小宮次郎「虹の橋」を読む  鬼藤千春

小宮次郎「虹の橋」を読む  鬼藤千春

 これは銀行の女性、正行員と非正行員の連帯・団結を描いたものである。現代社会における女性の非正規社員は、50%を超えているといわれている。その非正規社員の処遇は極めて劣悪なものである。同じような仕事をしていても、賃金が半分以下とかボーナスが無いか、あっても僅かである。年休なども与えられていない職場は少なくない。
 そのために、正規社員と非正規社員が連帯・団結をしてゆくのは困難が伴うのである。この銀行でも正行員と非正行員の間には溝がある。
 「正行員はいいよね。休んでも早退でもお給料が引かれなくて」
 パートの梅村順子の言葉である。
 このように、正行員と非正行員の間には、埋めるのは相当難しい溝が横たわっている。しかし、正行員が1年で最も忙しい12月を前にして、退職してしまう。そのために、正行員もパートも連日残業が強いられるようになった。また、現金が10万円合わない、というトラブルも発生した。
 主人公の夏美は、課長や支店長や組合役員と掛け合って、1人増員するように要請してきたが、彼らはいずれも難しいということを繰り返すばかりであった。そこで、夏美たち正行員とパートの女性が集まって、嘆願書を提出することにしたのだ。そして、正行員とパートの女性全員の署名と捺印の嘆願書が作られ、支店長に提出されたのである。
 題名の「虹の橋」というのは、ここからきている。つまり、正行員とパートの溝が埋められ、橋が架かったのである。
 この作者は、「民主文学」初登場である。この作品のモチーフもテーマも明確で、それに沿った物語が展開されている。無駄なことがほとんど書き込まれることもなく、簡潔で分かりやすい小説になっている。つまり、ムダ、ムラ、ムリのない作品になっている。初登場の作者は、一応の成功を収めた作品を書き上げたといっていいだろう。
 が、私はこの作品を読んで、「社会的な事件、出来事と人間」ということを考えさせられた。「社会的な出来事」を書いてゆく場合、よく落ち込むのは「人間」を描くということが、おろそかになるということである。
 私たち読者は、社会的な事件、出来事がどのように展開され、どのような解決をみるのか、という興味ももちろんある。しかし、読者が真に求めているのは、事件や出来事の在りようではなく、その中に生きる人間である。つまり、「時代と社会の中に生きる人間」がどのように形象化されているか、そのことこそが真に求められているのである。
 そして、小説を通して「人間とは、人間らしく生きるとは、人生とは」を受容し、感得したいと思っているのである。この作品は、小品でそこまで求めるのは控えなければならないが、夏美と順子の人間像をもっと深く描くということも、課題として残っていると言わなければならない。
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