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秀作・実盛和子「英ちゃん」を読む  鬼藤千春

秀作・実盛和子「英ちゃん」を読む  鬼藤千春
1992年8月「まがね」第24号

 敏子の姉の夫、義兄の葬式のあとの打ち上げでのことである。喪の客も次第に立ち上がって、午後5時に始まった酒盛りも大分下火になってきた。もう9時になっていた。が、居残った人たちは足を投げ出したり、立てひざをしたりして行儀が悪いことおびただしい。喪の家の者が酒席をもてなし、燗の番から酒の酌までやらされるのである。
 敏子はそれがたまらない。独り台所にいると、「一寸きて酌でもせんかや。積もる話もあるでのう」と、幼な友達の英一(英ちゃん)が来て言った。敏子が燗をして座敷に入ってゆくと、英一は大胡座をかいている。「ま、ええから一杯飲めや。わしにも酌をさせてくれえや」敏子にコップを持たせ、ビールを注いだ。そして敏子の顔をしげしげと見た。
 「あんたも偉うなったのう。で、今は共産党の幹部か。子どものころ泣き虫じゃったあんたがのう」、「いや私は幹部でも何でもありゃしません。ただ『赤旗』を配ったり、ビラを撒いたりしとる位です」それから英一は、葬式の電報のことで、からんできた。共産党の参議院議員候補と町会議員候補の弔電は、お前が打たせたのかというのだった。
 「共産党も厚かましいのう。明日は町議選挙の告示ぞ。わしは同級の中山京一を応援しょうるんじゃ。この村で票がよそへ逃げるようなことはわしが許さん」英一はよほど腹に据えかねているようだった。「じゃからわしは共産党が大嫌いなんじゃ」と憤慨している。
 「共産党がむつかしゅういうから、まとまるもんもまとまらん。皆とおなじことをしょうりゃあええんじゃ。電報までよこしても此処の票は何ぼも出りゃあせん」敏子は呆気にとられてしまった。何時の間に英一はこんなにわからずやになったのか。こんな支離滅裂な論理が通るとでも思っているのだろうか。
 「あれ、もう10時じゃが、そろそろ迎えの電話を入れようか」と姪の益美が言って、英一の家に電話をした。ものの5分もすると英一の息子はやってきた。40歳くらいの背丈の高い息子に半ば担がれるようにして、英一は玄関を出て行った。
 それを見てから敏子はそっと裏口へ回った。「英ちゃん、そこまで送ろうか」、「あ、送ってくれるいうんか、嬉しいのう」と言って、英一は息子を先に帰らせた。夜風が肌をなぶるような4月の夜である。「ここで蛍とってよう遊んだなあ」、「よう遊んだのう。あの頃はよかったのう。敏ちゃん、あっという間の50年じゃ」
 「英ちゃん、今日座敷で共産党のことを大嫌いというたけど、あれは本気でいうたん」敏子は一寸きつい調子で言った。「英ちゃん、あんたずっと以前に共産党に入っとったことがあったなあ。どうしてやめたん?」英一は立ち止まったまま、煙草をふかく吸い、吐き出した。「ひと口にはいえんのう。戦後のどさくさ紛れにやったことじゃ」
 「原因は矢張りレッドパージかなあ。ある日、突然わしの目の前から党が無くなってしまったんじゃ。それで途方にくれてのう。寄ってゆくところもないし、やめたも同然よ」
 「では共産党を嫌いというわけではないんじゃね」敏子は、この点だけははっきりさせないと気が済まない。「英ちゃん、私は共産党に入って20年になるけど、いつも胸を張っとるよ。それはしんどいことは一杯あるわ。でも世の中を変えるんじゃから当然のことじゃ。だからこそしんどくてもやり甲斐があるんじゃない」英一は何もいわずに聞いていた。解った、解ったというように頷いていた。
 「敏ちゃん、一寸待っとれや。苺が熟れとるで」英一はハウスの中に入っていった。暫くごそごそ動いていたが、両手いっぱいの苺を摘んで出て来た。「食べえや。今年は出来が良うてのう」敏子はひとつ摘まんで口に含んだ。ツンと甘酸っぱい味と芳香が口の中に広がった。英一は敏子の白いエプロンを広げさせて、その中に苺を入れた。
 エプロンの中の苺はさわやかに匂った。

 これは、1992年度の「民主文学」支部誌・同人誌推薦作に入選した作品である。英ちゃんの人間像がくっきりと活写されている佳編である。「苺」という題名にしてもいいような、苺の甘酸っぱい味と香りが英ちゃんの「人となり」を象徴的に表している。
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