2015年02月の記事 (1/1)

15年度総会のご報告と3月例会のご案内

15年度総会のご報告
 2月15日(日) 13時から、吉備路文学館で15年度の総会を行ないました。参加は妹尾・井上淳・石崎・田中・中山・桜・笹本でした。

 笹本事務局長から14年度活動の報告と15年度の予定についての報告、井上淳会計担当から会計の報告があり、意見交換をしました。

 15年度の役員について、以下のように確認しました。
 支部長(兼 編集長) 妹尾倫良   事務局長 笹本敦史   会計 井上淳   編集次長 桜高志
 幹事 石崎 田中 長瀬


総会の後、民主文学掲載作品の合評を行ないました。
「家族写真」笹本敦史(民主文学1月号)
・会話にユーモアがある。
・家族にとっては最低の人物だが、この父に共感するところがある。
・生きていくことの不条理、切なさを感じる。
・説明ではなく描写で認知症を描いている。
・母との会話が長いなど、場面構成のバランスが悪い感じがする。
・一人称での書き方が参考になった。
・最後の場面に感動した。
(作者から)
・実体験を省略して書いているが、最後の場面は創作。
・父の死に対して自分の気持ちに折り合いをつける、ということで書いた。
・あまり計算せずに書いているので配分のバランスに問題があるかも知れない。
・認知症の実態はもっとたいへんだが、深刻には書かなかった。
・読む人の体験によって受け取り方が違うだろうと思う。

「『オネーギン』のころ」妹尾倫良(民主文学2月号)
・エピソードで人物をうまく表現できている。
・時代の雰囲気がよく出ている。
・いろいろな小説を読んできた人だと感じた。
・年頃の女性を描いていて微笑ましい。
(作者から)
・どんなつらい時でも、ひとつは良いことがあると思ってやってきた。
・編集部からはいろいろ意見をもらって書き直した。
※注 「倉敷と呼ばれた」とあるのは倉敷市ではなく美作の林野にあった地名。



3月例会のご案内

日時 3月22日(日)13時~16時半
場所 吉備路文学館

内容
 まがね56号の合評
  随想・詩・短歌・書評



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竹内七奈「自然的平穏生活」(「民主文学」15年3月号)

 老いたせいで、読んだ本の内容をすぐ忘れるが、この作家のものを批評した覚えがあったので、検索した。便利な時代になった。
 去年の新人賞受賞者であった。作品の内容を定かには思い出せないが、だいたいどういう作品だったかは思い出した。奇妙だが、魅力的な作品だった。そして今回もそうである。
 相変わらず見たこともないような漢字熟語を多用する。その上に、現代ではひらがなで書くのが普通の副詞に、明治時代風の漢字をあてて書く。こんな言い方ないだろ、というような奇妙な言葉の使い方もある。きわめつきは、まったく内容にふさわしくない形而上的なタイトル。
 だが、まず書き出しで読者をひきつける。
「恋愛は、死ぬのには邪魔である……いざとなれば死んでしまってもいい、と覚悟することで生き易くしたい……死に難い因を自ら作る必要はあるまい」
 個性的だし、何が書いてあるのかなと興味をそそられる。
 そのわりに話は平凡なのだが、面白いことは面白い。両親の不仲と離婚がトラウマになって、恋愛しにくい女性がいる。すでに40才くらい。60くらいの男と付きあい始める。これが、一男三女を作りながら浮気で離婚せざるを得なくなった男である。金もないのに飲んだくれであり、生活のあらゆる場面で趣味の違いにぶつかる。にもかかわらず、なんとなく馬が合う。
 結婚しようかという段階になって、男の息子や娘が出てくる。彼らは自分たちの母親を捨てた男を恨んでいる。女は、自分もそういう境遇なので、かれらの気持ちはわかるのだ。
 そういうごたごたを書いている。通俗的な筋立てで通俗的なテーマを書いているのだが、でも引き寄せられるものがある。そこには飾らない人間の性(さが)がある。こういう通俗的な言葉をルビ付きで使ってみたくなるような作品だ。
 いうならば、織田作之助の「夫婦善哉」や、太宰治の「ヴィヨンの妻」のような味わいがある。
 ここにはたてまえはない。通俗的であっても人間の現実がある。そしてそれを決して突き放してはいない。包容力を感じさせる。
「民主文学」にこのような作品が載るようになったことはよい傾向だ。

(「石崎徹の小説」から転載)

渥美二郎「空の巣の日々」(「民主文学」15年3月号)

 ひさしぶりの渥美二郎である。そしてもとのままのジローワールドである。何年か空いたので、つぶれそうだった両親の料理屋はもうつぶれただろう、死にそうだったばあさんはもう死んだだろうと思ったら、どっこい、店もばあさんもまだ生きている。心身障害の兄も健在、12年前に離婚した元妻ともそのままである。
 ただ娘のモモは大学へ入って横浜へ行ってしまった。去られた家を世間では「空の巣」と言うらしく、寂しいだろうと同情されるが、本人はちっとも寂しくない。勤め先の高校と、自分の住まいと、両親たちの家とを巡り歩く生活に変化はない。ただ、一人で好きなことをできる時間は増えた。
 モモはいないが、それ以外はいままでと変わらぬ日常を変わらず描くだけの小説である。特別なことは何もない。にもかかわらず読まされる。それは文体の故なのだ。
 たいへんな日常を軽く書いてみせる文体に、かつて拒否反応を示した読者がいたが、今回の文体はそういう読者も受け入れやすいのではないか。独特のジロー文体が消えたわけではないが、日本文学を読み慣れてきた人たちにいくぶん妥協したようなところが見える。そしてそれがぼくにも成熟して見える。この作家に注目したのはその独特の文体のせいだが、同じ文体が続けば飽きも来る。成熟していくのが必然なのだろう。
 変わらないのは、作者と描かれていることとの間の距離感である。そこにほどよい空気の質量感があり、それが我々を共鳴させる。この作者は日常を描きながらそれ以上のものを描いている。それはつまりこの距離感なのだ。
 そしてラストは多少読者サービス。網膜剥離の手術をした元妻に、必要と思われる最小限の手助けをした主人公と元妻とは、おたがい相変わらず辛辣な言葉を投げあいながらも、最後は静かに手をとりあい、微妙な、いい空気が流れる。なかなか泣かせる終わりかただ。
 一点だけ、ちょっと読みとれなかった。ぼくの誤読かも知れないが、この手術の日は土曜日と思われるのに、「あしたは学校でしょ」という元妻のセリフが出てくる。あしたは日曜日ではないのか。

(「石崎徹の小説」から転載)

総会のご案内と1月例会のご報告

15年度総会のご案内
日時  2月15日(日) 13時~16時半
場所  吉備路文学館

・14年度活動の総括と15年度活動について
・会計報告
あわせて、笹本敦史「家族写真」(民主文学1月号)、妹尾倫良「『オネーギン』のころ」(民主文学2月号)の合評を行ないます。

1月例会の報告
1月25日(日)13時から、吉備路文学館で例会を行いました。参加は妹尾、田中、石崎、中山、原、井上淳、笹本でした。

まがね56号の合評
「父の死」中山芳樹
・心を打つところがあった。
・気持ちが素直に表されている。
・前作よりわかりやすく、小説らしくなった。
・どこが現在なのかがわかりにくい。
・短い作品で父の死と自分の病気という2つのテーマを書くのは無理がある。
・表記についていくつか指摘があった。
(作者から)
・1作目の反省をもとにして書いた。
・父の死を知らされなかったということが一番書きたかったところ。
・事実と創造をどうからめたら良いのかまだわかってない。

「出生率」井上淳
・パロディとしておもしろい。
・方向性がわからない。
・細かいところにリアリティがなければ大きな嘘が生きてこない。
・主人公の心情がうまく表現できている。
・社会的な問題を取り上げているが、十分検討されているようには感じられない。
(作者から)
・定型を崩し、おもしろいものを書くことをめざしている。
・市長や主人公に共感して書いているわけではない。

「瀬戸を渡る」笹本敦史
・深刻な事件を淡々と描いている。
・会話のやりとりがうまい。
・親の心情をうまく描いている。
・夫婦関係、家庭がよくわかる。
・「四万十」で娘を思い出す場面は無理がある。
(作者から)
・物語の背景は実体験だが、作品はほぼすべてが創作。
・改稿するときに設定を変更したため一部に齟齬がある。

「あこがれ」石崎徹
・文章がうまいので読まされる。
・描写がいいので場面が頭に浮かんでくる。
「駅」
・深く心に残る。
・これを書ける若さがうらやましい。
「あこがれ」
・これが一番好きだという意見が複数あった。
(作者から)
・5枚という制限で書いた。
・5枚に収めるために削ったことでよくなったところがある。

まがね57号の原稿締め切りは2月末です。

受贈紙誌
欅通信12月号 1月号(多摩東支部) 東久留米通信NO.55(東久留米支部)
東京南部ニュース第537号(東京南部支部) 道標155号(岡山詩人会議)