秀作・三宅陽介「山男と弥ァやん」を読む  鬼藤千春

秀作・三宅陽介「山男と弥ァやん」を読む  鬼藤千春
1978年9月「まがね」第3号

 この作品は、「民主文学」‘78年の支部誌・同人誌推薦作の優秀作に選ばれたものだ。また三宅陽介が、35年以上にわたる作家活動の出発点となった、記念すべき作品である。その後、彼は2つの長編とその他の単行本を上梓し、数多くの短編、そして随想を発表してきた。
 この作品の主要な登場人物は、「山男と弥ァやん」、そして視点をもった「ぼく」の3人である。この3人の人物形象が優れている。まさに、血と肉をもったリアリティのある人間として、作品の中で生きている。
 特に、弥ァやんが生き生きと描かれている。彼は終戦の日から50日ほど経った、秋の半ばに戦地から帰ってきた復員兵である。弥ァやんは25、6歳の青年で、ぼくとひと回りくらいの年の差があった。
 彼は戦地から村に帰った翌朝には田圃に出て、鍬を揮い村の衆を吃驚させた。また、彼は松茸引きの名人だった。ぼくは働き者で、松茸引きのうまい弥ァやんを敬服していた。ぼくは以前、彼に松茸引きに連れて行ってもらったことがある。
 その弥ァやんが、まだあたりが仄暗い朝、松茸引きに出かけていて、偶然、山男に出くわしたのである。山男は山兎のようにすばやく消えてしまった。その話が広まると、わしが山で逢ったのもその山男かも知れん、という目撃者が現れた。寺の住職だった。
 そして、3番目の目撃者になったのは、ぼくだった。見たのは鎮守の森から50米ほど登った天王さんだった。ひと坪ほどの祠の祭壇の前で兵隊服の男が、お供え物を食べているのだった。そして、男はぼくたちの方を見てにっと笑い、大股に歩いて山へ入って行った。
 それから、村ではさまざまなことが起こるようになった。お初っあんの台所に入り込んで、羽釜に半分以上あった麦飯が、ひと粒残さず平らげられていた。そして、留守の間に何者かに入られて飯を食われた、という家がだんだん現れるようになった。
 その頃から、山男の正体は脱走兵らしい、という噂が流れるようになった。台所の土間についてある足跡が、大きな兵隊靴だったのだ。そして、役場の人の話では、終戦のひと月ほど前、この村の駅に臨時停車した軍用列車から、ひとりの兵隊が逃げ出したことがあったという。その脱走兵が、龍王山にこもっている山男ではないかというのだった。
 ぼくのお祖母ァは、自分の息子を戦争でなくしていたが、墓参りだと言って、頻繁に墓地に行くようになった。饅頭や餅のお供え物は、お父うと山男のためのように思えた。
「ほんに死んでしもうてはつまらんのう。お国のためじゃいうて、死んでしもうたら何にもならんことよ」とお祖母ァは、お父うの墓の前で声を震わせて訴えるのだった。
 3月に入って、山男をつかまえるために、部落総出で龍王山の山狩りをすることが決まった。捜索隊は40数人集まり、弥ァやんは副隊長である。家には男手がいないので、隊員としてぼくも参加した。
 8人から10人くらいで5つの班をつくり、龍王山の5つの谷を捜索するのである。しかし、山男は見つからなかった。そして、弥ァやんが解散を宣言した。そして、みんな山を下りかけた時、忘れ物をした太一サが引返したら、石垣をよじのぼっている山男を見つけて大声を上げた。
 そして、山男は捕らえられたのである。あっけない幕切れだった。弥ァやんは役場の兵事係と駐在所の巡査に山男を突き出したのだった。お祖母ァは晩飯の時、誰にともなく言った。
「山男サは可哀そうなことをしたのう。せっかく命が助かって、ええ所に住んどったのに。ほんに弥ァやんはむごいことをしたのう」

 この作品は、詩人の土井大助や評論家の佐藤静夫などから高い評価を受け、三宅陽介が作家として歩み始めた処女作である。
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