芝田敏之「人気投票」 石崎徹

 芝田敏之「人気投票」(民主文学7月号)     石崎徹

 一口に小説と言っても、そのスタイルはさまざまである。人生の微妙で奥深い様相を濃密な文体で提供してくれる作品もあれば、行き場を失った精神の叫びのような作品、あるいは読者を迷路に踏み込ませるような難解なもの、いずれもスタイルに内容が伴っていれば読むに値する。
 芝田敏之はあくまで軽い文体で、面白くさわやかに物語を作り上げる。
 3月号に「種火」を書いた作家である。「種火」は40年前の話で、自伝的要素を濃厚に滲ませながらも、小説としての構成を過たず、軽く面白くさわやかな話に仕上げていた。時代の雰囲気もよく映しとっていたと思う。
 今回は現代のスーパーを舞台に、やはり軽く面白くさわやかな物語を提供している。「種火」から想像するに、おそらく作者は60代と思われるが、現代の雰囲気を間違えていない。
 しかも軽く書きながら、物事の扱いは決して軽くない。経営と労働のとらえ方、その対立と一致。とりわけスーパーの描写は写実的である。橋下発言の扱い方もうまい。
 ただ少し物足りない気がするのは、問題がいかにもあっけなく解決してしまい、そこに葛藤が感じられないからだろう。
 読者というものは贅沢なもので、話がうまくいきすぎると不満なのだ。どこかに未解決な問題が残ってほしいのだ。それは実際の人生がそういうものだからでもあろう。この作品の場合には杉山の店長としての評価が今後どうなるのかというところに不安材料を残してはいる。だがそこは素通りされてしまった。
 「種火」の場合は、面接に失敗するかもしれないという不安を押し切って決断したところに焦点が当たっていたので、この「決断」のさわやかさが印象的だった。今回作も杉山の「決断」で終わらせるべきだったのかもしれない。
 そういう不満は残るが、こういう小説は「民主文学」にぜひ必要である。ともかく面白く最後まで一気に読ませてしまう。退屈するところがない。楽しませる。それでいていろいろ考えさせる。
 冒頭に書いたようにこういうものが唯一の小説だとはぼくは考えないし、小説はいろいろあるべきだが、「民主文学」に特に不足しているのは、こういう小説を書ける作家だろう。
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