竹内七奈「自然的平穏生活」(「民主文学」15年3月号)

 老いたせいで、読んだ本の内容をすぐ忘れるが、この作家のものを批評した覚えがあったので、検索した。便利な時代になった。
 去年の新人賞受賞者であった。作品の内容を定かには思い出せないが、だいたいどういう作品だったかは思い出した。奇妙だが、魅力的な作品だった。そして今回もそうである。
 相変わらず見たこともないような漢字熟語を多用する。その上に、現代ではひらがなで書くのが普通の副詞に、明治時代風の漢字をあてて書く。こんな言い方ないだろ、というような奇妙な言葉の使い方もある。きわめつきは、まったく内容にふさわしくない形而上的なタイトル。
 だが、まず書き出しで読者をひきつける。
「恋愛は、死ぬのには邪魔である……いざとなれば死んでしまってもいい、と覚悟することで生き易くしたい……死に難い因を自ら作る必要はあるまい」
 個性的だし、何が書いてあるのかなと興味をそそられる。
 そのわりに話は平凡なのだが、面白いことは面白い。両親の不仲と離婚がトラウマになって、恋愛しにくい女性がいる。すでに40才くらい。60くらいの男と付きあい始める。これが、一男三女を作りながら浮気で離婚せざるを得なくなった男である。金もないのに飲んだくれであり、生活のあらゆる場面で趣味の違いにぶつかる。にもかかわらず、なんとなく馬が合う。
 結婚しようかという段階になって、男の息子や娘が出てくる。彼らは自分たちの母親を捨てた男を恨んでいる。女は、自分もそういう境遇なので、かれらの気持ちはわかるのだ。
 そういうごたごたを書いている。通俗的な筋立てで通俗的なテーマを書いているのだが、でも引き寄せられるものがある。そこには飾らない人間の性(さが)がある。こういう通俗的な言葉をルビ付きで使ってみたくなるような作品だ。
 いうならば、織田作之助の「夫婦善哉」や、太宰治の「ヴィヨンの妻」のような味わいがある。
 ここにはたてまえはない。通俗的であっても人間の現実がある。そしてそれを決して突き放してはいない。包容力を感じさせる。
「民主文学」にこのような作品が載るようになったことはよい傾向だ。

(「石崎徹の小説」から転載)
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