2013年10月の記事 (1/1)

10月例会報告

10月例会報告
10月27日13時から岡山市民会館で例会を開催しました。
参加者は7人でした。

中国地区研究集会の決算報告があり、剰余金は支部財政に組み入れることになりました。

中国地区研究集会について感想を出しあいました。
・講師が良かった。
・他支部のいろいろな考えの人と交流できて良かった。
・参加費(特に日帰り)は会員以外でも参加できるように安くすべきではないか。
・会場は他も検討した方がいい。
・合評会は的を射た意見が出され、良かった。
・参加者が減少する傾向にあるのが心配。

「民主文学」10月号の合評を行ないました。

「長池ちゃんのこと」東喜啓
・労働問題の重要なことを自然な流れの中でうまく書いている。
・最後に種明かしという構成がおもしろい。
・労働組合に縁のない人にはわかりにくいところがある。
・働き続ける女性の権利の問題などは掘り下げ不足。
・ストライキで廃業を阻止できてしまうところに違和感を持った。
・登場人物が魅力的。
・書き出しから引きつけられる。

「秋ゆく街で」須藤みゆき
・母子の題材は作者が何度も取り上げており、食傷気味。
・終盤、兄の手紙から急展開してテーマが浮かびあがるところがいい。
・一人称の書き方が勉強になった。
・読者を引きつける仕掛けがおもしろい。
・比喩が的確に使われている。
・作家として、これから新しいものにチャレンジすることを宣言したものと読める。

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須藤みゆき「秋ゆく街で」    (感想)野中秋子

須藤みゆき「秋ゆく街で」        (感想)野中秋子
 
 読む者の心を重苦しくさせつつ、最後まで一気に読ませる魅力も持った作品だった。
 私は家にお金がないという逆らえぬ運命の中で育った。その事が私のものの見方、生き方、人格さえも決定づけ、兄との関係も崩れさせ、母も50代で死なせてしまったと私は強く思い込んでいる。
 貧しさという不平等と戦うためには学問をすることしかないと思う。私は患者を人間として大切にする病院を働く場として選ぶ。その病院は私の家族からは「赤」と呼ばれる職場だったのだが、私はこの職場で生きる事を選ぶ。
 そのため、母の亡き後「兄の邪魔にならないという目標」で生きる事に決めたのだった。何とも切なくて自虐的な選択を若い私は自分に課してしまう。しかしそれは、逆にたった一人の兄と自分とを切り離したくないがゆえの、屈折した心情から生じている。
 最後兄からの手紙を受け取る事で、私は自分の中に暖かい気持ちの流れを感じる。「兄に会いに行こう」そう決意する事で、自分が救済される可能性も信じられる気がするという所で作品は終わっている。
 しかし経済的困難な生活から抜け出すために選んだ職場が「赤」であるという事で、何故ここまで自分を傷つけないといけなかったのだろうか。何故すべての事は私が原因で悪くなると自分を追い込んでしまうのか。
 意地悪な見方をすると、こうして自分を責め、追い込み、卑下することで、一歩前に出る自分の勇気のなさを合理化しているようにも見えるのだが。
 自分らしく生きるという事がとても困難な時代を私達は生きている。それには勇気も気力も体力もいる。自虐とか自分を無にしてやりたい事を諦めてしまう逃げの姿勢の方が楽だと、私は本能的に感じているのではないだろうか。
 「兄に会いに行こう」というのが、自分らしさに近づく一歩なのかもしれないが、読者としては、今までの私と兄との関係からみて、この優しい手紙は何かしら唐突な感じがしないでもない。
 日々の生活をどうする事が、自分らしく生き抜く事に繋がっていくのか、この作品を通して改めて考えなおしてみたいと思わされた。

10月例会のご案内

10月例会を以下の通り開催します。

日時 10月27日(日) 13時~16時30分
場所 岡山市民会館会議室

内容
「民主文学」10月号の合評
「長池ちゃんのこと」 東喜啓
「秋ゆく街で」 須藤みゆき

「右遠俊郎さん逝く」   鬼藤千春

「右遠俊郎さん逝く」     鬼藤千春

 10月13日(日)、3キロの散歩を終えて、車に乗って家路につこうとしたとき、突然携帯電話が鳴った。余談だが、「突然携帯電話が鳴った」という表現は、日本語の用法としてふさわしくない、という意見もある。電話というのは、予測もなく「突然鳴るものだ」というわけである。
 それはともかく「突然、電話が鳴った」のだ。文学会の仲間からだった。彼女は「右遠さんが亡くなった」と言った。私はとくに驚くようなことはなかった。やはりそうだったのか、という冷静な気持で受けとめた。それは彼が脳梗塞で倒れて2、3年寝たきりだというのを聞いていたからだった。
 だから、折々に右遠さんは「いま、どんな状態なのだろうか」、ということを思いやっていたからである。が、冷静に受けとめることはできても、「惜しい人を亡くした、残念でならない」という気持が静かに広がってゆくのを感じずにはいられなかった。
 彼は日本の文学者の中でも、私の内で十指に入る好きな作家のひとりである。ウィキペディアによると、このように記されている。右遠俊郎は1926年9月1日生まれ、日本の作家・文芸評論家。岡山県生まれ。少年期を大連で過ごし、旅順高等学校に進む。
 戦後、東京大学国文科卒。『新日本文学』などに小説、評論を発表。1959年「無傷の論理」で芥川賞候補。その後日本民主主義文学会(当時の名称は文学同盟)に加入する。1989年『小説朝日茂』で多喜二・百合子賞受賞。
 これによると、享年87歳である。私は右遠さんと直接話をする機会には恵まれなかったが、日本民主主義文学会の大会で遠目に眺めていた。彼の発言は他の人と違って、一味違った趣があり、惹きつけられたものである。お会いすることは叶わなかったが、「まがね」に作品を発表すると、その都度辛辣な批評をしてくださった。
 ファイルを捜していたら、右遠さんの自筆の批評のコピーが出てきたので、ここで紹介させていただくことにする。「何だかみんな、小説を書きなれてきた感じに見えます。上手になったともいえるでしょうが、文章に丁寧さが、薄れています」とやんわり、しかし手厳しい指摘がなされています。
 「読み甲斐があったのは、鬼藤千春さんの『炎立つ』と、長瀬佳代子さんの『村でくらせば』の二つ。前者は、短くなっても寺と紅葉にしぼった方がいいと思いました」と記されています。
 また、次のような批評をしていただいている。「鬼藤千春さんの『文学教室』、若いとき文学を志してその道に進めず、還暦をまえにして、恐れながら文学に戻ろうとする心、その間の悩み、崩れかけ。文章もしっかりしているし、共感を誘うものがありました。が、『文学教室』が余分でした」
 このように、右遠さんは「まがね文学会」をいつも心にかけていて下さいました。私のつたない作品にも温かい、しかし的を射た批評をしてくれました。「巨星墜つ」と言えば、右遠さんは顔を歪めて、睨み返してくるに違いないが、惜しい人を喪った悲しみは、ひたひたと押し寄せてくる。
 「右遠さん――」、今までのご指導ご鞭撻に深く感謝いたします。ご冥福を心からお祈り申し上げます。安らかにお眠り下さい。

中国地区文学研究集会が開催されました

13中国地区研究集会

 10月5~6日、岡山市の「ピュアリティまきび」で民主主義文学会の中国地区文学研究集会が開催されました。参加者は講師を含めて16名でした。

 初めに文学会常任幹事で作家の青木陽子さんから「小説を書く」と題した講演をしていただきました。実体験をもとにした内容で、創作する上で大切なこと、苦労などのほか、「視点」など理論的な問題にもふれられました。参加者には「とてもわかりやすかった」と好評でした。

 その後、各支部からの提出作品の合評を行いました。さらに良い作品にするためにという示唆に富んだ意見も多く出され、今後の創作に役立つ論議になりました。

 合評作品は以下の4作でした。
「母ちゃんの恋」筒井くに代(呉)
「ユニオン!」笹本敦史(岡山)
「薄雲」沢内有子(鳥取)
「山吹の花は咲けども」水野良正(山口)