芝田敏之「人気投票」を読む  鬼藤千春

芝田敏之「人気投票」を読む  鬼藤千春

 これは、「なぜ書くのか」、「何を書くのか」、「どのように書くのか」、が明瞭な作品である。モチーフもテーマも創作方法も非常に意識化して書かれている。
 この作品は、いろんな夾雑物が捨象され、テーマに向かってゆるぎなく物語が収斂してゆく。つまり、「人気投票」がいかに不条理であるかが吉田義男や、レジの女性たちによって明らかにされ、店長はそれを撤回するという物語である。
 不条理は敗北し道理が新しい地平を獲得するのである。したがって、この物語は一見爽やかで、溜飲が下がるように思える。だが、一読して本を閉じたあと、私は何か違和感を覚えずにはいられなかった。
 それは一体何だったろうか。それは「虚構」ということだった。「虚構」ということが私を捉えて離さなかった。
 「虚構」を辞書で当たると、「事実でないことを事実らしく仕組むこと。また、その仕組んだもの。作りごと。フィクション」とある。
 この作品は「虚構」でありフィクションである。たとえ事実が部分的にあったとしても、その事実を分析し、再構成した虚構の世界を描いたものだろう。小説というものは、だいたいそういうものだ。
 「事実と虚構」、その違いはどこにあるのだろう。事実を書けば小説になるということではない。事実を書いたのだから「本当のこと」だ。だから、真実だ、という風にはならない。事実は事実に過ぎなくて、真実ではない。作家が「虚構」を駆使して書くのは、真実に限りなく迫ってゆくためだ。
 この「人気投票」が問題なのは、「虚構」にあるわけではなく、その「虚構」が、恣意的であるということだ。テーマに向かって物語を創ってゆくのに、作者の設定があまりにも安易ではなかろうか。
 橋下というテレビの男、人気投票、来店者数と売上増、吉田義男という男の存在、レジの女性たち全員の署名簿、店長の人気投票の撤回などの設定が、恣意的でカリカチュア(戯画的)なのである。
 いくら、小説の世界が「虚構の世界」だといっても、リアリティーをもたず、現実にしっかり立脚していなければ、その小説世界は瓦解してしまうのだ。それが惜しまれてならない作品である。
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