「赤い手袋」  笹本敦史

 赤い手袋   笹本敦史

 公園で四歳の娘を遊ばせながら、私はベンチで文庫本を読んでいた。娘は同じ年代の子どもたちの中に入ると、すぐに友だちを作ってしまう。私は決して社交的な性格ではないので、きっと妻に似たのだろうと思う。今も初めて会った二三歳年上の女の子二人と仲良くなり、砂場で何かを作っては壊す遊びを飽きることなく続けている。
 若い男が私の隣に座ってきた。私は居心地の悪さを感じはじめた。公園には空いているベンチがいくつもある。わざわざ隣に座ってきた男のことが気になり、しだいに文庫本の文字が頭を素通りするようになった。意味が理解できず、三行前から読み直したが、やはり文字が頭を素通りしていく。
 私は横目で男を見た。二十歳前後だろうか、これと言った特徴のない顔だ。一時間後にどこかですれ違っても、この男だと気づくことはないだろう。そんなことを考えていると男がこちらを向き、目が合った。
「最近、変だなあと思うことがあるんですよ」
 男が言った。私に話しかけたのだろうとは思ったが、私は目を逸らし聞き流した。
「赤い手袋があるじゃないですか」
 若い男は馴れ馴れしい口調で話し続けた。
「ホームセンターなんかで売ってる作業用の手袋ですよ。手のひらがゴムで、甲のところがポリエステルかなんかの赤い布でできてるやつですよ。布が緑とか青とかもありますよね」
 若い男が言っているものが何となく想像できた。気がついたら私は頷いていた。
「最近、あちこちで見るんです」
「そんなに珍しい物じゃないからね」
 無視するつもりだったにもかかわらず、つい私はそう言っていた。男はゆっくり頷いた。
「そうです。店で売っていたり、人が使っていたりするのを見るのは珍しくないです」
「それじゃあ、何が?」
 私は男のペースに乗ってしまっていることに気がついたが、とりあえずこの男が何を言おうとしているのか知りたい気持ちになっていた。
「落ちているんですよ」
「落ちている?」
「そうです。道に落ちていたり、ブロック塀の上に置いてあったり、さっきはそこの川の中に落ちているのを見ました」
 男は公園の外を指差した。私はその方角に目を向けたが、男の話には半ば興味を失っていた。
「それだけたくさん売れているということだろうって思っているでしょう」
 男は私の思っていることを言い当てた。
「でも違うんですよ。私が見たところ青い手袋も同じぐらい売れています。でも落ちているのは赤ばかりです。不思議でしょう?」
 私は仕方なく頷いた。
「しかも……」
 男はもったいぶったように言いよどんだ。私は無意識に唾を飲み込んだ。
「それが、全部右手なんです。当然、右手と左手は同じ数だけ売れているはずですよね。不思議じゃありませんか」
 私は頷きながらも、男の芝居がかった言い方に、やや気持ちが冷め始めていた。
「さらに不思議なのは、この異常事態に誰も関心を寄せていないということです。現にあなたも僕が指摘するまで気がついていなかったですね」
 男の口調はますます芝居がかってきた。
「でも大丈夫です。僕が必ずこの怪現象の原因、おそらくは何かの陰謀、を突き止めます。そして破滅的事態に至る前に、それを解決します。幸い僕には有能で勇敢な仲間がいます。その仲間に、あなたも加わっていただきたいと思っているのです」
 ただの妄想男か。私は無難に応えて、男に引きとってもらうことにした。
「私には期待されるような能力も勇敢さもありませんから」
 私は計算通りの寂しげな笑顔を作った。
「残念です」
 男は心から残念そうな表情を浮かべて立ち上がった。
 砂場を見ると、娘と遊んでいた子どもがバイバイをしていた。娘もバイバイをして立ち上がり、私の方へ歩いてきた。もう昼ごはんの時間が近い。
「父さん、これ落ちてた」
 娘が差し出したのは赤い手袋だった。頭に浮かびかけた「怪現象」という言葉を私は打ち消した。
「戻しておいで。落とした人が探しに来るかも知れないから」
「はあい」
 娘は素直に応えて、砂場へ走って行った。手袋を砂場に落とし、手袋に向かってバイバイした。
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コメント

不気味
 気づかないうちに蔓延しているかもしれない怪現象、しかもこれと闘おうとしているがわも何となく胡散臭い。不気味な雰囲気がよく出ている。ヨーロッパに妖怪がいる、ではないが、赤い右手なら、この赤は日の丸の赤かもしれない。会話と地の文との調和が巧みです。

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