2013年06月の記事 (1/1)

6月例会報告と7月例会案内

6月例会の報告
参加 鬼藤・井上・笹本・田中(途中参加)・桜(早退)

「まがね54号」合評

「掌編四題」鬼藤千春
 描写がうまい
 表現が大げさで気になるところがある
作者から
 「福山文学」に参加した際に習作として書いたものをそのまま掲載した。作品としては不十分だと思う。

その他、随想について感想を出しあいました。

「まがね」編集会議
 掲載料について
原稿用紙1枚あたり1,000円は他誌と比較して高いため、引き下げができないか検討しました。
掲載料と頒布収入で採算を取ることを基本にし、発行費用の削減を追及するということで以下の案にまとまりました。
①1ページ広告(埋め草)をなくす。(左ページから始まる作品ができる)
②発行部数を減らす。(配布部数の見直し)
③原稿をデータ化する。
②③については見積もりを取って検討する

 フォント(文字サイズ)について
文字が小さく、読みにくいという意見があり、変更を検討しました。
「民主文学」と同サイズにする。
随想も創作と同じフォントにする。

中国地区文学研究集会の企画について
 合評を中心にし、1時間程度の講演を入れる。
※講師は作家の青木陽子さんに決まりました。


7月例会のご案内
日時 7月28日(日) 13時~16時30分
場所 ケアハウスちどり 4階 カルチャールーム
三宅陽介さんが参加される予定です。

内容
「民主文学」6月号合評
「ユニオン!」笹本敦史
「霧の中の工場」永澤滉
「無機質な腐敗」望月笑子

ケアハウスちどりのご案内
住所  倉敷市水島東千鳥町2-6
  水島臨海鉄道 水島駅から徒歩1分です。
    倉敷市駅発 12:20に乗ると12:43に着きます。
  駐車場は少ないです。満車の際は近隣の駐車場をご利用下さい。

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入江秀子「まっすぐ顔を上げて」 石崎徹

 入江秀子「まっすぐ顔を上げて」(民主文学7月号) 石崎徹

 こういう作品を読むと、つくづく小説とは定義できないものだと思う。冤罪事件の再審裁判をめぐる、当事者と支援者たちとを淡々と描写している。それが経過報告ではなく、登場人物たちの描写に重点を置いているので、なにがしか小説的な感慨がある。人間たちに触れたという読後感がある。
 ただ事件の詳細を語らないので、もどかしい。ほんとうに冤罪なのかどうかを読者は判断できないからだ。
 内容的には小説というよりもルポだ。たぶん現実をそのまま書いている。かなり密接な支援者である主人公には、「事件のことを書いたノンフィクション」がある。これはきっと作者自身であり、作者の書いたノンフィクションなのだろう。それがあるので、作者としてはこの作品では事件の詳細な説明は省いて、もっぱら人間的要素に焦点を絞ったのだろう。そしてこの小説で興味を引かれた読者が事件のことを知りたいと思うように促している。その目的は達せられたともいえる。それにしてももどかしさが残るのだが。
 技術的な側面からいうと、構成に少し難がある。事件は1979年に起こり、1980年には刑が確定して1990年まで服役、1995年再審請求、2002年、地裁での再審開始決定、2004年、高裁による棄却、そして2013年、第二次再審請求の地裁決定が出るのを待っている。
 小説はこの2013年を始めと終わりに持ってきて、間に2004年を挟んでいる。主筋は2004年にある。ただその2004年のなかでそれ以前のことも語られるので、過去を語り終わって帰ってきた地点が2004年なのか2013年なのか、読者に混乱を与える。
 時間を行きつ戻りつするのは小説の常道である。その行き来には常に小説的企みがある。それが多少読者を混乱させても仕方ないときもある。しかし、この作品の場合、あえてこういう構成にせねばならなかった必然性は薄いのではないか。

入江秀子「まっすぐ顔を上げて」を読む  鬼藤千春

入江秀子「まっすぐ顔を上げて」を読む  鬼藤千春

 これは実際に起きた事件を題材にしており、小説の内容もほとんど事実に基づいて書かれている作品である。作者はこの事件に関して、2004年9月に「叫びー冤罪・大崎事件の真実」と題するノンフィクションを上梓している。
 大崎事件は、1979年10月15日に起こった。自宅に隣接した牛小屋堆肥置き場で、家主の遺体が発見されたのである。それから、かれこれ34年の歳月が流れているのである。
 この作品は、2013年3月6日、鹿児島地裁が第二次再審請求を棄却したことを契機にして書かれたものである。つまり、モチーフもテーマもそれに依拠している。
 私の胸を強く打ったのは、次の件である。少し長いが引用する。
 「数人の弁護士たちに守られるようにして車椅子に乗ったアキ子(再審請求人)が、エレベーターから降りて来た。着古して、袖口が擦り切れ、胸のあたりにいくつか染みの付いたくすんだモスグリーンの厚手のジャンパーを着て、灰色の冬帽子を目深にかぶり、足元に目をやると左右違った古いサンダルをつっかけている。その姿を見た瞬間、響子(主人公)の目から涙があふれて来た。それは、不当決定に対するストレートな怒りというより、大勢の人の中に出て行くのに、すでに一人では身だしなみすら整えられなくなってしまっているアキ子の老いに対する深い悲しみの涙だった」(かっこ内は評者)
 事件が起きた時、アキ子は52歳だった。それから34年、いま85歳である。(年齢は生まれ月によって違っている)アキ子は、34年もの永きにわたって苦難の道、人生を歩いてきたのである。そのことが、引用した文章によって如実に語られている。この描写は、アキ子の人となりを的確に表現しており、彼女の人間像を浮き彫りにしている。
 この作品の大半は、福岡高裁宮崎支部で、鹿児島地裁の出した再審開始決定が棄却された、9年前の回想である。この作品の題名は、「まっすぐ顔を上げて歩けるようになるまでは死んでも死に切れん」という、アキ子の言葉からとられている。

 この作品を概括して評すと次のようになる。
①まず、読者の心を打つのは、事実の重さであり、それがこの作品を支えている。
②作者はすでに単行本を上梓している作家なので、文体・文章が優れており、話の展開、筋運びも巧みで読者を飽きさせない。
③響子がアキ子に初めて出会ったのは1995年で、すでに18年を経ている。そして事件が起きてからは34年である。その永い歳月をひとつの短編に創りあげた筆力は確かである。
④第二次再審請求が棄却されて、アキ子は「私はやっていません。やっていないことをやっていないと言い続けているのに、なんで認めてくれないのですか。残念で、悔しくてたまりません」という言葉を発する。だがその声音にはかつての闘志も悲痛な叫びさえも感じられない。アキ子は車椅子に乗り、じっと石のように固まったまま俯き続けている。このアキ子の描写は優れている。
⑤が、にもかかわらず、響子はこの閉塞情況に戸惑いながら、未来への希望を模索しつつ、この物語は閉じられるのである。

小宮次郎「虹の橋」 石崎徹

 小宮次郎「虹の橋」(民主文学7月号) 石崎徹

 この作品は、読みやすさという点だけで言えば、今月号いままで読んだなかでトップだろう(まだ一作残っているが)。気楽に読める肩の凝らない小説というのはいいものだ。民主文学も変わってきたなと思う。日々労働と生活にふりまわされている現役世代にとっては、読書は気晴らしという側面が強いだろう。そういうものは提供されねばならない。そこで気分転換してまた労働と生活に立ち向かうのだから。
 ただ、そういうものばかりになると、今度は逆に、文学的なものを求める読者が不満を持つだろうという気がする。
 読みやすいから駄目だというのではない。読みやすいに越したことはない。読みやすいうえにストーリーが動いていくので、読まされる。ところが、ストーリーだけを読まされているような気がするのだ。書かれていることがすべてストーリーの展開だけを追いかけている。面白いストーリーだし、ドラマになりそうだが、そのとき脚本家は情景を膨らませるのに苦労するだろう。
 情景の雰囲気が感じられないのである。ドラマがカメラで描いてみせるその場の雰囲気を、小説は文章で描き出さねばならない。俳優が演技力で見せるものを、小説は文章で見せねばならない。ひとつの疑似空間が、そこに浮かびあがってきて、その描かれたものの個性を読者に堪能させねばならない。文学はストーリーを楽しむだけのものではない。描写されたものの個性を味わうものなのだ。
 描かれた内容は興味深いものである。銀行内の正規と非正規との対立を描いている。それは経営側の差別による労務管理なのだが、その現場にいる当事者にとって、この対立は避けがたいものである。人手不足が事故につながりかねないところまで来て、正規、非正規、現場の管理者までが一時的にせよ共通の立場に立つ。共通の立場に立ちながら、それが一時的なものであることをお互いが自覚している。ここには現実への厳しい目と、どこかに希望を見出そうとする意志とがある。
 それを読みやすい作品に仕立てたという点は評価する。だが、小説として読者に提供するには、もっと書きこむ必要があった。芝田敏之の「人気投票」と同じ問題を抱えていると言うべきだろう。

小宮次郎「虹の橋」を読む  鬼藤千春

小宮次郎「虹の橋」を読む  鬼藤千春

 これは銀行の女性、正行員と非正行員の連帯・団結を描いたものである。現代社会における女性の非正規社員は、50%を超えているといわれている。その非正規社員の処遇は極めて劣悪なものである。同じような仕事をしていても、賃金が半分以下とかボーナスが無いか、あっても僅かである。年休なども与えられていない職場は少なくない。
 そのために、正規社員と非正規社員が連帯・団結をしてゆくのは困難が伴うのである。この銀行でも正行員と非正行員の間には溝がある。
 「正行員はいいよね。休んでも早退でもお給料が引かれなくて」
 パートの梅村順子の言葉である。
 このように、正行員と非正行員の間には、埋めるのは相当難しい溝が横たわっている。しかし、正行員が1年で最も忙しい12月を前にして、退職してしまう。そのために、正行員もパートも連日残業が強いられるようになった。また、現金が10万円合わない、というトラブルも発生した。
 主人公の夏美は、課長や支店長や組合役員と掛け合って、1人増員するように要請してきたが、彼らはいずれも難しいということを繰り返すばかりであった。そこで、夏美たち正行員とパートの女性が集まって、嘆願書を提出することにしたのだ。そして、正行員とパートの女性全員の署名と捺印の嘆願書が作られ、支店長に提出されたのである。
 題名の「虹の橋」というのは、ここからきている。つまり、正行員とパートの溝が埋められ、橋が架かったのである。
 この作者は、「民主文学」初登場である。この作品のモチーフもテーマも明確で、それに沿った物語が展開されている。無駄なことがほとんど書き込まれることもなく、簡潔で分かりやすい小説になっている。つまり、ムダ、ムラ、ムリのない作品になっている。初登場の作者は、一応の成功を収めた作品を書き上げたといっていいだろう。
 が、私はこの作品を読んで、「社会的な事件、出来事と人間」ということを考えさせられた。「社会的な出来事」を書いてゆく場合、よく落ち込むのは「人間」を描くということが、おろそかになるということである。
 私たち読者は、社会的な事件、出来事がどのように展開され、どのような解決をみるのか、という興味ももちろんある。しかし、読者が真に求めているのは、事件や出来事の在りようではなく、その中に生きる人間である。つまり、「時代と社会の中に生きる人間」がどのように形象化されているか、そのことこそが真に求められているのである。
 そして、小説を通して「人間とは、人間らしく生きるとは、人生とは」を受容し、感得したいと思っているのである。この作品は、小品でそこまで求めるのは控えなければならないが、夏美と順子の人間像をもっと深く描くということも、課題として残っていると言わなければならない。

もりたともまつ「六十七年目の潮路」 石崎徹

 もりたともまつ「六十七年目の潮路」(民主文学7月号)  石崎徹

 高齢の作者だが、簡潔で歯切れ良い、読みやすい文章である。「民主文学」を読むようになってから、さまざまな方の作品に接してきたが、文章には作者の性格や人柄や思考方法までが表現されるような気がする。ぼくが作品を採りあげるとき、内容よりもまず文章に注目するのはそれゆえである。文章は内容以上に作者を語っている。
 内容は妻の死から、妻の死後訪れた壱岐対馬の情景、生地であるソウルでの生活から、引き揚げの様子、その後の生活と多岐にわたっており、いくぶん散漫な印象はあるが、それでも読まされてしまうのは、文章がよいからだ。
 簡潔な表現に徹しているのに、読み終わるとじわっと情感がわいてくる。二年前に亡くなった妻の影をひきずっているからでもあり、主人公の見る風景のすべてに妻の姿が投影されているからでもあるのだが、いつしかこの妻の姿が、11歳の敗戦直前に出会った同い年の朝鮮人少女の姿とダブってくる。
 少女もその両親も日本語をしゃべるのに、自分は朝鮮語をしゃべれない。少女の兄は日本兵として戦死している。
 米軍の空襲もないソウルで幸せに暮らしていた自分たちの背後に、朝鮮人たちのどんな犠牲があったか、知る由もない少年であった。
 「日本へ帰る? 行くのでなく帰る?」「なぜ生まれ故郷を捨てて見知らぬ日本へ行かねばならないのか」「だって自分は朝鮮語をしゃべれないじゃないか。朝鮮語をしゃべれない者がここで暮らしていけるはずがない」
 ここに劇的転換があって、エッセー風の書き方でありながら、強い小説的構成を感じさせる。
 実はこれを読む直前に、ソウルの日本人小学校について書かれた記事をたまたま読んだ。(インターネットの「古本屋通信」参照)。ソウルに日本人学校ができた最初から敗戦までの歴史の概説である。そのせいですべてが思いあたり、よけいに興深かった。それによると日本人向け小学校でも、最初は朝鮮人教師を雇って、朝鮮語を習わせていたのである。ところが1910年の朝鮮併合からそれをやめてしまう。そういう背景を思い浮かべながら読んだことで一層興深い作品との出会いとなった。上記記事にはソウルのいくつもの日本人小学校が出てくるが、ちなみに、この作品の主人公が通っていたのは、東大門小学校である。

もりたともまつ「六十七年目の潮路」を読む  鬼藤千春

もりたともまつ「六十七年目の潮路」を読む  鬼藤千春

 これは作者と等身大の主人公、森知次の壱岐・対馬の三日間の旅と終戦前後の朝鮮半島での暮らしと引き揚げにまつわる話である。ほとんど事実に基づいた話だけれど、随想でなく小説として成立している。
 この作品を語る場合、文体・文章に触れないわけにはいかない。品位の高い作品に仕上がっているのは、文体・文章が優れているからである。比喩や形容詞をほとんど遣わなくて、対象を的確に表現することに成功している。この作者は、よほど文章の修練を積んできたか、あるいはもともと文才を備えていたか、いずれにしても格調高い文章にかわりはない。
 この作品が格調高いのは、文体・文章のみに依存しているからではない。それは、しっかりとした歴史認識に立脚しているからである。この歴史認識が曖昧で、ぶれるようならこうした作品は書けない。歴史や過去に盲目で、目をふさぐようなら、この作品は成立していなかっただろう。
 歴史や過去に盲目であるならば、現代をしっかりと認識できないのは当然である。さらに、過去・現代を認識できなければ、未来への展望も決して拓かれないだろう。この作品には表立って、未来が語られているわけではない。が、にもかかわらず、作者の視座には未来が内包されているのである。つまり、作者と主人公、知次の歴史認識の座標軸がゆるぎなく屹立しているのである。
 この作品では、父や母のこと、京城での暮らしのこと、そして引き揚げのことが回想として描かれているが、過不足なく表現されている。そして、忘れてはならないのは、妻加代の存在である。しかし、加代はすでにこの世にはいない。鬼籍の人である。が、折々に知次の脳裏に浮かんでくる。あたかも一緒に旅をしているようである。今でも加代を慈しむ知次の愛情に胸を打たれる。
 また、壱岐・対馬の旅のようすも単なる紀行文に終わっていない。旅のようすに歴史をからませながら、物語を創りあげているのである。このようにこの作品は、文体・文章、歴史認識、旅のようす、回想、加代の問題などを、これ以上でもこれ以下でもない、という風に事実を吟味し、分析し、再構成された優れた小説といえるだろう。

高林正夫「爪」  石崎徹

高林正夫「爪」(民主文学7月号) 石崎徹

 小頭症の子とそのかたくなな母親を相手に格闘する新任教師の話である。ひたすら格闘の現場に密着して描写していく。その文体はやや平板ではあるが、静かな迫力があって、読者をひきつける。読み終わったあと深い溜息が漏れた。ところどころに挿入される音や光の描写に作者の筆使いの個性がのぞいてメリハリをつける。
 才能を感じさせる好編ではある。が、不満が残った。障碍児や、障碍児教育に無知な読者の一人として、多少の知識を与えてほしかった。例えば障碍児教育にはかなり専門的な知識を必要とすると思うが、「医療分野に関して全く門外漢の秋本」と書かれている。日本の障碍児教育の現場がどうなっているか、解説的にはなるが、一言触れてほしかった。もちろん「医療分野に関して全く門外漢の」と書くことで解説せずに触れているのだが、これだけではあまりに現場に密着しすぎていて、障碍児教育の全体像が見えてこないのである。
 小頭症についても医学面の解説が欲しかった。小頭症教育の全体像が知りたかったのである。
 この作品は現場に密着することで独特の迫力を生みだした。かなり希有な作品とも言いえよう。ただズームしっぱなしのレンズを少し離して俯瞰図を映してくれるところがあれば、もっと読者の心に深く刻み込まれたのではないか、と思うのである。
 あと、母親の像が不鮮明だった。小説なのだから、服装だけでなく、年齢や容姿も書いてほしかった。心のなかをイメージしにくい母親であるだけに、せめて外観でイメージしたいのだ。

髙林正夫「爪」を読む  鬼藤千春

 髙林正夫「爪」を読む  鬼藤千春

 意味深長な題名で、興味深く読むことができた。が、「爪」とか「指」というのは、独自性がありそうで、意外にありふれた題名でもある。
 この作品では、ふたつの「爪」を象徴的に描いている。健の「爪」だけでもよかったように思うけれど、主人公、秋本の生き方とも関わっている「爪」なので、ふたつの「爪」でなくてはならなかったのだろう。
 これは、途中まで読む限り、教育実践発表会で報告すれば、優秀賞を受賞してもおかしくないような作品だ。つまり、終盤まで、「教育実践記録」のような作品なのである。
 健は小頭症で、寝たきりである。日常生活上のことはすべて介助を必要とする。食事、排泄、移動、衣服の着替え、入浴などの介助が必要で、知的にも重度な障害がある子どもである。
 その健が、笑ったり手足を動かしたりするとはとても思えない情況なのである。が、秋本の心を込めた接し方や指導によって、健が「ふふふっ ふふふっ」と笑うようになったのである。秋本の懸命な創意工夫と実践によって、健の潜在能力が引き出されたのだ。
 母親はどうだろうか。訪問指導に入って約3カ月の間、母親は愛想もなく無言のまま、煙草を左手と中指に挟んで吸っているのみである。挨拶しても何の反応もない。どうしようもない母親である。
 健の「爪」を切るようにお願いしていたが、一向に切るようすがなかった。ところが、しばらくして健の「爪」は切られていた。母親の心が少し動いたのである。また、健が笑うようすを見て、母親も笑ったのだ。画期的な変化である。
 この、健と母親の変化は爽やかで感動的である。これで一編の小説になりえたように思うけれど、何かもの足りない。優れた「教育実践記録」的なのである。つまり、典型的な予定調和である。
 しかし、作者はこの物語をそこで終わらせるようなことをしなかった。秋本が、ビニールプールを家の外に出して、その中で健を遊ばせよう、と提案した時だった。
 「いやです、それだけは」
 と、母親は断った。もう一度秋本は勧めた。
 「いやです、それだけは。絶対にいやです」
 母親はさらに険しい表情をあらわにした。
 この時、私はこの物語が優れた「教育実践記録」から、優れた小説の世界を獲得したと思った。作者は読者を裏切り、予定調和を打ち毀したのである。そんなに容易に問題は解決されないことを提示し、母親の心の底には鉛のように重いわだかまりがあり、今後もこの困難に真向かうことを秋本に求めているのである。
 秋本はストレスやもどかしい思いにとらわれたりしたら、右手の親指に左手の親指の「爪」を当てる癖がある。しかし、秋本は、母親のその言葉を聞いても「爪」を突き立てることがなかった。そこに、この物語が失望に落ちてゆくことなく、希望という余韻を残して結末を迎えるのである。そこに秋本の前向きな生き方が示されているのだ。
 小説にとって、すべて予定調和が悪いというわけではない。それを心得た上で、予定調和をしりぞけたこの物語は、作品世界を広く深いものにしたのである。

梅崎萌子「桜の木のあるところ」 石崎徹

 梅崎萌子「桜の木のあるところ」 石崎徹

 この作品の批評はとても出来ない。これは批評以前である。読みにくい作品というのは世にいくらでもある。げんに「abさんご」はとても読みにくかった。でも文章の筋は通っていた。この作品の文章は文章以前である。文章が下手でも感動的な作品、面白い作品というのにも今まで出会ってきた。しかしこの作品はいけない。編集部はどこを評価して載せたのだろう。そんなに原稿が足らないのか。
 「まがね」にもこれをはるかに超える作品はいくらでもあるし、毎月の支部誌評を読めば、全国の支部誌にはずいぶんありそうである。支部誌に載ったものは民主文学には載せないという原則を廃すべきではないか。つまらない作品がひとつでもあるとその雑誌は見向きされなくなってしまう。支部誌で書いている作家たちだって気分が悪いはずだ。

梅崎萌子「桜の木のあるところ」を読む  鬼藤千春

梅崎萌子「桜の木のあるところ」を読む  鬼藤千春

 この作品を通して、作者は「どんな文学的問題を解決」しようとしたのだろうか。いや、問題を解決するだけが文学ではないのだから、「どんな文学的問題を提起」しようとしたのだろうか。
 ある評論家は、「題名と書き出しと結末」が決まれば、30枚くらいの短編はそんなに難しくなく書けるだろう、と言っている。それに従えば、この作品は以上の三つのことが構想され、決められていたように思う。
 書き出しは、義母キエの遺影と白布に包まれた骨箱が静かに祀られ、和室に秋の日ざしが差し込むようすが描写されている。そしてキエを埋葬する墓地がないことが語られている。
 結末は、キエを埋葬するために美都子の家族が墓地の前で、石材店の人が来るのを待っているようすが描写されている。
 題名は、生前キエが「桜の木のあるところ」に帰りたい、という想いを抱いていたということから決められたのだろう。
 このように、この作品は「題名と書き出しと結末」が決められ、書き始められたに違いない。だから、書き出しと結末は印象深い描写となっている。作者のその構想は決して間違いではなかったように思う。
 だが、この作品は「どんな文学的問題を提起」しようとしたのか、それが不明瞭なのである。読者にそれが伝わってこないだけでなく、作者にもそれが曖昧模糊としていたのではないだろうか。
 それがもっとも象徴的に表われているのが、登場人物の多さである。回想の人物を含めて17人前後にも及ぶのである。私も30枚前後の短編で5人の人物を登場させた作品があるが、それでも多いと言われたことがある。5人くらいなら許されると思うけれど、17人というのは短編の限度を超えている。
 それは「どんな文学的問題を提起」しようとしたのか、が曖昧なためにテーマに沿って、無駄な人物やエピソードが整理されなかったために他ならない。
 義母キエの人物像、生き方、人生を描くのか、「骨の行方」を描くのか、それがきちんと定まっていないのである。この作品の中では、キエの人間像が折々に小出しにされている。が、そうではなくて、作者が正面からキエと対峙して、キエの人間像を浮き彫りにする必要があったのではないだろうか。それが残念でならない、そういう作品である。

芝田敏之「人気投票」 石崎徹

 芝田敏之「人気投票」(民主文学7月号)     石崎徹

 一口に小説と言っても、そのスタイルはさまざまである。人生の微妙で奥深い様相を濃密な文体で提供してくれる作品もあれば、行き場を失った精神の叫びのような作品、あるいは読者を迷路に踏み込ませるような難解なもの、いずれもスタイルに内容が伴っていれば読むに値する。
 芝田敏之はあくまで軽い文体で、面白くさわやかに物語を作り上げる。
 3月号に「種火」を書いた作家である。「種火」は40年前の話で、自伝的要素を濃厚に滲ませながらも、小説としての構成を過たず、軽く面白くさわやかな話に仕上げていた。時代の雰囲気もよく映しとっていたと思う。
 今回は現代のスーパーを舞台に、やはり軽く面白くさわやかな物語を提供している。「種火」から想像するに、おそらく作者は60代と思われるが、現代の雰囲気を間違えていない。
 しかも軽く書きながら、物事の扱いは決して軽くない。経営と労働のとらえ方、その対立と一致。とりわけスーパーの描写は写実的である。橋下発言の扱い方もうまい。
 ただ少し物足りない気がするのは、問題がいかにもあっけなく解決してしまい、そこに葛藤が感じられないからだろう。
 読者というものは贅沢なもので、話がうまくいきすぎると不満なのだ。どこかに未解決な問題が残ってほしいのだ。それは実際の人生がそういうものだからでもあろう。この作品の場合には杉山の店長としての評価が今後どうなるのかというところに不安材料を残してはいる。だがそこは素通りされてしまった。
 「種火」の場合は、面接に失敗するかもしれないという不安を押し切って決断したところに焦点が当たっていたので、この「決断」のさわやかさが印象的だった。今回作も杉山の「決断」で終わらせるべきだったのかもしれない。
 そういう不満は残るが、こういう小説は「民主文学」にぜひ必要である。ともかく面白く最後まで一気に読ませてしまう。退屈するところがない。楽しませる。それでいていろいろ考えさせる。
 冒頭に書いたようにこういうものが唯一の小説だとはぼくは考えないし、小説はいろいろあるべきだが、「民主文学」に特に不足しているのは、こういう小説を書ける作家だろう。

芝田敏之「人気投票」を読む  鬼藤千春

芝田敏之「人気投票」を読む  鬼藤千春

 これは、「なぜ書くのか」、「何を書くのか」、「どのように書くのか」、が明瞭な作品である。モチーフもテーマも創作方法も非常に意識化して書かれている。
 この作品は、いろんな夾雑物が捨象され、テーマに向かってゆるぎなく物語が収斂してゆく。つまり、「人気投票」がいかに不条理であるかが吉田義男や、レジの女性たちによって明らかにされ、店長はそれを撤回するという物語である。
 不条理は敗北し道理が新しい地平を獲得するのである。したがって、この物語は一見爽やかで、溜飲が下がるように思える。だが、一読して本を閉じたあと、私は何か違和感を覚えずにはいられなかった。
 それは一体何だったろうか。それは「虚構」ということだった。「虚構」ということが私を捉えて離さなかった。
 「虚構」を辞書で当たると、「事実でないことを事実らしく仕組むこと。また、その仕組んだもの。作りごと。フィクション」とある。
 この作品は「虚構」でありフィクションである。たとえ事実が部分的にあったとしても、その事実を分析し、再構成した虚構の世界を描いたものだろう。小説というものは、だいたいそういうものだ。
 「事実と虚構」、その違いはどこにあるのだろう。事実を書けば小説になるということではない。事実を書いたのだから「本当のこと」だ。だから、真実だ、という風にはならない。事実は事実に過ぎなくて、真実ではない。作家が「虚構」を駆使して書くのは、真実に限りなく迫ってゆくためだ。
 この「人気投票」が問題なのは、「虚構」にあるわけではなく、その「虚構」が、恣意的であるということだ。テーマに向かって物語を創ってゆくのに、作者の設定があまりにも安易ではなかろうか。
 橋下というテレビの男、人気投票、来店者数と売上増、吉田義男という男の存在、レジの女性たち全員の署名簿、店長の人気投票の撤回などの設定が、恣意的でカリカチュア(戯画的)なのである。
 いくら、小説の世界が「虚構の世界」だといっても、リアリティーをもたず、現実にしっかり立脚していなければ、その小説世界は瓦解してしまうのだ。それが惜しまれてならない作品である。

「赤い手袋」  笹本敦史

 赤い手袋   笹本敦史

 公園で四歳の娘を遊ばせながら、私はベンチで文庫本を読んでいた。娘は同じ年代の子どもたちの中に入ると、すぐに友だちを作ってしまう。私は決して社交的な性格ではないので、きっと妻に似たのだろうと思う。今も初めて会った二三歳年上の女の子二人と仲良くなり、砂場で何かを作っては壊す遊びを飽きることなく続けている。
 若い男が私の隣に座ってきた。私は居心地の悪さを感じはじめた。公園には空いているベンチがいくつもある。わざわざ隣に座ってきた男のことが気になり、しだいに文庫本の文字が頭を素通りするようになった。意味が理解できず、三行前から読み直したが、やはり文字が頭を素通りしていく。
 私は横目で男を見た。二十歳前後だろうか、これと言った特徴のない顔だ。一時間後にどこかですれ違っても、この男だと気づくことはないだろう。そんなことを考えていると男がこちらを向き、目が合った。
「最近、変だなあと思うことがあるんですよ」
 男が言った。私に話しかけたのだろうとは思ったが、私は目を逸らし聞き流した。
「赤い手袋があるじゃないですか」
 若い男は馴れ馴れしい口調で話し続けた。
「ホームセンターなんかで売ってる作業用の手袋ですよ。手のひらがゴムで、甲のところがポリエステルかなんかの赤い布でできてるやつですよ。布が緑とか青とかもありますよね」
 若い男が言っているものが何となく想像できた。気がついたら私は頷いていた。
「最近、あちこちで見るんです」
「そんなに珍しい物じゃないからね」
 無視するつもりだったにもかかわらず、つい私はそう言っていた。男はゆっくり頷いた。
「そうです。店で売っていたり、人が使っていたりするのを見るのは珍しくないです」
「それじゃあ、何が?」
 私は男のペースに乗ってしまっていることに気がついたが、とりあえずこの男が何を言おうとしているのか知りたい気持ちになっていた。
「落ちているんですよ」
「落ちている?」
「そうです。道に落ちていたり、ブロック塀の上に置いてあったり、さっきはそこの川の中に落ちているのを見ました」
 男は公園の外を指差した。私はその方角に目を向けたが、男の話には半ば興味を失っていた。
「それだけたくさん売れているということだろうって思っているでしょう」
 男は私の思っていることを言い当てた。
「でも違うんですよ。私が見たところ青い手袋も同じぐらい売れています。でも落ちているのは赤ばかりです。不思議でしょう?」
 私は仕方なく頷いた。
「しかも……」
 男はもったいぶったように言いよどんだ。私は無意識に唾を飲み込んだ。
「それが、全部右手なんです。当然、右手と左手は同じ数だけ売れているはずですよね。不思議じゃありませんか」
 私は頷きながらも、男の芝居がかった言い方に、やや気持ちが冷め始めていた。
「さらに不思議なのは、この異常事態に誰も関心を寄せていないということです。現にあなたも僕が指摘するまで気がついていなかったですね」
 男の口調はますます芝居がかってきた。
「でも大丈夫です。僕が必ずこの怪現象の原因、おそらくは何かの陰謀、を突き止めます。そして破滅的事態に至る前に、それを解決します。幸い僕には有能で勇敢な仲間がいます。その仲間に、あなたも加わっていただきたいと思っているのです」
 ただの妄想男か。私は無難に応えて、男に引きとってもらうことにした。
「私には期待されるような能力も勇敢さもありませんから」
 私は計算通りの寂しげな笑顔を作った。
「残念です」
 男は心から残念そうな表情を浮かべて立ち上がった。
 砂場を見ると、娘と遊んでいた子どもがバイバイをしていた。娘もバイバイをして立ち上がり、私の方へ歩いてきた。もう昼ごはんの時間が近い。
「父さん、これ落ちてた」
 娘が差し出したのは赤い手袋だった。頭に浮かびかけた「怪現象」という言葉を私は打ち消した。
「戻しておいで。落とした人が探しに来るかも知れないから」
「はあい」
 娘は素直に応えて、砂場へ走って行った。手袋を砂場に落とし、手袋に向かってバイバイした。

5月例会の報告と6月例会の案内

5月例会の報告
 5月26日、吉備路文学館で5月例会を開催しました。
 笹本から民主主義文学会第25回大会参加の報告がありました。

「まがね54号」の合評

「滅亡の序曲」 田中俊明
・文章がいい
・あまりなじみのない人物を中心にすえることでうまく創作できている。
・今川氏真や武田信玄のイメージを変える作品になっている
 作者から
・歴史の事実に沿って書いているが、記録がないため創作した部分もある。
 例えば、氏真の妹(実在した人物だが)、氏真の剣の力量など。

「ある婚活の場景」 井上淳
・会話だけで男女の人物像がくっきり描かれている。
・女性は見栄を張っているのか、ひょっとしたら詐欺か、とかいろいろな読み方ができる。
 作者から
・現代の結婚事情について調べて書いた。これからも「欲張らずに」書いていきたい。

「小説が書けない」 野中秋子
・随想のような書き出しだが、サーファーが出てくるあたりからおもしろくなる。
・文章が支離滅裂。
・人生をふりかえり、これからどう生きたいかということが書かれている。
 作者は欠席でした。

「認知症の母」 桜高志
・認知症の悲惨さだけに終わってない。
・今までと違い文章が一貫している。
・話に聞くおもしろさが文章では伝わってこない。
・エピソードの羅列になっている。(構成を考えた方がいい)
 作者から
・「ペコロスの母に会いに行く」(4コマ漫画)をヒントに書いた。

6月例会のご案内
日時 6月23日(日) 13:00~16:30  場所 岡山市民会館
内容
13:00~14:30は「まがね」編集会議を行ないます。
14:30~
 「まがね54号」合評
「掌編 四題」鬼藤千春  随想 詩 書評

中国地区文学研究集会について

妹尾倫良「四十年目の夏」を読む  鬼藤千春

 秀作・妹尾倫良「四十年目の夏」を読む  鬼藤千春
    1986年3月「まがね」第15号

 被爆40周年を迎えたこの夏、広島で被爆した100人近いジャーナリストの「不戦」の碑が建立された。その機会に、被爆したジャーナリスト関係者と家族の消息を調査し、聞き書きなどして平和の尊さを世に伝える企画がなされた。
 「私」は津山に被爆者の家族がいるというのを聞いて、そこを訪ねた。そして、広島の原爆に遭った家族に会い、その様子を聞かせてもらったのである。その人は、主人を原爆で喪った未亡人で、気持ちよくその模様を話してくれた。
 主人は津山新聞(のち岡山新聞に吸収合併される)の記者をしていた。20年の5月に広島へ赴任することになった。8月になって広島が大変なことになったということが伝わってきた。主人から速達がきたのは終戦の翌日16日だった。その手紙は代筆でした。「広島の戦災にて重傷致し、国民学校講堂に伏床中なれど、板の上にそのままでフトンもなく困りはてておられる」というものだった。
 そして、姉の婿が広島へ行ってくれたんです。顔と腰以外は全身火傷で床に寝かされており、歩くこともできなかった。姉婿は担架を都合して、津山まで連れて帰ってくれた。主人はすぐに入院しました。「背中がむずむずする、見てくれ」と主人は言いました。見ると蛆がわいていました。生きとる人間に蛆ですよ。
 「手に針が立っとる。カミソリが立っとる、取ってくれ」と主人は言うんです。ひりひりして痛かったんでしょうな。そんなことがあって、やがて主人は亡くなってしまいました。8月24日、年齢は34歳でした。
 私は30歳で未亡人になったんです。考えてみれば、結婚生活は7年間でした。それからはとにかく働くばかりでした。5人も子がおれば、私が頑張る以外道がないでしょう。行商、失対事業、寮の管理人、とにかくよう働きました。生活保護も末っ子の奈津ちゃんが中学に入ってから、初めてもらえることになったんです。子どもが幼い時は、生活も苦しかったし、何度一緒に死のうと思ったか知れません。話が終わったのは2時近かった。朝の9時からの聞き書きだった。
 最後に奥さんは言った。
 「今はええです。戦争はもういやですな」

 これは、1986年度の「民主文学」支部誌・同人誌推薦作に入選した作品である。「まがね文学会」としては、三宅陽介の「山男と弥ァやん」の優秀作につぐ、2人目の受賞である。
 奥さんの話が被爆の情況、残された家族の生活の在りようをリアルに伝えている作品である。妹尾倫良の作家活動のひとつの一里塚であるとともに、それ以後の作家としての歩みの起点ともなったものである。

秀作・三宅陽介「山男と弥ァやん」を読む  鬼藤千春

秀作・三宅陽介「山男と弥ァやん」を読む  鬼藤千春
1978年9月「まがね」第3号

 この作品は、「民主文学」‘78年の支部誌・同人誌推薦作の優秀作に選ばれたものだ。また三宅陽介が、35年以上にわたる作家活動の出発点となった、記念すべき作品である。その後、彼は2つの長編とその他の単行本を上梓し、数多くの短編、そして随想を発表してきた。
 この作品の主要な登場人物は、「山男と弥ァやん」、そして視点をもった「ぼく」の3人である。この3人の人物形象が優れている。まさに、血と肉をもったリアリティのある人間として、作品の中で生きている。
 特に、弥ァやんが生き生きと描かれている。彼は終戦の日から50日ほど経った、秋の半ばに戦地から帰ってきた復員兵である。弥ァやんは25、6歳の青年で、ぼくとひと回りくらいの年の差があった。
 彼は戦地から村に帰った翌朝には田圃に出て、鍬を揮い村の衆を吃驚させた。また、彼は松茸引きの名人だった。ぼくは働き者で、松茸引きのうまい弥ァやんを敬服していた。ぼくは以前、彼に松茸引きに連れて行ってもらったことがある。
 その弥ァやんが、まだあたりが仄暗い朝、松茸引きに出かけていて、偶然、山男に出くわしたのである。山男は山兎のようにすばやく消えてしまった。その話が広まると、わしが山で逢ったのもその山男かも知れん、という目撃者が現れた。寺の住職だった。
 そして、3番目の目撃者になったのは、ぼくだった。見たのは鎮守の森から50米ほど登った天王さんだった。ひと坪ほどの祠の祭壇の前で兵隊服の男が、お供え物を食べているのだった。そして、男はぼくたちの方を見てにっと笑い、大股に歩いて山へ入って行った。
 それから、村ではさまざまなことが起こるようになった。お初っあんの台所に入り込んで、羽釜に半分以上あった麦飯が、ひと粒残さず平らげられていた。そして、留守の間に何者かに入られて飯を食われた、という家がだんだん現れるようになった。
 その頃から、山男の正体は脱走兵らしい、という噂が流れるようになった。台所の土間についてある足跡が、大きな兵隊靴だったのだ。そして、役場の人の話では、終戦のひと月ほど前、この村の駅に臨時停車した軍用列車から、ひとりの兵隊が逃げ出したことがあったという。その脱走兵が、龍王山にこもっている山男ではないかというのだった。
 ぼくのお祖母ァは、自分の息子を戦争でなくしていたが、墓参りだと言って、頻繁に墓地に行くようになった。饅頭や餅のお供え物は、お父うと山男のためのように思えた。
「ほんに死んでしもうてはつまらんのう。お国のためじゃいうて、死んでしもうたら何にもならんことよ」とお祖母ァは、お父うの墓の前で声を震わせて訴えるのだった。
 3月に入って、山男をつかまえるために、部落総出で龍王山の山狩りをすることが決まった。捜索隊は40数人集まり、弥ァやんは副隊長である。家には男手がいないので、隊員としてぼくも参加した。
 8人から10人くらいで5つの班をつくり、龍王山の5つの谷を捜索するのである。しかし、山男は見つからなかった。そして、弥ァやんが解散を宣言した。そして、みんな山を下りかけた時、忘れ物をした太一サが引返したら、石垣をよじのぼっている山男を見つけて大声を上げた。
 そして、山男は捕らえられたのである。あっけない幕切れだった。弥ァやんは役場の兵事係と駐在所の巡査に山男を突き出したのだった。お祖母ァは晩飯の時、誰にともなく言った。
「山男サは可哀そうなことをしたのう。せっかく命が助かって、ええ所に住んどったのに。ほんに弥ァやんはむごいことをしたのう」

 この作品は、詩人の土井大助や評論家の佐藤静夫などから高い評価を受け、三宅陽介が作家として歩み始めた処女作である。

望月笑子「無機質な腐敗」 石崎徹

 望月笑子「無機質な腐敗」 石崎徹

 派遣で働きはじめる冒頭部分はけっこう読ませた。文章に若干乱れもあったが、内容の面白さと文章の読みやすさが勝った。ところがだんだん話があれこれととめどなくなっていき、思いつくまま書いている感じになる。
 頼りない恋人の話、不良少女の話とかいろいろあって、どこでつながっていくのかと思っていると、すべてが切れ切れのまま中途半端で終わってしまい、(受け取りようによってはそれこそまさにリアリズムなのだという気もするのだが)、結局はセクハラの話に収れんされていく。
 それが本筋なのだが、この本筋に入ってからが、事実経過の羅列にすぎなくなってしまう。ほんとうに小説的部分はむしろ本筋に入る前の部分にある。
 セクハラは精神的被害の部分が大きいだろう。それを書かねば小説にはならない。裁判の準備書面で後付けで文書告発されるだけでは、被害が人間的被害として伝わらない。
 何があったかということを書くだけでは小説ではない。それを再現するのが小説なのだ。主人公の受けた痛みを読者に感じさせるのが小説である。