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民主文学新人賞受賞作品 竹内七奈「せつなげな手」 石崎徹

 奇妙な小説である。
 聞き慣れない漢字熟語がかなり場違いな感じで方々に顔を出す。古びた言い回し、大げさな表現。
 その上に、まるで思いつくままに書いたかのように、脈絡なく無関係なことがらが挿入され、しかもそこを本文と同じ比重で書く。
 支離滅裂という感じで進んでいくが、それがじつは主人公の精神状態ときれいに重なるようにも思える。
 しかも読み終わってみると書き出しと末尾がぴったり符合し、全体がひとつにまとまっている。
 奇妙だが、魅力的な作品だ。
 主人公の名前は作者と同じ竹内さんである。作品の現在において竹内さんは35才で、作者より4、5才若い。だが主文は3年前の回想であるから、32才の女性の話である。
 どこまでが作者の意図して仕組んだことなのか、それとも意図せずしてこういう書き方になったのか、そこに興味をそそられるが、結果として、この作品の場合は成功しているともいえる。
 郵便局の労働が丁寧に描かれる。かなり煩雑な労働だが、比較的わかりやすく書いている。
 タレントになりそこなってアルバイトにやってくる青年が、金もなく医療保険にも入っていないために命を落としてしまう。
 全体に現代の若者たちが直面している労働と社会の仕組みの不条理が浮き出てくる。
 そこに竹内さんという女性の、個性からもくる生き難さ、生き難い中で必死に生きている様子、そして挿入される部分の、竹内さんの未熟だが真剣な社会への批判、こういうものが混然一体化して、奇妙で魅力的な世界を構成している。
 竹内さんの一人称で彼女の見聞きし感じ、また考えたことがつづられていくが、彼女自身の過去が明瞭に語られることはない。それは必要に応じて部分的に語られるだけだ。
 父親が漁師であること、未熟児で生まれ摂食障害があること、両親は離婚していること、20才のとき自殺未遂を起こしたこと、等々であるが、20才のときは一人暮らしらしく思えるのにそののち父親と一緒に暮していたり、あるときは母の店を手伝ったり、具体的な家族関係は明瞭には説明しない。
 漁師の父親が病弱である(15ページ)というのもちょっと違和感がある(漁師はたくましいという先入観のせいとしても)が、その父親が40年間医者に行ったことがない(24ページ)ということと整合性がとれない感じもする。
 さらに違和感のあるのは、この作品が「都心の」と書き出されることだ。日本で「都心」といえば東京にしかない。父親はどこで漁をしているのだろうという疑問がわく。あるいは地方都市の中心部を都心と呼んだのであろうかと思うが、それにしてはまだ芸能事務所に所属しているタレント崩れがアルバイトに来るのが不自然に思える。あるいは地方の芸能事務所なのであろうか。もっとも東京近辺にも漁師はいるだろうが、地理的説明がないのでわからない。
 そういうことも含めてわからないことが多い。たとえば、いろんな過去を行き来するので年齢も含めて理解に骨が折れる。
「八年前のある日」と書き出しながら、まず十年前のことを長々と書いて「この二年後のことだった」でようやく八年前のことが語られる。
 過去が表現の必要上錯綜させられるのは一向に構わないし、読者が努力すべきだと思うが、この場合は不必要な錯綜であろう。
 細かく見ていけばかなり欠点の目立つ作品である。
 特に彼女の展開する社会批判には独りよがりの傾向が強い。だがそれも作者のではなく物語の主人公竹内さんの未熟さの表現だとすれば、人物造形に一役買っているようにも思える。
 それもこれも含めて、不思議な魅力を持った小説であることには変わりない。

(「石崎徹の小説」から転載)
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