入江秀子「まっすぐ顔を上げて」を読む  鬼藤千春

入江秀子「まっすぐ顔を上げて」を読む  鬼藤千春

 これは実際に起きた事件を題材にしており、小説の内容もほとんど事実に基づいて書かれている作品である。作者はこの事件に関して、2004年9月に「叫びー冤罪・大崎事件の真実」と題するノンフィクションを上梓している。
 大崎事件は、1979年10月15日に起こった。自宅に隣接した牛小屋堆肥置き場で、家主の遺体が発見されたのである。それから、かれこれ34年の歳月が流れているのである。
 この作品は、2013年3月6日、鹿児島地裁が第二次再審請求を棄却したことを契機にして書かれたものである。つまり、モチーフもテーマもそれに依拠している。
 私の胸を強く打ったのは、次の件である。少し長いが引用する。
 「数人の弁護士たちに守られるようにして車椅子に乗ったアキ子(再審請求人)が、エレベーターから降りて来た。着古して、袖口が擦り切れ、胸のあたりにいくつか染みの付いたくすんだモスグリーンの厚手のジャンパーを着て、灰色の冬帽子を目深にかぶり、足元に目をやると左右違った古いサンダルをつっかけている。その姿を見た瞬間、響子(主人公)の目から涙があふれて来た。それは、不当決定に対するストレートな怒りというより、大勢の人の中に出て行くのに、すでに一人では身だしなみすら整えられなくなってしまっているアキ子の老いに対する深い悲しみの涙だった」(かっこ内は評者)
 事件が起きた時、アキ子は52歳だった。それから34年、いま85歳である。(年齢は生まれ月によって違っている)アキ子は、34年もの永きにわたって苦難の道、人生を歩いてきたのである。そのことが、引用した文章によって如実に語られている。この描写は、アキ子の人となりを的確に表現しており、彼女の人間像を浮き彫りにしている。
 この作品の大半は、福岡高裁宮崎支部で、鹿児島地裁の出した再審開始決定が棄却された、9年前の回想である。この作品の題名は、「まっすぐ顔を上げて歩けるようになるまでは死んでも死に切れん」という、アキ子の言葉からとられている。

 この作品を概括して評すと次のようになる。
①まず、読者の心を打つのは、事実の重さであり、それがこの作品を支えている。
②作者はすでに単行本を上梓している作家なので、文体・文章が優れており、話の展開、筋運びも巧みで読者を飽きさせない。
③響子がアキ子に初めて出会ったのは1995年で、すでに18年を経ている。そして事件が起きてからは34年である。その永い歳月をひとつの短編に創りあげた筆力は確かである。
④第二次再審請求が棄却されて、アキ子は「私はやっていません。やっていないことをやっていないと言い続けているのに、なんで認めてくれないのですか。残念で、悔しくてたまりません」という言葉を発する。だがその声音にはかつての闘志も悲痛な叫びさえも感じられない。アキ子は車椅子に乗り、じっと石のように固まったまま俯き続けている。このアキ子の描写は優れている。
⑤が、にもかかわらず、響子はこの閉塞情況に戸惑いながら、未来への希望を模索しつつ、この物語は閉じられるのである。
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