永澤滉「霧の中の工場」を読む  鬼藤千春

 永澤滉「霧の中の工場」を読む  鬼藤千春

 この作品は、第10回民主文学新人賞の佳作である。今回の新人賞は、3作品とも労働問題を題材としており、今日の労働者をめぐる過酷な情況を反映しているように思う。
 主人公の山口紀夫は、「マルタカ醤油株式会社」の経理を担当している。ある日、社長の嶋田が従業員を集めて「卸先のみなと食品から、商品の値引き要求があり、そこで従業員の給与を削減せざるを得ない」という話をした。
 すると、清水正子が「今でも切り詰めた生活です。これ以上給料を下げられたら生活できません」と声を挙げた。そして、続いて牧田勇が「一方的な値下げ通告はおかしい。交渉する余地があるのではないか」と問いただした。その後、数人の人が清水正子と同じような発言をした。
 これがこの作品の導入部で、物語がここからはじまる。その後1カ月以上経過したが、表立った動きはなかった。しかし、水面下では労働組合を作る動きが進んでいた。従業員が2人、3人と喫茶店などに集まり相談をしていた。そして、牧田勇は清水正子の薦めで組合結成の準備委員になった。
 しかし、山口紀夫には組合の話は誰からも持ち込まれなかった。それは、彼が現場の労働者ではなく、経理の仕事をしており、社長に近い人物だと見られているからだった。が、彼はそれが腑に落ちなかった。そして、ある日清水正子に訴えた。「確かに私は肉体労働者ではないが、経理という仕事で職種が違うだけではないか」そして、牧田勇と会うことになった。
 山口紀夫は「私も組合に参加させて下さい」と牧田勇に言って、組合の結成へ向けて協力してゆくことになった。山口紀夫と牧田勇、そして清水正子の3人が中心になって組合結成の準備をしてゆき、年明けに労働組合の創立総会が行われた。総会には従業員全員の20名が集まった。
 委員長に牧田勇、副委員長に山口紀夫、そして、書記長に清水正子が選出された。第1回の団体交渉が行われたが労使双方平行線であった。組合は「賃金カットはやめろと主張し」会社は「今の時点では撤回できない」というだけであった。
 そのうち、地元の新聞に「マルタカ醤油身売りか」という小さい記事が出た。そして、社長は「組合の役員諸君に会ってもらいたい人がいる」と言った。その人というのは、「みなと食品」の関係者だった。後日、「みなと食品」の相談役という肩書きの人物と会った。
 相談役という男は「この会社を発展させるためには、このままではだめだ。良いところに合併させる」と言うのだった。そのあと、3人は喫茶店に入って話し合った。「これでは組合結成の意味はなかったことになる」と山口紀夫は言った。「いやそんなことはない。もし組合がなかったら我々はタダで追い出された。組合があったから我々の雇用は合併相手が引き継ぐことになったのだ」牧田勇はそう反論した。清水正子も同意した。
 その数日後、嶋田社長から合併の内容が組合に通告された。従業員全員の雇用契約は合併相手の会社が引き継いだ。中堅の食料品メーカーだった。「マルタカ」の旧従業員たちは、それぞれの工場にバラバラに配属された。組合員たちはそれぞれ、霧の立ち込める街に散っていった。

 この作品を一読したとき、古めかしい小説世界だなあ、という印象をもった。この作品は時代背景が読者に伝わってこないのである。ことさらに時代背景を書く必要もないが、それが読者に伝わった方がより作品世界へと導かれるように思う。
 労働組合をせっかく結成したのに、吸収合併のような形になって、組合を結成した意味があるのか、という疑問が湧かないでもない。が、牧田勇がいうように、従業員の雇用が守られたという点でその意義はあり、小さくない成果と言えるかも知れない。だから、読後感として、読者を失望の淵に落とすということもなく、本を閉じることができた。
 そして、忘れてはならないのは、主人公山口紀夫の生き方である。「自分の今までの生活は何であったのだろう」とみずから自身の過去を振り返りつつ、牧田と正子のふたりについて、「このふたりは紀夫が今まで生きていた世界とは別の世界を生きてきた人だった」というように、山口紀夫は新しい生き方を模索し、新しい地平へ立とうとしている姿がうかがえるのである。
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