2014年03月の記事 (1/1)

3月例会の報告と4月例会の案内

3月例会の報告
参加は妹尾、桜、井上淳、井上京子、田中、笹本の5名でした。
まがね55号の合評を行ないました。

「モスコミュールで乾杯」 田中俊明
・すっと読めて、切ない気持ちになった。
・モスコミュールが小道具として生きている。
・女性視点に無理があるのではないか。
・説明的な部分が多すぎる。
・地の文があらすじになってしまっている。
(作者から)
・読者の評判が今までで一番悪かった。
・女性視点は難しい。
・ストーリーは完全な創作。
・終着駅に人生の最後を重ねた。
・これからは歴史物とサラリーマン物を書いていきたい。

「『保坂』バス停」 妹尾倫良
・詩的な表現がいい。
・短い文の積み重ねで情景を思い浮かべることができる。
・少ない言葉で主人公の心をうまく表現している。
・物語の展開、伏線がうまい。
(作者から)
・もう少し長いものを書きたかった。
・実際にあったことを書いているが、作っているところもある。
・バスの運転手の件は実際にあったこと。

「若き日の蹉跌」 桜高志
・登場人物が多すぎ、またそれぞれの説明が詳しすぎる。
・文章をわざと崩して書いているところがうまい。
・題材としては悪くないが構成が整理できていない。
・蹉跌と言っても遊びの域を出ていない。
・今でも蹉跌から抜け出ていないようだ。
・前段と後の部分で書きたいことが分裂している。
(作者から)
・臨時教員問題で書こうとしたがおもしろくないので男女関係で脚色した。
・人物の説明が長すぎ、文章の流れが止まってしまっている。
・恋の葛藤を書けていない。
・構成にはもっと工夫が必要。

「尖閣漁民の戦い」 井上淳
・おもしろいけど、よくわからない。
・新しい方向にチャレンジするのは良いことだ。
・政治的なことはしっかり調べて書くべきだ。
(作者から)
・おもしろいものを書きたいと思って書いた。
・ネットの反中国の書き込みなどを見て、批判的意味で書いた。

4月例会のご案内
日時 4月20日(日) 13時~16時半
場所 吉備路文学館

内容
 まがね55号の合評
  「療養所にいた頃」 井上京子
  「新米教師」 中山芳樹
  随想 詩
※「ノロ鍋始末記」は作者の都合により次月に行ないます。
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小山田浩子「穴」 石崎徹(「石崎徹の小説」から転載)

小山田浩子「穴」 石崎徹

 遅まきながら、芥川賞受賞作である。前回はたいへん読みにくかったが、今回は読みやすく面白く読んだ。
 文学的な濃い味わいを感じさせてくれる文章ではない。素っ気ないと言えるほど簡潔な日常語である。それでも読みはじめたら止まらないのは、内容の面白さもさることながら、文章が見かけ以上に練られているからだろう。
 内容は、共働きの非正規労働者からひょんなことで専業主婦になった若い女性の妄想記である。
 妄想の内容自体は誰でも思いつきそうなことでことさらのオリジナリティがあるわけではない。だが優れているのはそこに現実感を持たせる描写の緻密さである。眼の前にあるものを描写するさえ難しいのに、この作者はどこにもないものを白紙の上に筆一本で作りだす。これはけっこう忍耐力を要する仕事である。
 この描写することへの努力が、そこらにある携帯小説と文学とを峻別する。携帯小説は描写の努力を惜しんでしまうのだ。
 描写が的確なので、妄想部分に違和感がない。とってつけたようなところがなく、現実生活の部分と見事に調和している。
「私」の口述というスタイルだが、私小説的スタイルとは全然違う。会話が多いが、「私」はほとんど受け応えするだけで、しゃべるのは会話相手である。そしてすべてのセリフが一応カギ括弧に入ってはいるが、行あけされない。それは地の文に溶け込み、「私」の口述の一部と化す。
 最初にしゃべるのは、「私」がいままで非正規として働き、いま退職しようとしている職場の同僚である。同じく非正規であるこの独身女性は、その身分に伴う愚痴を長々と語る。一見この愚痴はその後に展開されることがらと関係ないように見える。そこに語られるのは非正規についての既知の事実に過ぎないが、この女性が当事者らしい切実感をもって微細に語るとき、それはやはり読者に「無視するな」と訴えてくる。
 作品はこの後まったく別のテーマに移っていき、このテーマ自体は放置されるが、それはただ並置されたのではない。人生を複合的にとらえるためには欠くことのできない一部なのだ。
 まだ読んでいないが「工場」という作品でデビューしたこの作者にはそういうまなざしがあるにちがいない。
 そこから退職、引越しとなり、物語の舞台に移動する。夫が転勤となり、そこは夫の実家に近い。実家の隣に実家の持ち家があり、いまは空き家である。そこに住むなら家賃は要らないという。後になって「私」は述懐する。「私」の非正規としての収入は、結局狭苦しいアパートの家賃と、共働きに伴う出費とで相殺されてしまうだけの額に過ぎなかったのだ、と。ここでは労働への懐疑が持ち出される。
 そういうわけで生活に困らないのと、なにぶん田舎のことで、車がなければ移動手段がない。一台しかない車は(駐車スペースも一台分しかない)、夫が通勤に使う。ので、仕事が見つからない。そもそも働く動機を見いだせないので本気で探す気にもなれない。そこで専業主婦の誕生である。
 これは作者の仕掛けである。現代社会は一昔前とは違う。専業主婦という存在を生みだすためにはこれだけの仕掛けが必要なのだ。
 実家の義父はまだ働いていて、休日もゴルフ三昧で家にいない。まったく存在感がない。義母もまだ勤めている。どういう仕事なのかはわからない。その上に義父の実父がいる。すでに耄碌している。したがってここでの主役は義母である。
 引越しのその日から、「私」は「私」が「嫁」という存在になったことにいやおうなく気付かされる。後になって義祖父の死に際し、見も知らぬ村のお年寄りが大勢集まってくる場面まで、日本社会の伝統的共同体という「私」にとってどこか居心地の悪いものに突如つつまれてしまったことの感触がここで物語のムードを決定する。しかも義母は働いており、「私」は無職である。夫は日付の変わるころしか帰ってこない。「私」にはその存在を正当化してくれるものがない。
 二カ月があっという間に過ぎ去り、その間何をしたのかさっぱり分からない。生活がリズムを失い、それとともに意味を失ったのだ。労働が人間にとって持つ意味が暗示される。
 こうして専業主婦は妄想の世界に落ちていく。
 ここまでの会話の主体は義母と隣家の主婦である。この隣家の主婦は初めて穴に落ちた「私」を救い出してくれる。だが、不可解な人物である。夫は帰宅が遅いし、食事中もケイタイに何かを打ち込み続けるような人間で、妻を決して無視はしないが、積極的にかかわってもこない。これも存在感の薄い人物だ。
 そしているはずのなかった義兄が現れる。ここからの主役は義兄である。18歳から20年間ひきこもっていた義兄(本当はすでにいないのかもしれない)は、このあと一人でしゃべりまくる。彼によると家族制度というのは馬鹿げた制度である。ただ自分の遺伝子を伝えるためだけに人が一生懸命働かねばならないということが彼には理解できない。そのくせ、弟(「私」の夫)が結婚したということにほっとしている。やはり自分に関係する遺伝子を残したいのかもしれない。彼にも矛盾がある。
 そしてラスト、義祖父は死に、それとともに彼とよく似ていた義兄もその存在を消してしまう。彼が寝起きしていたという裏の物置小屋には人が出入りしたような形跡がない。義兄にまつわりついていた降って湧いたような子供たちはいまではどこにもいない。もともと高齢化の進むこの土地に子供なんていないのだ。穴があったはずの場所のひとつはコンクリートで覆われている。
 そして「私」は村のコンビニに就職し、買い求めた自転車の荷台にはその制服が入っている。
 そして「私」の顔は、いまや義母の顔にそっくりである。その義母の顔は似るはずのない義祖母の顔にそっくりだったのだ。
 こうして人は生きていく。不条理な社会、そもそも存在自体が不条理な人間、共同体、家族、遺伝子、労働、あらゆるものへの違和感を払拭できないままに、だが、人は生きていく。

相沢一郎「寒風に抗して」(民主文学3月号) (「石崎徹の小説」から転載)

相沢一郎「寒風に抗して」(民主文学3月号) 石崎徹

「民主文学」の作品評は懲りたのでもうやらないつもりだったが、特筆すべき作品にはやはり触れたい。ただし同一作家が今後つまらない作品を書いた時は無視することにする。
 期待せずに読みはじめた。聞かない名前だし、タイトルはいかにもありふれているし、書き出しが退屈だった。
 ところがだんだん面白くなってきて、ラストには度肝を抜かれた。この人は小説を心得ている。
 これだけでは何のことか分からないので、ネタバレになるが、内容に触れる。これから読む人は以下を読まないでください。知らずに読んだほうが面白い。
 橋下徹の例のアンケートの話である。主人公越智は税務部だが、面倒な対人関係のないシステム管理担当係長である。数字だけを相手にしていればよい仕事だ。50才で独身、同期はみな課長相当になっているが、上司に遠慮しない元悪ガキの越智は気にしない。そこは扶養義務を持たない独身の強みでもある。
 上司からの説得、同期を使った説得にも同じず、越智はアンケートへの回答を拒否する。
 世論の反発を食らって結局アンケートは破棄されるが、回答拒否者への報復はなされたらしい。越智と似たタイプの田代は、人が嫌う教育委員会への異動となった。ところが越智に対しては何の処置もなかった。
 その田代の口から、彼が目撃した事実を聞かされる。アンケートへの回答は各自のパソコンを使ってなされるが、回答締切日にあえて休暇を取った越智のパソコンに、夜10時、一人の人物が回答を記入していたというのである。上司にもわからないパスワードを、IT統括課から特別に開いてもらって、しかも締め切り時間は過ぎているのに特別に入力させてもらったというのだ。
 田代は上司が越智を守ろうとしたのだとなだめるが、越智は怒り狂う。上司が守ろうとしたのは自分自身の身だ。
 これが実話なのかフィクションなのかは、小説にとってどうでもよいことである。大阪とも橋下とも書いていないのだから、フィクションは許される。
 権力と、その下で保身に走る者なら、ありうる話である。読者にとって大事なのは、上司のこの行為が自分の存在を消してしまう行為であるとして、越智が屈辱と憤りに燃えた場面で小説が終わることだ。ここには小説的感動がある。それが事実かフィクションかはどうでもよいことである。この作家は人間にとって自由とは何かということをあざやかに書いてみせたのだ。

「ひげ男」   笹本敦史(「笹本敦史のブログ」から転載)

「ひげ男」 笹本敦史

 月曜の朝、二日酔いからくる頭の鈍痛を何とか宥め、修二はコーヒーカップに口をつけた。コーヒーの香りに吹き払われた不快感が、次の瞬間には二割増しで吹き返してくる。無理をして口に含んでみたが何の味もしない。
 テレビの情報番組が占いのコーナーに変わった。そろそろ出勤時間だ。修二はコーヒーを飲み干すことをあきらめ、半分以上残ったままのカップをテーブルに置いた。
「射手座のあなた。今日の運勢は……」
 女性アナウンサーの声が無意味に弾んでいる。占いはあまり信じないが、少しは気になる。
「今日、一番ラッキーなのは乙女座のあなた。すてきな異性との出会いがあります。チャンスを逃さないように心と体の準備を」
 自分は乙女座ではないが、「すてきな異性との出会い」という言葉に気持ちが反応してしまう。しかし乙女座のやつをうらやましいなどとは思わない。良い占いが当たったためしがないからだ。そのくせ悪い方は時々当たるような気がする。
「今日、最悪なのは……」
 朝の占いで最悪というのは穏当ではない。いつもこんな言い方をしていたのだろうかと思うと同時にアナウンサーはさらに意外なことを言った。
「双子座でO型、三十四歳の男性です」
 まるで自分のことをピンポイントで言っているみたいだ。こんな占いがあるのだろうか。もっとも日本全国で見れば「双子座でO型、三十四歳の男性」というのは相当な人数がいるのだろうから、必ずしも自分のことではないのだと思い直す。
「今日は、ひげの男に注意しましょう」
 やはり今日の占いはおかしい。しかしそんなことに構っている時間はない。修二は立ち上がった。
 アパートのドアを開けて出る。春間近と言える季節だが風は冷たい。三軒隣の部屋のドアが開いて男が出てくる。この部屋の住人とは今まで顔を合わせたことがない。男が振り返る。口ひげを蓄えた芸術家風の顔が、修二を見て怪訝な表情に変わる。男は急ぎ足で立ち去った。
 駅に向かって急いだ。先ほどの男が見知らぬ男と立ち話をしている。通り過ぎる瞬間、修二は二人の視線を感じて不快になった。あの男はオレについて何事か良からぬことを言っているのかも知れない。注意すべきひげの男とはあいつのことか。
 駅で一人、電車の中で二人、ひげの男と目が合った。三人とも目が合った後、まるで何かをたくらんでいるかのように目を逸らした。占いを信じるわけではないが、とりあえず今日だけはひげの男には注意した方が良さそうだ。
 会社に着いた。
「ちょっと」
受付の杏子が、通り過ぎようとする修二を呼びとめた。
「なんだい」
修二が受付のカウンターに近づくと、杏子はカウンターの下で何かを探していた。
「これ、見なさい」
 杏子が突き出したのは化粧用の鏡だった。
 修二が覗き込むと、そこには髪の毛がぼさぼさで目やにだらけの、無精ひげの男が映っていた。

「統合失調症から教わった14のこと」 中山芳樹

まがね文学会会員の中山芳樹さんが本を出版されました。
かつて小学校の教員だった中山さんは統合失調症を発症し、職も家族も家も失いました。
この本には闘病中に書かれた文章、短歌と関西福祉大学での講演録が収められています。
統合失調症についての理解を広めたいという思いのこもった本です。

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