「死の家の記録」は何十人もの徒刑囚一人一人を克明に描いているが、それは彼自身徒刑囚として数年を過ごしたからできたことである。25歳の一介の銀行員が取材だけでそこまで書けるわけがない。想像力で書いたとしたら、おそらく単なる作り事になってしまっただろう。多喜二はリアリティを失わずに済むぎりぎりのところからはみ出さなかったのだ。
 むしろ、人々がどういうわけか評価する「もう一回」というのは要らなかった。実際に「もう一回」があったのかどうかは別にして、この作品の必然性からは「もう一回」は出てこない。それはせっかくのリアリティを最後に損なっている。
 現代の読者から奇異に映るのは、ロシア社会主義に対する無邪気な信頼であろう。だが、それはロシアの実情を入手できなかった時代の制約であって、にもかかわらず、ロシア革命が当時世界中の労働者を励ましたという事実は消すことができないだろう。
 インターネットで「小林多喜二蟹工船」を検索すると、43万9千件出てくる。何万もの人々がそれぞれのサイトで感想を書いている。とても読みきれない。一冊の本を人々は様々な角度から読む。どう読んでも自由だ。ここに書いたのもそのひとつだ。
「蟹工船」を、「ミケランジェロの壁画」としてじっくりと味わっていただきたいというのが、筆者の希望である。
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