「右遠俊郎さん逝く」   鬼藤千春

「右遠俊郎さん逝く」     鬼藤千春

 10月13日(日)、3キロの散歩を終えて、車に乗って家路につこうとしたとき、突然携帯電話が鳴った。余談だが、「突然携帯電話が鳴った」という表現は、日本語の用法としてふさわしくない、という意見もある。電話というのは、予測もなく「突然鳴るものだ」というわけである。
 それはともかく「突然、電話が鳴った」のだ。文学会の仲間からだった。彼女は「右遠さんが亡くなった」と言った。私はとくに驚くようなことはなかった。やはりそうだったのか、という冷静な気持で受けとめた。それは彼が脳梗塞で倒れて2、3年寝たきりだというのを聞いていたからだった。
 だから、折々に右遠さんは「いま、どんな状態なのだろうか」、ということを思いやっていたからである。が、冷静に受けとめることはできても、「惜しい人を亡くした、残念でならない」という気持が静かに広がってゆくのを感じずにはいられなかった。
 彼は日本の文学者の中でも、私の内で十指に入る好きな作家のひとりである。ウィキペディアによると、このように記されている。右遠俊郎は1926年9月1日生まれ、日本の作家・文芸評論家。岡山県生まれ。少年期を大連で過ごし、旅順高等学校に進む。
 戦後、東京大学国文科卒。『新日本文学』などに小説、評論を発表。1959年「無傷の論理」で芥川賞候補。その後日本民主主義文学会(当時の名称は文学同盟)に加入する。1989年『小説朝日茂』で多喜二・百合子賞受賞。
 これによると、享年87歳である。私は右遠さんと直接話をする機会には恵まれなかったが、日本民主主義文学会の大会で遠目に眺めていた。彼の発言は他の人と違って、一味違った趣があり、惹きつけられたものである。お会いすることは叶わなかったが、「まがね」に作品を発表すると、その都度辛辣な批評をしてくださった。
 ファイルを捜していたら、右遠さんの自筆の批評のコピーが出てきたので、ここで紹介させていただくことにする。「何だかみんな、小説を書きなれてきた感じに見えます。上手になったともいえるでしょうが、文章に丁寧さが、薄れています」とやんわり、しかし手厳しい指摘がなされています。
 「読み甲斐があったのは、鬼藤千春さんの『炎立つ』と、長瀬佳代子さんの『村でくらせば』の二つ。前者は、短くなっても寺と紅葉にしぼった方がいいと思いました」と記されています。
 また、次のような批評をしていただいている。「鬼藤千春さんの『文学教室』、若いとき文学を志してその道に進めず、還暦をまえにして、恐れながら文学に戻ろうとする心、その間の悩み、崩れかけ。文章もしっかりしているし、共感を誘うものがありました。が、『文学教室』が余分でした」
 このように、右遠さんは「まがね文学会」をいつも心にかけていて下さいました。私のつたない作品にも温かい、しかし的を射た批評をしてくれました。「巨星墜つ」と言えば、右遠さんは顔を歪めて、睨み返してくるに違いないが、惜しい人を喪った悲しみは、ひたひたと押し寄せてくる。
 「右遠さん――」、今までのご指導ご鞭撻に深く感謝いたします。ご冥福を心からお祈り申し上げます。安らかにお眠り下さい。

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