8月例会の報告と9月例会のご案内

9月例会のご案内
日時 9月28日(日) 13時~16時半
場所 吉備路文学館

内容 「民主文学」10月号の合評
    「赤い万年筆」永澤滉
    「夏草を刈る」梅崎萌子
 まがね56号の配本を予定しています。
 
8月例会の報告
8月17日、吉備路文学館で例会を開催しました。参加は妹尾、久戸瀬、井上淳、田中、笹本でした。

「憂国」(三島由紀夫)の合評を行ないました。
・文章は美しい。
・生活感覚がない。
・民主主義、大衆化を倫理の崩壊と見る価値観だろう。
・美意識、倫理観に共感できない。
・「潮騒」は普通の小説だったが、これはよくわからなかった。
・描写は鬼気迫るものがある。
・指を「夕顔のつぼみ」と表現するなど、王朝文学のようだ。
・板ばさみになって切腹するという行為がなぜ「憂国」なのかわからない。

受贈紙誌
東くるめ通信NO.53(東久留米支部)
東京南部ニュース第533号(東京南部支部)
支部月報373号(仙台支部)


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コメント

曇った眼!
非正規労働者の増大とセクハラの増加は、三つの資料によっても明らかである。まだ、他の資料を当たればより一層明確になる筈である。仮にも労働組合の委員長をしている人間が、この関係性が理解できないということはどういうことか。事物の本質が見えない、曇った眼というほかない。こういう現象がなぜ起こるか。それは、階級闘争の変革する立場が欠落しているためである。石崎のような、党の支持者を名乗りつつ、反共の立場に立つ、党からの脱落者に迎合する笹本も「同じ穴のむじな」である。石崎は、日本社会の変革の展望を失っている。文学でも然りである。彼がいうには、現代文学は現実を描かなければならない、といいながら、未来への展望を語ることができない。まさに、「敗北の文学」である。そういう男の「セクハラ論」にすり寄る笹本もまた、同類といわざるを得ない。「犬は吠えても歴史はすすむ」。もう一切君たちのようなものと関わりたくない。ブログへの訪問、メールなど、断固拒否する。
「民主文学会岡山支部」はどこへ向かうか
「まがね文学会」は、日本民主主義文学会の支部である。「民主文学会」は大会方針で、「文学の創造・批評を通じて、文学と芸術の民主的発展に寄与する」ことをめざしている。非正規労働者のおかれた厳しい現実を告発し、展望を指し示すような文学もまた求められている。望月笑子の「無機質な腐敗」も、そういう観点で書かれている。非正規労働者の増大とセクハラの関係をきちんと位置づけている。「無機質な腐敗」は、その典型として描出されているのである。君たちは、それが読み取れないのか。20年前、あるいはそれ以前のことを持ち出して論じている。どこにその根拠があるのか、それを示せるというのか。人の発言を批判する場合、その根拠を説得的に示さなければならない。20年前と現代は激変している。現代は若者・女性の2人に1人が非正規労働者である。もちろん欠点のある「無機質な腐敗」という作品であるが、しかし、民主文学のめざす方向にかなった作品である。私は現代の非正規労働者とセクハラの問題を作品化したことを評価しての発言だった。岡山支部はどこへ向かおうとしているのか。大会の方針を堅持して、運営していっているのか。事務局長が、こういう認識で果たしていいのか。岡山支部は変質したのか。反共主義にまみれた共産党くずれの石崎に迎合する事務局長。それで、「文学・批評を通じて、文学と芸術の民主的発展に寄与する」という方針に基づく活動ができるのか。「木をみて森を見ない」非正規労働者の増大とセクハラの増加問題の認識。それで、よく事務局長が、また、仮にも労組の委員長が務まるものだ。「ノミが跳んでいるのは見えるけれど、馬が跳んでいるのは見えない」類いの認識でしかない。本当に事務局長の任務と果たす役割が解っているのか。岡山支部は、いま、思想的な危機に陥っている。その変質を許してはならない。反共主義への迎合・すり寄り、それは、日本の民主的変革への展望を失った男・石崎への迎合・すり寄り・太鼓もちでしかない。

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