2016年07月の記事 (1/1)

 「まがね58号」感想  矢嶋直武(「文芸多摩」同人)


「まがね58号」拝受いたしました。ありがとうございました。
 まず手にして、その体裁の良さに感心しました。組み方もカットも題字もすべて良し。さすが58号、センスの良さとともにその年輪を感じます。

 「ケチなたーやんの貸し金庫」 前 律夫
 方言の醸し出す穏やかな空気と、<春先の>ぽかぽかした陽だまりを髣髴とさせるような雰囲気が相まって、まるで「現代版・日本昔ばなし」を聴いているような感じで読みました。今は放映していない常田富士夫と市原悦子の名コンビによるあの「日本昔ばなし」です。したがって、最後の「オチ」も、「開けてみたら中は空だったとさ、チョン」とか「中は空だったそうな、オシマイ」と、ぼくは勝手にそう書き換えて読んでしまったくらいです。そんなわけで、「昔ばなし」(作者は「たわいもない立ち話」と書いておられますが)として読めば、最後のオチも「ははは……」と笑って済ませることもできます。そこでもって「金はどこへ消えちまったわけ?」などと真顔で聞いたら、「この無粋者」「野暮」「石頭」と叱られてしまうのかもしれません。あるいは「その先は読者であるアンタが勝手に想像をすればいいのさ。ははは……」と笑われてしまうのかもしれません。でも、ぼくはやっぱりその先が<気になり>ました(笑)。仮に「コーポの女」が持ち去ったとすれば、昨今ワイドショーを賑わす「後妻業」とかさなり、なんだか<おどろおどろしく>なり、<たわいもない立ち話>がにわかに<生々しい話>になってしまいます。それはおそらく作者にとって<本意>ではないのでしょう。しかし、<だったら、あの金はいったい何処へ……>とやっぱりぼくの悩みは消えません(笑)。

 「寒い日」 長瀬佳代子
 ぼくも70を過ぎて主人公の気持ちが実感としてよくわかります。おそらく主人公は作者の分身と考えてよいのだろうと思って読みました。したがって、主人公の想いにはリアリティがあるのだとも思いました。この種の作品は<私小説的リアリズム>、あるいは<日常生活的リアリズム>と呼ぶことができるでしょう。しかし、ときどきこうした作品は<身辺雑記的>と批判的に言われることもあります。が、身辺雑記そのものが悪いわけではないでしょう。身辺雑記を基調としながらもそこにほんの一つでも主人公の<発見>があれば、それは作品として立派に成立すると思います。そして、この作品で言えば、末尾の<引用部分>がそれ(発見)に当たるのだと思います。ただ、おそらく寂聴さんのものと思われる文章の引用ははたして必要だったのか。悩ましいところだと思います。なぜならば、引用文の中に述べられた一つの認識、それを<具体的な人間の生活をとおして形象化しようと試みたもの>がまさに作品『寒い日』そのものだと思うからです。別の言い方をするならば、『寒い日』を読み終えた読者が読後、しみじみ引用部分に示されたような認識に導かれるならば、『寒い日』は作品として成功したといえるのではないでしょうか。
 もうひとつ、これは本質的なことではありませんし、長いキャリアをお持ちの作者はたぶんご存じのことと思いますが、小説の場合(評論は違いますが)、原文のまま他人の文章を引用する際には<著作権>の問題が発生してしまい煩雑な手続きが必要となります。その点からも原文の引用はやはり一考を要することのように思います。

 「はつ恋」 笹本敦史
 作品としての完成度は高いと思いました。ただ、「はつ恋」という魅力的なタイトルに惹かれ、いつ恋が始まるのかと期待しながら読み進めてきたミーハーのぼくにとっては、試合の場面ばかりが延々と続きなかなか恋が始まらないことに少々いらいらしました。そのうちに、意地の悪いぼくは<作者の目的は「動く対象を描写するデッサン力」を身に着けるところにあるんじゃないか。そのために試合場面を延々と描いているんじゃなかろうか>なんて疑いだしたくらいです。たとえば、剣豪小説の作家が立ち回りの場面をいかに生き生きと迫力をもって描くかに文章修行を積むように。いや、いや、これはほんの冗談ですが、でも、そんな邪推をしたくなるほどに試合の場面はやや長すぎた感があります。
 さて、タイトルにある「恋」ですが、<はつ恋>と言えば水玉模様の包装紙に包まれた「カルピス」を思い出します。「カルピス」は高らかにうたいます。<甘酸っぱいはつ恋の味、それは「カルピス」>と。しかし、作品「はつ恋」に<甘美なイメージ>はありません。主人公<僕>の「はつ恋」は痛ましいまでに無残な敗北に終わります。いや、闘ってもいないのですから敗北とも言えません。そんな<僕>を捉える作者の筆はすこぶる冷静にしてストイック。<僕>を作者の分身とすれば、<自虐的>な印象すら受けました。ただ、そこにリアリティを感じなかったということではありません。抑制的ではありますが十分に主人公の内面は伝わってきます。具体的には「何か言うかと思った堀内が黙ったまま同情するような目で僕を見ていた。僕はそれを無視して、試合の再開を待った」(p.34)「ペンとシェークではラケットの使い方が違うので、打ち方を教えることはできないだろうと思いついたのは少し時間が経ってからのことだ」(p.35)なんと<いじらしい>「僕」ではありませんか。ただ、作者のこうした抑制的な筆使いからすると、最後の「堀内が覗き込んで言った時、僕は胸を押さえてうずくまっていた」にはやや不満が残りました。自身の<心の動揺>を必死に取り繕い、それを堀内に見抜かれまいと<けなげな>努力を続けていた「僕」も、ここへきてはいよいよ力尽きてしまった、それはよくわかります。しかしその表現として「胸を押さえてうずくまってしまった」はあまりに直球過ぎはしまいか。ほかになにか別の終わり方はなかったか。「じゃあ、お前ならどう書くんだ」と言われても答えはないんですが、面白く読ませていただいただけに少しばかりそこに不満が残りました。そう、不満を述べたついでにもうひとつ言わせてください。それは「汗」です。これまでみてきたように、主人公「僕」は<うぶで、ナイーブで傷つきやすい少年>です。つまり、少年の<恋情>はすこぶる<プラトニック(精神的)>なものです。それに対して、作品にしばしば書かれる<汗>は<肉体的なもの>を連想させ、両者の間に<違和感>を覚えます。もしこの作品が作者自身の体験を多少なりともベースにしているとしたら、「汗」のイメージは成人した後の作者が<頭(観念)>で付加したものではないでしょうか。

 「間男」 井上 淳
 <ちょっぴり色っぽいショートショート>として楽しく読ませていただきました。次回はこの<続編>をぜひ読みたいと思います。「間男」ということばからして作者はそれほどお若い方ではないと想像しますが、たぶん、小説になる材料をたくさん持っておられるのでしょう。また、楽しませてください。

 「僕が生協を辞めた理由」 桜 高志
 この小説を読むまでぼくは「生協」というものに民主的なイメージを持っていました。つまり、利益至上主義の一般企業とは区別してみていました。その根拠は特にないのですが、大学に入った時、食堂も「生協」でしたし書店も「生協」でした。また集会に行くと「生協」の旗も見かけました。それらがなんとなく「民主的」というイメージをつくりだしていたようです。そう、病院で言えば「民医連」系の病院という感じです。良心的で信頼が置ける。そこで働く人たちの権利も当然守られている、そう思っていました。ですから、この小説を読んでぼくはびっくりしました。読み終えた後、ぼくは思わず「山田さん、お疲れさま!」「山田さん、頑張って!」と声を掛けたくなりました。そして、日本の労働者は大変な苦労をしているのだなあと改めて思いました。むろん、作品としての完成度という点ではいろいろ弱点はあるでしょう。あるいは、小説の組み立て方としてもいろいろ意見はあることでしょう。しかし、読みながら<こりゃあ、ひどい><あんまりじゃないか>と読者をして思わせるということは間違いなく作品の力でしょう。

 「カラスになった日」 妹尾倫良
 ぼくにとって「まがね」は初めて読む雑誌です。そこに集う書き手についてもぼくはまったく知識がありません。ですから、この作品の書き手に関しても失礼ながらなんの予備知識もありません。しかし、この作品を読むことでぼくは不思議な世界に引きずり込まれました。この世であってこの世でないような。現実であって現実でないような。生者が死者と対話し、死者が生者と対話をしているような。音のないモノクロの世界がどこまでもつづく。作者はすでに三冊の詩集を世に送り出しておられるということですから、この力は長年「ことば」と格闘する中から獲得されたものであることは間違いないでしょう。「まがね」はまさに<多士済済>、すぐれた才能をお持ちの方たちが実にたくさんおられることを思い知らされました。

 取り急ぎ、「創作」として掲載されている作品についてのみ僭越ながらぼくのつたない感想を申し述べました。失礼がありましたらお許しください。
「まがね」のますますのご発展を祈念いたします。
 暑さ厳しき折、どうぞご自愛ください。
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7月例会のご案内と6月例会のご報告

7月例会のご案内
日時 7月24日(日) 13時~16時
場所 吉備路文学館

内容
 まがね58号の合評
 「間男」 井上淳
 「僕が生協を辞めた理由」 桜高志
 「カラスになった日」 妹尾倫良

※支部誌同人誌推薦作特集への応募作と中国地区研究集会への出品作について検討します。

6月例会のご報告
 6月25日(日)13時から吉備路文学館で例会を開催しました。
参加は妹尾、長瀬、石崎、井上、笹本でした。

まがね58号の合評を行いました。

「寒い日」 長瀬佳代子
・文章はすばらしいが、内容は身辺雑記のようで少しもの足りない。
・老いの心境がよく描けている。
・最後に引用でまとめるのは疑問。
・同年代の女性には共感される。
・同じ心情が繰り返して書かれている。話にもっと変化があった方が読みやすい。
<作者より>
・まがねでは57作目だが、体験したことをつないで書いたのは初めて。
・リアリズムと虚構についてもっと勉強したい。
・1ページ目の行替えの文頭が一字下げになっていないのは校正ミスではないかという指摘があったが、見た目の関係で意図してやっている。

「はつ恋」 笹本敦史
・躍動感がある。
・卓球用語がわからないところがあるが、それでも読ませる。
・中学1年生でここまで性的なことに興味を持つだろうか。
・男の子の気持ちはわからないけど雰囲気は感じる。
・人生の美しさ、喜びを表現していて価値がある。
・ツルゲーネフの時代とは違う初恋にびっくりした。
<作者より>
・体験が元になっているが、展開は作ったもの。汗の臭い、というのも事実とは違う。
・用語の説明はできるだけ簡潔にした。
・肉体の動きを表現しようと思った。

「ケチなたーやんの貸し金庫」 前律夫
・文章は荒いが、話はおもしろい。
・歴史を背景に百姓の来し方、行く末が描けている。
・どんでん返しで作品が引き締まった。
・立ち話からの展開という仕掛けは不要ではないか。
・ユーモアのセンスがすばらしい。
・文章がスマートになったら面白さが減るのではないか。
・話があちこちしているのが味わいでもあるが、読みにくい。
・誤字脱字など細かい間違いが目立つ。

58号全体について
・作品の価値を台無しにするようなミスを含め、全体に校正ミスが目立つので改善が必要。

その他

・民主文学会幹事会(6/12)の報告が笹本からありました。

受贈紙誌
「道標」161号 岡山詩人会議  
「リアリスト」78号 東京南部支部
「東京南部ニュース」第552号 東京南部支部
「支部月報」395号 仙台支部