能島龍三「北からの風に」(民主文学1月号)

 何らかの体験をもとにせねば書けない作品であろう。リアリズムの重量を感じる。こういうものを読むと作りものの小説を薄っぺらく感じてしまう。
 精神障害の子供たちが入院している病院での話だ。その病院の中に学校があり、小学中学相当の子供たちを教育している。それまで知恵おくれの子を受持ってきた<私>は定年まぎわになって初めてこういうところへ来た。未経験である。
 障害の程度はさまざまだが、特に重症の子がおり、孝弘という15歳の少年がそうだ。作品は孝弘に焦点を当ててほとんどそれだけを書く。主人公は孝弘といってよい。
 幼児期に父親の激しい暴力を受けて脳にダメージを負った孝弘は、日常的に他人に暴力をふるってしまう。病院は人手不足もあり、彼を監禁し、なおかつ筋弛緩剤で動きをセーブしている。精神の動きがにぶく、教育どころではない。
 前任者の説明ではそれはいまの医者の方針で、以前の孝弘は小数も分数もでき、地理が好きだったのだという。
 医者が交代したおりに、<私>は薬を減らせないかと提案する。医者は迷うが、やってみようという結論になる。
 薬を減らすと心も体も動きが活発になり、その分暴力も頻繁だが、<私>はコツを習得して、危険を抑止しながら、次第に自由の幅を拡げてやろうとする。
 孝弘の暴力はやまないが、本人はそれを悪いことだと自覚しており、にもかかわらずやってしまうことに自責の念を抱いてさえいる。
 こういう孝弘を見て、<私>はいま孝弘の精神は最も高いところへあるのだと感じる。
 そして破局はいきなり来る。ちょっとしたきっかけで、孝弘の脳は最高の状態から最悪の状態へと一挙に転落する。暴力がとまらなくなり、拘束するしかなくなる。やがて急性硬膜下血腫を起こし転院、命は助かったようだが、肢体不自由児施設にいるという。だがこういうところの教師はルールによって生徒との個人的接触を禁じられており、それも噂に聞くだけだ。
 人間存在というものの重みをずっしりと受け渡される作品である。

(「石崎徹の小説」から転載)
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