2013年03月の記事 (1/1)

中国地区連絡懇談会が開催されました。

20130331


2013年3月31日(日)11時~16時30分、岡山市の吉備路文学館で民主文学中国地区連絡懇談会が開催されました。
山陽自動車道が事故で通行止めとなったため、呉支部4名のみなさんは午後からの参加となりましたが、岡山支部7名、山口支部2名、鳥取支部1名と常任幹事会から岩渕剛さんが参加しました。

作品合評の後、主に組織課題について常任幹事会からの報告・提起、各支部の活動交流を行ないました。

 呉支部からは、若い女性が3人加入したこと。事前合評から手直しをして瀬戸文学通信に載せるという流れが定着してきていることなどが報告されました。
 当日、会場で1人が民主文学に入会(準会員)されました。

 鳥取支部からは、人数が少ないこと、高齢化していることなど厳しい条件がある中で、例会は4人が参加して、毎月開催していること。宣伝用に「民主文学」を支部として1部購入して活用していることなどが報告されました。

 山口支部からは、「すおう文芸」の発行についてと合評会の開催について報告がありました。

 岡山支部からは、世代交代が進んでいる状況、ブログの開設について報告がありました。


作品合評で取り上げた作品と批評(一部)

「幕末の挑戦者」(山口支部 水野良正)
・ストーリーがしっかりしていて、テーマもいい。
・終盤の展開が急。長編にした方が良いのでは。
・動機を掘り下げたらもっと良くなる。

「離婚調停」(岡山支部 井上淳)
・和美がいきいきと描けている。
・葛藤が描かれていない。
・離婚原因を想像させる小道具を使うといい。

「手紙」(呉支部 筒井くに代)
・2作目としてはよく書けている。
・情景描写がなく、筋書きになっている。
・渡した本を具体的にすると人間性が明らかになる。

「直球勝負」(呉支部 小澤直)
・描写がうまく、文章もいい。
・いろいろ書きすぎて統一性がない。
・構成を少し直せばすっきりわかるようになる。

(笹本)
スポンサーサイト

「まがね54号」感想  野村邦子


(山口県光市の野村さんから丁寧な感想が寄せられました。野村さんは俳句、俳論がご専門ですが、上関原発、光市母子殺人事件などすぐれたルポを書かれ、後者では永山則夫の著書にも言及、また村上春樹の「1Q84」を論じるなど、幅広く評論されています。以下に紹介します)


「まがね54号」感想   野村邦子

 梅から桜へと季節は足早に経過していきます。
「まがね54号」お送り下さって、まことにありがとうございました。来し方の中国ブロックでの白熱した討論など懐かしく思い起こしております。岡山支部は優れた書き手に恵まれ、充実した内容に感嘆しました。皆様それぞれのご努力もさることながら、支部としての協力体制に頭の下がる思いがいたします。
 山口支部はベテランの書き手が次々と鬼籍に入り、残された者も高齢化の波で、存続が危ぶまれるような状態です。何とかして起死回生の方策がないものかと頭を悩ましております。世の中右傾化の憂い多く、こういう時こそ、民主文学の灯を掲げ、時流に抗し、若い人に「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」ということを示さなければいけないとは思っております。「まがね」に勇気をもらった気がいたします。
 ともあれ、的はずれな感想で相済みませんが、印象に残った作品を目次に従ってつらね、お礼に代えさせていただきます。

「わだかまる」笹本敦史
 DVが社会問題になっている現実、男女差別などの日本の旧弊が、天井裏の蛇のようにとぐろを巻いて生き残っているのだろう。父の死が殺人なのか、事故死なのか、ミステリアスな提示で、サスペンス風なおもしろ味がある。最後の場面で、「参列者の多くがわかった上で、見ていない振りをしている」日本人にはこういう態度がえてして多い。母の気持ちを本当に思えば、姉さんは母に、(信長のように)、父の遺影に抹香を投げつけさせればよいのにと思う。父が高校の倫理の教員という設定は少し無理があるように思う。姉の隠蔽工作が、日本的で何とももどかしい。きれいごとはよくない。「姉さんは僕が捨てたものを一人で背負っていこうとしている」という結びは甘ったるい。わだかまりを解くには、きっぱりと裁断することだ。

「小繋事件」(書評)石崎 徹
 読んでいないので、まことに申し訳ございません。尖閣諸島の領有権問題、タイムリーな重いテーマである。日本、中国、台湾間で、「現場の歴史的な実情から出発し」平和的に解決する方法はないのだろうか。領土問題の小ぜりあいが、戦争に拡大することを我々は何よりも恐れる。アジアの近隣諸国とのわだかまりも、元はといえば、日本人がドイツと違って太平洋戦争の戦後処理と反省をいいかげんにしてきたからだろう。近くは上関原発で住民の「入会権」を取り上げ、所有権をかさに中電に勝手なまねをさせていることを連想させてくれる。

「滅亡の序曲」田中俊明
 興味深く読んだ。信玄を英雄視した従来の解釈のアンチテーゼ。歴史的事実を掘り下げ、しっかりした歴史観をもっておられるのに感動した。義信が魅力的である。孫子の兵法の奥義はよく分からないが、権謀術数では、大義に反し、天下を治めることはできないということだ。歴史小説として登場人物の個性もよく描き出されていると思う。

「小説が出来ない」野中秋子
 少々気どりがあるようだが、文章が達者な人だと思った。サーファー君のような生き方に賛意を表する筆者は、精神的な若さを失わない人だと思う。二十代の青年がサーファー君にあこがれるのだったら平凡で、むしろ「地についた生き方を求めて働きなさい」とお説教したくなるかもしれないが。

「掌編4題」鬼藤千春
 志賀直哉の掌編集を思わせる文章だが、すっきりして読みやすかった。「駅」は何とも切ない。3,11でこういう家庭が多く存在するのではないかと思う。「捜し物」では誰にも一つ二つそういう思い出の品があるのではないか。もの言わぬ宝物が、そっと引出しにしまい込まれているとか。だが、「恭平は、その布由子の優しい心を裏切ったのである……」から以下の文章はない方がよいと思う。余情が薄れる?

「ノロ鍋始末記」石崎 徹
 作業現場で体験しなければ表現できないようなとても臨場感あふれる作品である。チームワークからはみ出す者、良心的で気の弱い人、理性的な人、ずるい人間など、さまざまな人間模様をちりばめ、くり広げられていく。後編がどのような展開になるか楽しみである。長編を作るには、エネルギーのいるものだろう。作者の体当たりの筆力に引き込まれる。正当なプロレタリア文学に近いものを思わせる。これがリアリズムというのであろうか。願わくば、心理描写などを交えて、特定の主人公をきわ立たせて、展開していただくとありがたい。荒っぽい会話が労働者らしさをイメージさせる。ところで、会話中心で展開するのは、戯曲でない限り、多用は安易に流れる危険性があるのではないかと思われる。ドラマでない小説の独自性は何でしょうか。

 生意気なことばかり書いてすみませんでした。他の作品については、よく分からないので、差し控えさせていただきます。
 三月末日には、岡山で研究会があるそうで、山口支部からも岩本さん、水野さんが出席される予定です。ご盛会をお祈りいたします。
 また、お会いする時もあれば、よろしきご指導のほど、お願い申し上げます。かしこ
   三月十一日 

「柿」  三浦協子

 柿  三浦協子

 よく考えればそれほどこだわるようなことではなかったのに、それを機にわたしはずっと仲良くしていた友人と疎遠になってしまった。いかにも短絡なようにも思われるが、ぬぐいがたく本質なような気もする。
 被災地を訪問するというボランテイアの話は、研究室の若い講師が持ち込んできた。わたしは、直接の指導を受けている立場ではなかったが、日ごろからよく顔を合わせ、資料をもらったり相談にのってもらったりしている関係上、人数がいかにも不足なので友達を連れて参加してくれと言われて一も二もなく行きますと答えた。行きたい人はすぐに見つかった。女の友達ばかり4人で申し込みをした。講師は、助かるなあと言ってお茶とケーキをおごってくれた。
 行き先は、福島県の田舎で東京からバスで6時間も行ったところだった。村の公民館に宿泊できるようになっていて、全国からボランテイアが集まり、にぎやかだった。わたし達の担当についた村の職員は、いい人だった。
3日ほど滞在し、3日とも違う仮設住宅に通った。男子は、地震で地割れを起した畑のあぜの補修に行くことになり、わたしも、本当はそっちの方がいいなあと思ったのだが、女子は仮設の高齢者を訪問して家事などの手伝いを行なって欲しいと言われた。エイコは、わたしと同じグループになった。
 仮設は、広い敷地に何十棟と建てられており、それをはじから1件1件訪ねては、お手伝いできることはないか、ボランテイアセンターへのご希望はないかと聞いて廻る。午前中2時間過ぎると集合し、マイクロバスの中でお弁当をもらい、午後は別の仮設に移動して、同じことをする。わたしは、最初からそれが気になっていたのだが、エイコは、かたときもマスクを外さなかった。眠るときもだ。
「だって、危ないに決まってるんだもの」
と、彼女は、わたしにも自分のバッグからマスクを出してこれを着けろと繰り返した。
「だって、こんなとこ、本当なら人が住んでいちゃいけないような場所なんだよ。知らないならともかく、知っているのに何もしないなんてどうかしてると思うわ」
エイコは、とても優秀な人だった。よく勉強していて、人の世話も良くした。ボランテイアも積極的だった。しかし、宿舎に帰るや神経質に服を替え手を洗い、マスクを付け直し、あれもベクレてる、これもベクレてると炊き出しを断って持参したパンを食べている姿を見て、わたしはどうしても言ったものだ。
「そんなに無理して来なくてもよかったんじゃない?別に、こんなの何にも関係ないんだし」
しかし、それには、エイコは、こんな国難みたいな災難のときに助け合わないなんてどうかしてるし、自分は自分のできることをやるだけなんだから、と、それについてははっきりしていて、こちらはそうかと思うより他なかった。
 仮設には、ほとんど人がいて、皆、暇にしていた。お手伝いできることがあれば、と申し出たら、そんなことがあればこちらでやってあげたいくらいだと言われた。皆、何もすることがなくて辛いのだ。ボランテイアセンターの職員は、黙って話を聞いてあげるだけでずいぶん救いになるのだと力説していたが、何もない、帰ってくれと言われることも多く、わたし達は、あまり人の役に立っているという感じがしなかった。
 最終日に、おばあさんと会った。わたしは、その人が、わたしが小さい頃に亡くなった父方の曾祖母に似ていると思って、最初から親近感を持った。その人は、わたしとエイコを仮設に上げてくれた。手伝いということもなく、ちりぢりになった家族の話を聞き、慰めを言い、あんたがたのような若い人が来てくれることが救いだ、また来ておくれ、と見送ってもらったとき、おばあさんは、家の奥からスーパーの袋を持ってきて、これをボランテイアセンターにくれると言ったのだった。自宅に一時帰宅したとき誰にも黙って庭の柿をもいで持ち帰って、干し柿を作っていたのである。
「わしの柿はうまいから」
と、おばあさんは言うのであった。
「村の道の駅で一番を取ったこともあるんだから」
そして、帰ったらみんなで食べてくれと言って、その袋をわたしにくれた。
 ボランテイアセンターに向かうバスの中で、エイコがそっと言った。
「無理だよ、あれ」
「柿?」
「そう。絶対ベクレてる。話聞いてたらさ、あのおばあさんの家、警戒区域ど真ん中じゃんね。そんなところの柿、どうして取って帰ろうなんて思ったんだろ。荷物、調べられもしなかったんだね。杜撰だよね、村も」
わたしは、袋から柿をひとつ取った。ものすごくおいしそうだった。
「おいしそうだよ」
「ダメだって。帰ったら計ってごらんよ。空間線量計でもすごいよ、きっと」
「捨てるの?これ」
「当たり前じゃん。わたし、なんであんた、断らないんだろうって思ってたよ」
だんだん腹が立ってきたのは、きっと疲れてきたせいもあるのだ。それ以上、深いことをわたしが考えていたということはできない。しかし、なんだかわたしはものすごく深いところでおばあさんを裏切っているような気がしてたまらなくなったのだ。ベクレてる、という言い方は大嫌いだ。わたしは、黙ったまま柿を口に入れた。
「ちょっと!」
エイコの声が大きくて、前の席に座っていたメンバーが皆振り向いた。わたしは、無視してもうひとつ口に入れた。噛んで飲み込む間もなく、またもうひとつ口に入れた。甘さのあまりむせてしまった。
「ちょっと、やめな。やめなってば!」
わたしは、エイコの腕をふりほどくようにして、そのまま10個も、20個も、もっとかもしれない、柿を食べ続けた。バスから降りるまで食べていた。柿の袋はセンターの職員に渡したが、誰かが食べているという様子もなかったので捨てられたのだと思う。エイコとは帰るまで結局口を利かなかった。大学に戻って、そのまま、なんとなく疎遠になってしまった。

「桜雨」 鬼藤千春

桜雨  鬼藤千春

 法廷は静まり返っていた。いよいよ判決が言い渡されるのだ。原告席に座っている耕治は、喉が渇いて、脇の下から冷や汗が落ちるのを感じていた。
 耕治は裁判長をじっと見つめていたが、靄がかかったように、ぼうっとかすんでいた。裁判を起してちょうど四年である。いろんなことが、走馬灯のように駆け巡っていった。
 大手自動車メーカーから、派遣切りをされたのは年末だった。宿舎を明け渡すように言われ、寒空にまるでモノのように投げ出された。耕治は途方に暮れた。たいした蓄えはなく、下手をすれば路上生活者になりかねなかった。
 耕治は当面の生活のために、父の年金に頼らざるをえなかった。四十歳を超えた男が、父の僅かな年金を、宛てにすることに耐えられなかった。悔しくて、悔しくて、恥辱に身を焼く思いだった。
 たった一枚の紙切れで、労働者をクビにするというは、受け入れ難かった。耕治はこの職場で五年三カ月働いてきた。労働者派遣法では、三年を超えて働かせる場合には、雇用契約の申し込みをする必要がある。
 が、このメーカーは、三年が経過する直前に、「サポート社員」として、三カ月と一日だけ直接雇用とした。そして、また派遣社員に戻すのである。これが、この裁判の大きな争点であった。
 耕治は、トランスミッション関連の職場に配属されていた。彼はモノづくりの喜び、愉しさを、次第に味わうことが出来るようになっていた。その労働者としての誇りを、傷つけられたのである。
 彼は他の派遣で働きながら、この四年間の日々を生きてきた。が、月十万ほどの収入だったから、不足分は生活保護を受給して、しのいできた。
 裁判をたたかうなかで、いろんな支援が広がってきた。労働組合はもちろん、名も無き人々から、声が掛けられた。
「ねえ、うちに空き家があるから、誰か使ってちょうだい」
 六十代に見える婦人からの申し出だった。
 駅前で裁判支援の訴えと、署名のお願いをしている時に、駆け寄ってきて、微笑みかけてくれたのだった。
 もう一人は、年配の紳士だった。
「うちには、みかん農園があるんだが、それを譲るから、自由にして貰っていいよ」
 紳士は署名簿に記入して、握手を求めてきた。
 婦人の空き家には、原告の二人がアパートを引き払って移り住んだ。年末にはみかん農園に入り、収穫をして原告団十五名の家に、みかんと餅を届けた。正月用の格好の贈り物となった。
 裁判長がゆっくりと、判決文を読み始めた。
「原告○○、同○○、同○○……および同○○」と、十三名の原告の名前が読み上げられた。その後、
「被告に対し、被告正社員としての労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する」
 裁判長はたんたんと、判決文を読み上げた。
 耕治はその文面が、何を言っているのか理解できないでいた。それは耕治だけでなく、他の原告も傍聴者も同じであった。法廷は一瞬、海の底のように暗く静かになった。
 が、原告側の席に座っていた、国会でもこの問題を取り上げて追及した弁護士が、
「よしっ!」
 と、力強い声で叫んだ。
 それでやっと、原告や傍聴席の人が、この裁判は原告側の勝利だということが、理解できたのだった。
 閉廷直後、傍聴席から、
「よっしゃー!」
 という、歓声と拍手が沸き上がった。
 大手自動車メーカー側の弁護士が、憮然とした表情で、法廷を出ていく姿が印象的だった。派遣十三名が正社員と認定されたのだ。
 裁判所前には、傍聴席に入りきれなかった、支持者の人々が待っていた。傍聴席の支持者が、「勝訴」という紙片を掲げて仲間のところに駆け寄って行った。「勝訴」という字は、骨太で力強く刻まれていた。
 原告十五名、支持者たちは、お互いに肩を抱き合い、叩き合って、勝利の感触を確かめ合っていた。原告団はじめ、支持者の多くの人々は、眼を紅く染めていた。ただ、二名は「サポート社員」の経験がなかったため、残念ながら認定はされなかった。
 耕治は、これで四年間の苦労が報われた想いがした。が、相手もしたたかだから、控訴の可能性は十分考えられる。しかし、今日は、今日だけは、この勝利に酔ってもいいように思った。それに自身の身を委ねたい想いだった。
「桜雨!」
 誰かが、そう叫んだ。
 福岡では、今日桜の開花宣言がなされたのだ。そして、雨である。
 銀色の雨は、糸を引いて静かに降っていた。

たなかもとじ氏が岡山に来られました

 たなかもとじ氏、来岡!
                    
「民主文学」新人賞作家の、たなかもとじ氏が二十四日、来岡されました。氏は一一年の新人賞に応募、「顔」という作品で受賞しました。
 彼は福岡に所用があって、その帰路、わたしの最寄りの駅である、鴨方駅に立ち寄って下さいました。
 夫人と同伴でした。夫人は女優でシェイクスピアの「十二夜」や「オセロ」などに出演しています。また、作家としても昨年「民主文学」十月号に、三原和枝としてデビューしました。
 彼の活躍はめざましいものがあります。作家としてのデビューは、一〇年「民主文学」で「片っ方の靴」という作品でした。十一年「顔」、十二年「誓いの木」、そして、今年「少年」を「民主文学」に発表しています。
 彼が来岡されたのは、墓参ということと(岡山県出身)まがね文学会のブログが縁で、岡山支部の仲間と交流したいということでした。
 わたしは、彼が作家としてデビューするまでの、苦労話などを聞きました。稲沢潤子、田島一、丹羽郁生などの作家から、指導や助言を受けながら、やっと書き上げることができたということでした。
 何事も一朝一夕には、できないということと、すんなりと進まないということを語っていました。作家の道は険しいけれども、これからも精進していい作品を書きたいと、決意の一端を述べていました。
 彼にはいまさまざまな仕事が、舞い込んでいるようです。「作者と読書の会」の報告者や「文学教室」の講師、そして新聞の書評の依頼などです。
 これからも、岡山支部と交流を続けていきたい、と語っていました。今後の氏のご活躍を祈ります。        
(鬼藤千春)

「小岩井にて」  石崎明子

 小岩井にて  石崎明子

きのう頂を雲にかくし
神の不可知を語った岩手山が
今朝秋空に凛と立ち
彫りの深い顔立ちでじっとわたしを見つめる
神は死んだとニーチェは云ったが
それならこうして畏敬の念に打たれ
知らず知らず合掌し祈る私は何だろう
自然の侵すことのできない美しさは
ときに神ととても近い
岩手の人は朝な夕な
岩手山に祈るのだという――

踏みしめた足が冷たい
霜のおりた草々が
靴をすっかりぬらしてしまった
冷たい空気を深くすいこみ
肺に爽やかな風をおこす
むこうが盗人森 あっちが狼森
こっちは黒坂森
森の名前をつぶやきながら
両手を広げてくるくる踊ってみる
四方を森にかこまれた野っ原は
朝露が輝いてまるで千粒のダイヤをぶちまけたよう
ふと立ち止まり考える それではこの中に
本当のダイヤが交じっていたら?
今 目を射たひときわ鋭いあの輝きが
それだったなら?
スカートをひるがえして走りより
悄然と立ちあがる
もちろんそんなわけはないのだ
だが もしかしたら
こんなことがあったのかもしれない
その昔農場の監査に来たお役人が
奥方と朝の散歩をなさっているとき
いつのまにか白魚のような奥方の指先から
きらめくダイヤの指輪がすべりおちたのだ
男も女も職員総出でさがしたけれど
みつかったという声にかけよれば
そこには朝日に輝く白露ばかり
とうとうあきらめて
泣く泣く東京へ帰ったと
だからこの野っ原のどこかには
今でも失われたダイヤが眠っているのだ
ほら あのひと群れのすすきのわきで
今 光ったあれがそうではないかしら
いやおまえさんの足下に
そら 落ちているではないか
いつしか私は聞こえぬ声を必死で聞いて
きまぐれな蝶々のように草原を走っていた
はっとわれにかえり腕時計を見る
すると奥方のダイヤはまたたくまに光を失い
腹を空かせた私はうれしそうにはねて
宿舎へともどるのだ

  宮沢賢治「冬と銀河ステーション」から
      (1996年)

「雪」  鬼藤千春

 雪  鬼藤千春

 三月を迎えたが、北国はまだまだ寒い。西の山に陽が落ちて、急に冷え込んできた。それでも真千子の心は、灯が点ったように温かかった。彼女は台所に立って、夕食の準備に余念がない。
 金曜日の夜には、夫、昭平が毎週やってくるからだ。昭平は福島に一人残って、建設業の仕事をしていた。真千子は、小学五年の亜由美と三年の真希とともに、新潟へ自主避難している。
 新潟の暮らしは、真千子一家にとって耐え難いものだった。福島ではごく普通の生活を営んでいたが、原発事故によって、一家の生活は一変した。
 ある日、亜由美は学校から、泣きながら帰ってきたことがあった。アパートのドアを開けると、玄関に立ち尽くして、瞼を右手の甲でしきりに拭っていた。
「亜由、おかえり。どうしたの? 転んだの」
 真千子は玄関に駆け寄って、声をかけた。
「……」
 亜由美は肩を震わせて、泣いていた。
「そーら、亜由、これを使いなさい」
 花柄模様のハンカチを、真千子は差し出した。
「……」
 亜由美は真千子の手のハンカチを、勢いよく振り払った。ハンカチは玄関に舞い落ちた。
「もう、この子は。どうしたっていうの?」
 真千子は框に膝をついて、亜由美を見上げた。
「福島軍団……」
 亜由美は声を絞り出すように言った。
 不意を衝かれて、真千子は言葉を失ってしまった。亜由美の学校には、福島からの避難者が三家族あった。その生徒たちを指して、子どもたちがからかったに違いない。亜由美は玄関を駆け上がると、ランドセルを放り投げ、コタツのなかにもぐり込んで、いつまでも泣き止まなかった。真千子は深い溜め息をついて、亜由美をじっと見つめていた。
「ただいま」
 昭平が玄関で大きな声を挙げた。
「おかえり」
 真希は小躍りしながら、玄関へ迎えに出た。
 玄関から上がると、真希は昭平に抱きついた。彼の腕の中で、キャッ、キャッと彼女は声を挙げた。
「真希、いい子をしていたか。今日は土産を買ってきたぞ」
 その言葉を聞くと、真希は昭平の腕からするりと降りた。
 昭平の土産は、お料理ごっこのセットだった。にんじん、大根、ジャガイモ、ナスなどの野菜と調理器具一式だった。野菜は何分割かにされ、接合されているのだった。
「姉ちゃん、やろう」
 宿題をしていた亜由美も、教科書とノートを投げ出して、コタツに駆け寄って行った。亜由美は調理器具を揃え、真希は野菜を包装紙から懸命に取り出していた。
 真希は、にんじんや大根を包丁で輪切りにして、亜由美の用意した鍋の中に、投げ入れていた。
「姉ちゃん、今日は肉ジャガよ。あれッ、父ちゃん、肉がないよ」
 真希は頓狂な声を挙げた。
「そうか、肉がないんか。しまったなあ。真希、また買ってきてやるよ。今日は、野菜炒めにしてくれよ」
 昭平は苦笑いを浮かべて言った。
 亜由美は、ガスコンロの上にフライパンを載せて、「さあ、どうぞ」と言った。真希は不服らしく、頬をふくらませて、フライパンに野菜を放り込んだ。亜由美はカチッと火を点けた。彼女はフライパンを上下させ、野菜を巧くひっくり返して、「ほら、一丁上がり」と嬉々とした声を挙げた。
「さあさ、こちらも出来上がりましたよ。亜由、玩具を片付けなさい」
 台所から、真千子の声が飛んできた。
「そら、今日は寒いから水炊きだよ」
 真千子は土鍋をコタツの上のカセットコンロに置いた。土鍋から湯気が立ち昇っている。
「あなた、食べてちょうだい。もう大丈夫よ」
 真千子は昭平に言った。
「寒い時は、これが一番だよ。身体の中から温まるからなあ」
 昭平は箸を取り上げて言った。
 亜由美と真希も先を争って、肉を捜していた。「あったーッ」と真希が声を挙げる。「そら、ここにも」と亜由美が応える。賑やかな食事だった。真千子は、こんな普通の生活がいつ戻ってくるのか、と思いながら野菜や肉を足していた。
「あ、雪だわ。三月だというのに、寒い筈だわ」
 真千子は窓を覗いて言った。
 すると、いきなり真希が大きな声で叫んだ。
「いやだ、いやだ、放射能が降っている。父ちゃん、怖いよう」
 真希は昭平のふところに飛び込んだ。
 雪は音もなく、しんしんと降りつづいていた。

最上裕「陸橋を渡る足音」  石崎徹

最上裕「陸橋を渡る足音」  石崎徹

 三分の二くらいまで事実経過を語るだけの平板な叙述が続き、作家の個性が感じられない。ところが、主人公が一転して会社にたてつきはじめるところから急に面白くなってきて、終盤、システムトラブル解決のために同僚の自発的な協力を得て徹夜で奮闘し、明朝の期限に間に合わせるスリリングな場面には、俄然ひきこまれた。
 小説にはやはり葛藤が欲しい。人間対人間でも、人間対自然でも、あるいは人間対システムでもよい、躍動するものが欲しいのだ。
 三分の二を占める平板な場面が、終局にむかって充電しつつある箇所と言えなくもないのだが、あまりにも平板すぎた。上司とのやり取り、同僚と語りあう場、家族との会話、どれをとってもあまりにも個性がない。作りものに見えてしまう。何かが欲しかった。
 また、最後にきてまさに労働自体が主役となるが、職場の場面が多いのだから、部分部分にもっと早くから労働の描写が欲しかった。労働者は労働していてこそ労働者だろう。
 気になる点を一点。
 今回7000人の正社員が切られるわけだが、これは建前上、退職を無理強いされない正規社員の話である。ところが三年前に二万人の非正規社員が切られた。これは法律の保護を受けることなく無条件に解雇された人々である。彼らがもしこの小説を読んだとしたら、馬鹿馬鹿しい気持ちになったのではなかろうか。ここでは正規のことだけ書いたということでよいのだろうか。作家は一作ごとに全体を見る眼を問われているとは言えないだろうか。どこかに彼らの視点を入れてほしかったと思うのは過剰な望みであろうか。

「握手」 鬼藤千春

 握手  鬼藤千春

 ゆったりと流れる川の音が響いている。慶三はその音で目覚めた。陽はもう高く昇っているらしく、部屋の中は青く染まっている。
 啓蟄を迎えたというのに、昨夜も寒かった。慶三は身体に新聞紙を巻きつけ、寝袋の中にもぐり込んで寝たが、寒くて何度も目が覚めた。彼は蓑虫が袋から出るように、寝袋を脱ぎ捨てた。が、血圧が高いのか、すぐに立ち上がることができなかった。
 慶三は河川敷にブルーシートを張って、ネグラを作っていた。ここに住むようになったのは昨秋からだ。まもなく半年になる。決して住み心地は悪くなかったが、このままでは駄目だ、という思いがふつふつと、湧いてくるようになった。
 彼はダンボール箱の上のチラシを掴んだ。それを広げて見ると、生活相談会の案内が記されている。慶三はこれからそこへ出かける予定にしていた。相談会場は、「生活と健康を守る会」の事務所になっている。このチラシは、ホームレスの仲間から貰ったものだ。
 こんなところに引っ込んで、川を眺めながら、川の音を聴きながら暮らしてきて、しばらくシャバの空気に触れていない。少し気後れがしないでもない。「生健会」の素姓も分からない。が、落ちるところまで落ちているのだから、もう怖いものは何もない。失うべきものは何もないのだ。
 「生健会」は貧相な建物だった。安アパートのような事務所だった。「いらっしゃい、さあどうぞこちらへ」と言って、真ん中にテーブルを据え付けた、四畳半くらいの部屋に通された。五十代くらいの女性がにっこり笑って名刺を差し出した。慶三と同世代の女性のように思えた。名刺には、三浦紗知子と印字されていた。
「どうなされました? お身体の方は大丈夫ですか。痛むというようなところはないですか」
 三浦はおだやかな声で訊いた。
「うーん、別に悪いところはないんですが、血圧が二百を超えて、朝目覚めても立てないことが、時々あるんです」
 座り心地が悪そうに、慶三はもじもじと答えた。
「そうですか。血圧がねえ、それは大変ですね。ところでどこにお住まいですか」
 三浦は微笑みながら言った。
「……」
 慶三は、即座に答えることができなかった。
「……あ、あのう、河川敷です」
 慶三は俯いたまま、小さな声を出した。
「河川敷? じゃ、路上生活ですか」
 三浦は驚いたように声を挙げた。
「みんなは、ホームレスといいます。もうそれが厭になったんです。それで相談にやってきました」
 慶三は三浦の瞳を見て言った。
「千原さんといいましたね。河川敷で暮らすようになったいきさつを、教えて貰えませんか」
 三浦は真剣な眼差しで、慶三を見た。
「……でも、それは私の恥ですからね。……しかし、それを話さなければ相談になりませんね」
 大きな溜め息を、慶三はついた。
「私は小さな町で電器店をやっていたんです。が、ご存知のように、家電量販店が次から次に街にできて、みんなそちらへ流れるようになったんです。それで店が立ち行かなくなったんです」
 慶三は一息ついて、湯呑みのお茶を飲んだ。
「借金があったものですから、家と店を手放したんです。女房とは争いが絶えず離婚しました。二人の子どもはそれぞれ独立しています。それで私は死に場所を求めて、いろんなところを彷徨いましたが、死に切れずに、今の河川敷に落ち着いたのです」
 慶三は、そこまで話して眼を宙に泳がせた。
「そうですか。それは大変でしたね。千原さん、あなたは血圧が高いようですが、働けますか。働けるようなら、無理のない仕事を捜しましょう。まず、住居を確保することです。五十六歳ですか。多分非正規の働き口しかないと思います。それで賃金が低いようなら、不足分だけ、生活保護費を受けるようにしましょう」
 三浦は、机に両肘をついて身を乗り出してきた。
 慶三は明日、三浦と福祉事務所へ行くことを約束して、相談会場を後にした。彼は死に場所を求め、山や海を彷徨って、二度自殺未遂をしていた。死に切れなかったのだ。血圧は高いけれど、まだ働けないということはない。
「千原さん。人生をやり直すのに、遅いということはないのよ。必ず人生はやり直せるんですよ」
 三浦は、白いふっくらした右手を差し出した。
 慶三も右手をそうっと伸ばした。三浦はぎゅっと握って左手で包んだ。彼女の手は柔らかくて、温かかった。

「無念石」  三浦協子

 無念石  三浦協子

 Sさんの家に石をもらいに行くことになったのは、総務部長が町長に話しをしたのがきっかけだ。福島の原発事故以来、近隣に原発を抱えた町村では、万一のことがあった場合を恐れ、安全審査の徹底や新規着工や再稼動の見直し等を県に意見するなどするようになった。町民から直接問い合わせや陳情が多く出るようになったことが大きいが、被災して逃げ惑う人々を実際に見て、隣町に原発のあるうちの町長も変わったのだ。そこそこに再稼動されて、もしものとき、風がこっちに吹かれたのではたまらないから、と町長は言うのだった。「やるなとまでは言わないが、とにかく、安全にしといてもらわないと」
 このままでは我々は交付金や寄付金がもらえないばかりか、被害だけをもらうことになるぞという、いささか被害妄想めいた町民からの苦情も、事故の影響が甚大で無視もできない数でもあることから、とにかく、形だけでも町は原発には慎重であるよと意思表示しておくことは重要だ、と言うので、町長は、役場の入り口に何かそれらしいものを置いたり何か貼るなどしてアピールができないか、と総務部長にもちかけた。言われた総務部長は、あれこれ考えるうち、自身の家の近くに、遠方の原発に反対する裁判に、わざわざ原告として加わって、その裁判に負けて自身の庭に石碑を建てたという変わった人物が住んでいることを思い出し、それを町長に告げたのだった。
 Sさんの家には、総務部長とわたしが行ったのだ。敷地の広い豊かな農家で、ほら、あれだよ、と総務部長が指をさす先には、ひとかかえほどもある石がごろん、というように置かれていた。石には、なんと「無念」という文字が堂々と彫られていて、わたしは、その丸い大きな石をつくづく見ながら、勝てる見込みのない、しかも他人の県の原発裁判に目をつりあげて加わって、闘った挙句敗訴して、石を抱えひとり悔しさを噛み締めるという老人の姿をリアルに思い浮かべ、そのあまりのわかりやすさに、思わず親しみを覚えたのである。
Sさんの家では息子夫妻が迎えてくれて、けげんな顔はしていたものの、石の譲渡にはこだわることはなかった。くだんの裁判老人は、一昨年既に亡くなっていた。
「いいですよ。そうしてもらえるんだば。親父も喜ぶでしょう」
金は要らない、石は寄附するから、と息子さんが言うので、部長とわたしは丁重に礼を述べ、石をいただく日どりを決めてその日は帰ったのである。石は、数日後、無事役場の玄関に寄贈者の名と由来を記した小さなプレートをつけられて鎮座した。町長は、「なかなか、いい石じゃないか」と喜び、わたしは、以来そのことを忘れていた。
 ところが、それから半年ほどして、ある日、帰り支度をしていると総務課のカウンターに、突然Sさんが現れたのである。Sさんはわたしを見るとしきりと頭を下げて、
「他でもない、あの石のことなのだけれども。申し訳ねえんだけれども、あれを返していただけないですか」
と、恐縮するのであった。驚いて理由を聞くと、
「実は、えらい騒ぎになってしまって」
と、息子さんは大きな体を縮込めるようにした。聞けば、その後老人を映画にしようという人が来たのだそうだ。全国で原発をなくそうという運動が広く起こっていることから、映画の話は急に話が持ち上がり、資金も集ったのですぐにも撮りたいと言われたのだそうである。映画の中で石と老人を撮るから、石はどうしても元のところに収めて欲しい、そもそも、反対運動をやってきた仲間に黙って無念石を町にやってしまうなどと、息子といえども、どうしてそういうことをするのかとずいぶん怒られたのだと言う。
「親父は、あんたひとりの親父なんじゃねえって言うのですさ。全国の、原発に反対する人たちの希望の星みたいな親父であったと。この石のことも、今に人がどかどかと見に来るようになるって言うのですさ。だけど、わたしにとっては親父は親父で、別にそれ以上でも以下でもねえ、あんまり働かない、困った親父でしたさ」
わたしは、そんなに心配なさらなくても石はお返しできると思う、部長にはこちらから話しておくからと言い、Sさんに帰っていただいた。部長と一緒に町長に事情を話しに行くと、町長は、あっさり、じゃ、写真にしておけば、と言ったので、役場の玄関には「無念石」の写真が置かれることになった。わたしは、ホンモノの石が玄関にあった間は石のことなど忘れていたのだが、その石がなくなってからは、妙にそのことが気にかかり、役所の玄関を通るたびにその写真をちらっと見ては、「人生、いろんなことがあるもんだない。たいした、無念ってばっかりでもねえではないか」と、心の中でつぶやくことが常となった。

丹羽郁生「道」 石崎徹

丹羽郁生「道」 石崎徹

 冒頭、興味をひかれたのは技法面である。主人公の外見が描かれている。誰の視点でもない。強いて言えば作者の視点か。19世紀のヨーロッパ小説の雰囲気を漂わせて始まる。かつて山口県の下松での眠れぬ夜に作者から聞いたトルストイが好きだという言葉を思い出して、にやりとした。この手法は最後まで貫かれて、最終ページで「すっかり目を覚ました彼の顔からは、沈鬱に青ざめていた色がいくらか消えていた」と書かれる。本人が鏡を見ているわけではないのだから、それを見ているのは作者なのである。
 この技法は主人公と作者との間に距離を持たせ、さらに言えば、読者の過度の感情移入を阻もうとする試みにも思える。おそらくそうしたい理由が作者にあったのだろう。
 1977年の地点を現在にして十数年来の過去をふりかえる、なぜ2013年ではないのだろう。ここにもまた作者のたくらみがありそうである。
 話自体は単純で、鉾田という29才の青年が、旧友江沼を自殺から救えなかったことの後悔と、そこに至るいきさつである。
 鉾田は父を自殺で失ったがそのことを隠していた。ところが江沼もまたそうであったことをその死後になって知る。あれだけ親しく付き合ったのだから、そのことを打ち明けていれば救えたのではないかという後悔で終わる。
 だが、そこにはあまり説得力はない。というのは最後に会ったのが5年前、その数年前からすでに疎遠になっており、高校卒業以後の江沼はほとんど分からないからである。
 5年前最後に会ったとき、江沼は孤独なのだと鉾田は感じており、この事実だけで十分であったという感じがする。父の自殺という過去が両者に与えた影響を、この作からは十分に感じとれない。
 鉾田は大学受験に三度失敗してかなりの挫折感を味わうが、群馬の田舎から東京に出てきて一介の労働者として働く中で、労働組合、民青、共産党に出合い、それまでいかに狭い世界で悩んでいたか、もっといろいろな生き方があるのだということを知って立ち直る。
 一方江沼にはその機会がなかった。彼は研究生活を送りたかったのに、大学と違って企業での研究とはすぐ商品化できるものでなければならなかった。
 江沼の挫折が、広い世界との出会いがなかったからなのか、彼の志向と社会の要求とのミスマッチか、あるいは彼自身の性格的弱さなのか、なにぶん江沼について少ししか書かれていないので、判断はできない。鉾田自身にもつかみづらいのだろうと思う。ただ死後に知らされた共通の過去ゆえに、それならもっと分かりあえたのではなかったか、と後悔しているのだろう。
 この作品を江沼を中心に読むのは難しい。充分に書かれていないからである。むしろ70年前後の日本における青春像のひとつとしての興味で読ませる作品であろう。
 その意味では、興味深いものがあった。それはぼく自身が同時期に青春を送りながら、いろいろな意味でずいぶん異なっているからである。
 ただそこでの作者の二つのたくらみ、外からの視点の持ち込みと、77年を現在に設定したことの意味を探ろうとするのであるが、いまのところそれもよく分からない。

「音楽」 石崎明子

音楽  石崎明子

 約束のない土曜日の夜ほど退屈な時間はない。一人で夕食を終え、食器を洗っていると、マダムがやってきて、今夜、英国人の散歩道で花火が上がるのよと言った。メルシ、行ってみますと返すと、うれしそうに微笑んだ。
 元オーストリア人の彼女の息が抜けるようなアクセントにも、最近はずいぶん慣れた。はじめて電話をした時は、何を言っているのかほとんど分からず、これが話に聞く南仏のアクセントかと大きな勘違いをして、不安におそわれたものだ。
 壁には独立して家を出た子供たちや、六つになるかわいいお孫さんの写真が飾ってある。夫の写真がないのは、離婚したのだろうか。アパートの五階の風通しのいい部屋に一人で住んでいて、北向きの三部屋は、学生に貸している。今下宿しているのはドイツ人の兄弟、スウェーデン人の娘さん。毎日朝から晩まで出かけている。来て一週間足らず、時間をもてあましている私とは大違いだ。おそらく彼女はそんな私を見かねたのだろう。
 九時過ぎに家を出る。ガリバルディ広場を横切り、古いニースと呼ばれる旧市街に入った。途端に道が狭くなる。幅三、四メートルの細い路地、観光客の頭の上にのしかかるようなアパートの壁は、黄色、橙、桃色。窓には水色の鎧戸。フランスでは法律違反のはずの洗濯物も、涼しい夜風に揺れている。ちょうど夕食時でレストランの前に出されたテーブルではろうそくの灯りのもと、皆おいしそうに海の幸をほおばっている。アコーディオン弾きはテーブルの間を練り歩き、下手くそなオーソレミオを声を張り上げて、歌っている。
 ニースは一八六〇年までイタリアの小国サルディニアの一部だったという。ここには、十七世紀イタリアの下町の風景がそのまま残っているのだ。
 教会を一つ、イタリア名のついた広場を二つ三つ通りすぎる、建物にぽっかりあいたアーチをくぐるといきなり海に出る。夜のニースは夢みたいにきれいだ。ゆるやかなカーブを描く『天使の湾』沿いに、車のライトが真珠のように連なっている。どこかの有料ビーチではビーチパーティが開かれているようだ。浜辺で華やかに点滅している明りが見える。
 さて花火はと目を凝らすと、湾沿いのずっと遠くに、ひときわ大きく輝くものがある。見ていると、それは地上の光からはなれ、ふわりと浮かびあがった。両脇に赤と青の小さなランプをひきつれて、湾を横切っていく。飛行機だったのだ。ふりむくと、城跡の残る小高い丘のところどころがライトで照らされ、ガリヴァー旅行記の浮島を思わせる幻想的な光景だ。
 歩道のベンチに座って一休みする。一段低い浜辺では、若者たちが思い思いに輪になっておしゃべりしている。聞こえてくるのは英語、イタリア語、スペイン語、黒人のジュース売りがアロー、アローと独特のかけ声で叫びながら、玉砂利の浜辺を歩き回っている。
 様々な国籍のバカンス客たちが、目の前を笑いながら通りすぎていく。家族連れ、ローラースケートをはいた若者たち、恋人同士。独りなのは私くらいだ。無性に寂しくなる。
 ロビンソンにフライデーが必要だったように、きれいなものは誰かとわけあうことが必要なのだ。一人では笑顔も浮かべられない。
 花火ははじまらない。座っているのにも飽きて、立ちあがって少し歩く。家族連れが立ちどまって見ている大きな看板に興味を引かれ、一緒に眺めると、「花火を見ながらディナーを。二十時半から」と書いてあった。すでに九時半をまわったところだ。一気に力が抜ける。仕方ない、帰ろう。
 旧市街に入るアーチの前にもどると、大きな拍手が聞こえた。人だかりの間からのぞくと、柱の根元にハープを抱えた若者が座っていた。黒髪に彫りの深いイタリア系の顔立ちをしている。さらっと指慣らしをして、静かに弾きはじめた。
 それはとても美しい音色だった。のどの渇きをいやす清水のように、やさしく心にしみいってくる音色だった。高く澄んだ旋律と、柔らかい低音の和音が、完全な調和を生みだし、心は空へ飛んだ。古代ローマ、女神の神殿でハーブを奏でる楽人。嫉妬深い女神の像が柱の間から彼をじっとみつめる……
 チャリン、という金属音で地上にもどる。無造作に地べたに置いてある帽子に、次々と小銭が投げ入れられる。曲が終わると盛大な拍手があがり、小さな兄弟が走りよって帽子に小銭を入れた。彼が微笑むと、恥ずかしそうに逃げ出した。次の曲はうってかわって陽気な曲だった。ポケットの中を探って二フランをみつけ、投げ入れると、その場を後にした。町はこれからが本番で、日焼けした人々をかきわけて歩く。心は音楽で満たされて、もう寂しくはなかった。

「小鳥」 鬼藤千春

小鳥   鬼藤千春

 周作と外界を結ぶのは、わずか六十センチ角ほどの小窓だけだ。だが、この小窓がどれだけ彼の心を癒すものとなっているか、それは計り知れない。
 青い空を背景にして、白い雲が流れていったり、時折り小鳥が過ぎっていったりする。周作はその小窓を終日眺めているのだ。晴れの日も曇りの日も、雨の日もそうだった。
 やはり、雨の日は憂うつだった。鉛色の空が低く垂れ込めて、グレーのカーテンを引いているようだ。風にあおられ、雨粒が斜めに落ちて、窓硝子を流れるだけである。
 周作は、三階の倉庫のような部屋へ押し込められている。この部屋は横四メートル、縦三メートルくらいの大きさだ。その部屋の中央に、ひと組の机と椅子がぽつんと置かれている。入り口は半間のアルミのドアだ。
「桐野君、うちの会社はピンチだ。いま退職すれば、三割増しの退職金が出せる。どうかな」
 応接室へ呼んで、だしぬけに課長が言った。
「課長、それはどういうことなんですか。辞めて欲しいということですか」
 虚を衝かれて、周作は狼狽していた。
「桐野君、不況でどうにもならんのだ。コストをカットしなければ、会社がもたん」
 眼鏡の奥の瞳が、鋭く光った。
「課長、うちには、中学三年と小学六年の娘がいるんですよ。金がいるのはこれからです。家のローンもあと二十年ですよ」
 課長を睨んで、周作は言った。
「まあ、今すぐ結論を出せ、と言ってるわけじゃない。考えといてくれ」
 課長はそう言って、席を立った。
「課長、ぼくは、いま辞めるわけにはいきません。考えることは何もありません」
 課長を見上げて、周作は言った。
 その後、周作は三回呼ばれた。いずれも辞めてくれ、辞めない、の押し問答だった。そして、前回の面接があったのだ。
「桐野君、もう君のする仕事はないんだ。辞めるのが厭だったら、明日から三階の特別室で待機していてくれ。仕事があるようなら、またいずれかの部署に、就いて貰うようにしよう」
 課長の言葉は、冷ややかで突き放すように聞こえた。
 周作は、次の日から特別室へ通うようになった。朝、出勤すると、総務へ出向いて室の鍵をもらう。午前八時までに室へはいるのだ。そして、午後五時まで特別室で待機しているのだった。
 特別室へ通うようになって、はや一カ月が過ぎた。二月の初めにここへ来るようになって、もう三月を迎えた。二月は北の空が鉛色の日が多かった。が、三月になると、空の色が変わってきた。
 小窓で切り取られている風景は、まるで写真を観るようだった。遠くに山々の峰の連なりが見える。そのうえにスカイブルーの空が広がっている。白い綿菓子のような雲が、窓の左から覗いて、ゆるやかに右の窓枠の方に向かって流れてゆく。
 窓を凝視していると、小石が投げ飛ばされたように、小鳥が窓を横切ってゆく。が、一日に何回かは、小鳥が窓枠に止まって、特別室の中を覗いてゆく。窓枠が少し張り出した上を、器用に渡って移動してゆくのだ。
 スズメだろうか、いや名も知らぬ小鳥のようだ。チチッ、チチチッ、チッ、とかすかに、小鳥の鳴き声が聴こえてくる。小鳥はせわしげに、首を左右に振って室の中を窺う。周作と眼が合うことがある。机の前に座っている周作をじっと見つめる。そして、首をかしげる仕草をする。滑稽だった。周作は、思わず笑みがこぼれた。
「おい、元気か。いよいよ春だな」
 周作は、優しく小鳥に声を掛けた。
 明日香は今春から、高校生である。妹の紗希は中学生だ。ここでギブアップするわけにはいかない。周作は待機が解かれるまで、この特別室にいるつもりだ。
 この室はリストラ部屋と呼ばれて、もう何人もの人が会社を去っていった。精神的に参って、うつ病になった人もいたし、不眠症や食欲不振に陥った人もいた。彼らは退職を余儀なくされていった。
 周作は本屋に行って、ストレッチの本を求めて、この室でよく身体を動かすように努めてきた。四メートルと三メートルの室をウオーキングもしている。
 ふんわりとした白い雲が流れて、青い空が山なみの上に広がっている。春の光を浴びて、空は輝いていた。小鳥が周作をじっと覗き込んでいる。時折り小さく羽ばたきをして見せる。
「負けてたまるか!」
 胸底から突き上げてくるものがあり、周作は心の中で叫んだ。
 チチッ、チッ、チチチッ、――
 小鳥が不意に力強い声音で啼いて、飛び立っていった。

「櫂悦子、新船海三郎、三浦健治をめぐって」 石崎徹

 櫂悦子、新船海三郎、三浦健治をめぐって   石崎徹

 櫂悦子の「南東風が吹いた村」が掲載されたのが「民主文学」12年8月号、新船海三郎が「核エネルギーへの認識と3.11後の文学」の中で、同作品に触れたのが同年11月号、そして今月号に三浦健治の「そもそも小説とは何か」が載った。これは新船氏の前掲評論への全面的批判であり、その中で一章を設けて櫂作品にも触れている。
 ぼくはこの三者が有しているような広範な知識はまったく持たないので、この三者を厳密に論じることはできない。ただ一読者として若干の感想があるので、それを述べる。
 櫂さんは、ぼくが読んだ限りでは「謝辞」と「二十一歳の朝」で、登場人物の内側にあまり踏みこまない距離をとった切れ味のいい文体で、独特の世界を描き出し、またそのことがラストのどんでん返しを効果あらしめていた。
 その文体が、「南東風が吹いた村」では困難な格闘を強いられたような印象がある。都会を描くのに適していた文体が、農村を描くにあたっては、ちぐはぐなものとなってしまい、特に前半、彼女特有の歯切れの良さが見られない。だが、後半、良一と吾朗が言い争うあたりから、やっと歯車にオイルがまわりはじめた感じで、放射能被害の当事者たちの苦悩する姿が明瞭に浮かび上がってきて、やはり感動させられた。
 この中で新船氏が問題にしたのが、二点。
1. 天罰
2. 汚染された原乳
 すなわち、ほかならぬ被害者に「天罰」と言わせるべきなのか、また良一は早い段階で汚染に気付いていたはずだから、それを避難者に与えることはしなかったのではないか、という問題である。
 三浦氏は二つとも誤読であると指摘し、「天罰」は経済成長優先の体制への天罰であって、被害者へのそれとはなっていない、また良一が原乳を配った段階では、汚染の可能性が疑われる状況ではなかった、としている。
 作品を読む限り、三浦氏が正しい。新船氏の誤読である。
 ただ読者としての感想を言わせてもらえば、ここで被害者の口から「天罰」という言葉が出てくることには、やはり違和感がある。打撃を受けたのが体制だけであるなら、天罰でいいだろう、だが咎なくして被害を受けた者の口から、天罰という言葉が出てくるだろうか。新船氏の指摘はこの違和感の表明だったと思われる。
 原乳の汚染問題は、作品の時間関係を見れば、やはり新船氏の誤読になる。ところがここに事実としてどうだったのかという問題が新船氏から提起され、三浦氏からは、事実としても櫂さんが正しいだろうとしつつ、「小説を事実で断じてはならない」と言っている。
 この点に関して異論がある。
 小説にはいろんな種類があるだろうと思う。事実から出発しても、事実とは別のところで勝負する小説もある。だがテーマそのものが事実に大きく依拠せざるを得ない小説もある。新船氏自身のあげている例に従えば、川上弘美「神様 2011」は、3.11から出発しながら、熊と人間が連れ立って散歩に行くというまったくの虚構である。これは事実に直接依拠しない形で3.11を描いているのだ。
 ひるがえって「南東風が吹いた村」は、濃厚に事実を背負わざるを得ない作品ではなかろうか。ディテールのリアリティということがいわれる。汚染乳の問題がもし事実と食い違っていたら、それを知る現場の人はやはり違和感を持たざるを得ないのではないか。
 事実がどうだったか知らないぼくはその点に関しては評価を保留するが、もし三浦氏が「いかなる小説も事実によっては断罪されない」とするならば、賛成できない。
 総じて、ここで新船氏が言いたかったのは、櫂悦子が、原発を許してしまったことへの自らの罪悪感を、登場人物たちに負わせてしまった、それは被害者に負わせることではなく、「わたくし」の問題として追及すべきであった、ということなのだろう。それ自体がどうも櫂さんの意図を読み違えている感じなのだが、こういう発言をする新船氏の気持ちもぼくにはわかるような気がするのだ。
 3.11以後、新船氏はずっとこの問題にこだわっている。体制に対する批判的な姿勢は維持してきたつもりだが、原発に対してはそれほど真剣にむきあってこなかった、という反省が新船氏にあり、この立場からすべての作品を読んでいるような節がある。
 そういう意味では、三浦氏が論中触れておられる「科学は客観に向かうが文学は主観に向かう」という言葉がここにも適用されるような趣きがある。等しく評論家といいながら、三浦氏はより学者的にアプローチし、新船氏はより文学者的にアプローチする。論理の筋道は三浦氏の方が通っている。だが、三浦氏の個性はほとんど感じられない。一方、新船氏の論理にはかなり穴がありそうだが、新船氏がいま真剣にひとつの問題と向き合っているということは感じられるのである。
 それは評論家としては危ういことなのかもしれないが、しかし、評論も文学の一ジャンルであると考えれば、誤読を含みながらも、何ごとかを主張したいという著者の強烈なメッセージには、打たれるものがある。
 その点で櫂さんの作品からは離れるが、三浦論考の主要な論点に立ち戻れば、やはりそこにも多少言いたいことがある。
 科学者と詩人についての新船氏の考察には、三浦氏の指摘する穴があるのは認めざるを得ないだろう。新船氏の指摘したのは、被爆詩人と非被爆科学者との対比であって、被爆科学者が行った黙々とした努力は、被爆詩人の作品ほど目立たなかった、一方非被爆科学者の発言は目立ったし、非被爆詩人が被爆詩人ほど敏感だったわけでもない。現に江口渙が大田洋子を揶揄した話を新船氏自身が引用している。文学者江口渙も被爆問題には冷淡だったわけだ。ここまではよい。
 ところが、その上で三浦氏は、新船氏が科学者たちの過去の発言を取り上げるのに対して、パラダイム(知の枠組み)という言葉で、科学者たちを擁護する。もちろんそうだ。あと付けの批判は見苦しい。
 だが、それでも疑問が生じるのである。はたしてパラダイムを免罪符にしてしまうだけでいいのだろうか。過去を検証するのは過去を責めるためではない。未来をまちがわないためである。パラダイムはいつか破られる。それを最初に破るのはひとりの個人である。ひとつの主体である。誰もが常識と思っていることに対して、誰かがそれは違うと最初に言うのだ。過去を検証するのは、パラダイムを信じてはならないと自覚するためである。人々がいかに間違ってきたかを知ろうとするのは、それによって自分が犯そうとする過ちを予防するためである。
 どんな真理も時代にとっての真理にすぎない。時代の真理は新しい真理によって否定される。それを生みだすのは科学者であるかもしれないし、文学者であるかもしれない。
 ただ、文学者が、いつも客観よりも主観を重視する傾向によって、論理を飛び越えたところに直感的に真理をつかみとる、いくばくかの役割を担っているということもいえるのではなかろうか。
 ぼくは新船氏の問題提起のなかに、三浦氏の指摘する弱点を認めつつも、なお、なにがしかの模索を感じるのである。

 ちなみに、科学と小説との違いということで三浦氏が挙げられた五つの命題はたいへん参考になった。「小説」というものへの、いまの段階での非常に的確な定義づけだと言えるだろう。

「徳正の懸念」 笹本敦史

徳正の懸念  笹本敦史

 徳正は気がかりだった。最近、つれあいの痴呆がかなり進んできているようなのだ。話しかけても、徳正の言っていることが理解できないのか、とんちんかんな反応をする。
 先日は、つれあいがふらりと家を出て行って行方不明になった、徳正は何時間もかけて探し、ようやく見つけることができた。
「ずいぶん探したぞ。何をしてたんだ?」
「お父さんがいないから探してたんですよ」
「おれはここにいるだろう」
「どうしてですか?」
「どうしてって、お前を探してたんだ」
「そうですか」
 つれあいは諦めたようにつくり笑顔を見せ、手を差し出した。今さら手をつないで歩く歳でもないが、徳正はその手を取って歩いた。困ったことになった。このままではつれあいのことを四六時中監視していなくてはならなくなる。頼りになる一人娘は遠方に嫁いでいて、めったに帰ってこない。
 今日ももう昼飯時をとうに過ぎているのに、つれあいは飯の仕度をしようとしない。困ったことに徳正は家事というものが全くできないのだ。こんなことなら飯の炊き方ぐらい教わっておけば良かったと思うが、今のつれあいの状態ではまともに教えてはくれまい。
「おい、昼飯は」
 とうとう我慢できなくなって、徳正はつれあいの背中に怒鳴った。つれあいは呆けたように振り返り、
「さっき食べたじゃないですか」
 などと言う。
「もういい」
 徳正は静かに言って立ち上がった。これ以上何を言っても無駄だろうと思い、外に出ることにする。
「どこへ行くんです?」
 つれあいの声が聞こえる。
「加部のところへ行く」
 徳正は近くでそば屋をやっている幼馴染の名を告げた。
 そば屋の暖簾をくぐると幼馴染が、
「徳ちゃん、待ってたよ」
 と声かけてきた。
「待ってたってのはおかしいな。お前は予知能力でもあるのか」
「おカミさんが電話してきてさ、あんたが行くからよろしくってな」
「そうか……」
 徳正はつれあいが何を思って電話をかけたのか、と考え込んだ。
「それで何の用だ?」
「何の用もないもんだ。そば屋に焼肉食いに来るやつがあるか。あったかいヤツを頼むよ」
「おお、そうか……わかった」
 加部は手際良くそばを茹で、出汁をはった丼に入れ、葱と鳴門を乗せて出した。
「いやあ、美味そうだ。もう腹が減って死にそうだったんだ」
 しかし、徳正の箸の動きはすぐに鈍った。やはりつれあいの状態が気になって、食が進まないのだ。
 それから数日経った。娘が珍しく訪ねてきた。
「病院へ連れて行ってあげようと思って」
 娘はタクシーを呼び、二人を乗せて病院の名を告げた。
 精神科のようだった。待合室は空いていた。痴呆の治療はこういうところが担当するのか、と考えていると、予約をしてあるためかすぐに声を掛けられた。
 診察室へは徳正と娘もついていった。
「徳正さん」
 医者に名前を呼ばれた。
「今日が何月何日かわかりますか?」
「ええと……、一月……」
 そう言いかけて自分が半袖シャツを着ていることに気がついた。
「あっ、いや違った」
「いえいえ、いいんですよ。ちょっとした検査ですからね。徳正さん」
 医者は満面の笑みを浮かべていたが、徳正を凝視する目は笑っていなかった。徳正は思わずつれあいと娘を見まわした。二人とも心配そうな目で徳正を見つめていた。
「えっ?」
 徳正は思わず立ち上がった。その勢いで丸椅子が転んだ。椅子が床を打つ音が診察室に響いた。
「オレじゃない」
 徳正は大声を上げた。
「大丈夫ですから、落ちついてください」
 医者はいっそうの作り笑顔で言った。しかし、射すくめるような目は徳正を冷静に観察している。

「望遠鏡」 鬼藤千春

 望遠鏡  鬼藤千春

 車から降り立つと、かすかな甘い香りが漂ってきた。史朗が振り向くと、墓地の入り口に金木犀が植わっていた。
 高台にある墓地に歩み寄ると、瀬戸内海が大きく広がっていた。太陽の光線を浴びて、海は蝶が舞っているように輝いている。水平線は空が落ち込んだあたりで、ぼうっと霞んでいた。
 墓地に視線を移して見渡すと、四角錐をした戦死墓が、いくつも屹立していた。この村で、アジア・太平洋戦争による兵士の死者は、三百三十五人にのぼる。たかだか六千人の村である。人口比でいうと約五%、男性のみだと約十%、青年、壮年期のみだといったい何%になるというのだろうか。それだけの死者がこの村から出たのだ。
 史朗は墓地へ下りて、戦死墓を一つひとつ見て回った。墓碑には死に至った土地が刻み込まれている。「満州国」、中華民国、沖縄、レイテ島、シンガポールなどで戦死していた。
 史朗は比較的大きい戦死墓の前で、老婆がへたり込んでいるのに遭遇した。彼女は膝を曲げて、腰を地べたに落としている。背中を丸め、手のひらを合わせて、口をもぐもぐと動かしている。
 史朗はそのようすを、少し離れたところから眺めていた。口を動かすのをやめたところで、彼は老婆の傍に近づいて行った。純白の菊が花立てに挿し込まれ、線香の煙が立ち昇っている。
「ご苦労様、お参りですか」
 史朗は墓地の外から声を掛けた。
「ああ、どなたですりゃ。見かけんああさんじゃなあ」
 老婆は腰を伸ばし、首をねじって史朗を見た。
「ええ、わしはこの村の西地区のもんでなあ。この東地区へはめったにこんからなあ。今日は、この地区の戦死墓を見て回りょうるんじゃ。ちょっと、戦争のことを調べょうるからなあ」
 史朗は、老婆と同じような視線の高さになるように、腰を落とした。
「戦争を? こりゃまたえらいことじゃのう」
 老婆は怪訝そうな顔をした。老婆の顔や手の甲には、褐色のしみが浮き出て貼りついている。
「ああさん、今日はのう、わしの連れ合いの月命日なんじゃ。それでこうやって、墓参りをしょうるんじゃ」
 老婆は濁った眼を史朗に向けた。
「おばあさん、連れ合いは何処へいっとったん?」
 老婆の顔を覗き込んで、史朗は訊いた。
「ルソン島のバレテ峠じゃ。そこで米軍と烈しい戦闘をやってのう」
 振り向いて、老婆は言った。
 老婆の投げた視線の先には、四国山脈の峰々が連なっていた。
「あの山の向こう、台湾から輸送船でルソン島へ送られてのう。バレテ峠の陣地へ遣られたんじゃ」
 遠くを見るような眼をして、老婆は中空を眺めていた。
「じゃがのう、空も海も米軍の支配下にあったんじゃ。陸はブルドーザーが道を切り開いてのう。そのあとを戦車がやってくるんじゃ」
 老婆は顔を紅潮させて、眼をしばたたいた。
 瀬戸の海の沖合いには、貨物船がほとんど泊まっているように見える。沿岸近くの海では、漁船が白い尾を曳いて行き交っていた。牡蠣筏が、何枚も整然と浮かんでいる。美しい光景だった。
「そんで、うちのはのう。ウサギ狩りじゃいうて、夜中に敵の陣地へ斬り込みをさせられたんじゃ。じゃが、その直前に発見されて、機関銃でやられてしもうたんじゃ」
 老婆は墓に向かって、手のひらを合わせた。
 墓の供物台には、赤飯や菓子、ビールや果物が、溢れるばかりに盛られている。
「沢山のお供えもんじゃなあ。ご主人はビールが好きだったんですか」
 史朗は供物台を凝視して言った。
「うちのは、漁師じゃったから、酒が好きでのう。漁から帰ったら、浴びるほど飲みょうたんじゃ。復員した人に聞いたら、ルソン島に上陸してからは、ろくにめしを喰わせてもらえなかったそうじゃ。じゃから、こうして、お供えしょうるんじゃ」
 老婆は供物にそうっと、手を触れて言った。
 史朗は老婆に席をゆずってもらって、墓の前で膝を折った。手のひらを合わせ、深く頭を垂れて、般若心経を唱えた。この仏は三百三十五人のうちの一人だ。この小さな平和な漁村にも、戦争はやってきたのだ。
「ああさん、ありがと。じゃが、この墓には連れ合いの骨はないんじゃ。役場から白木の箱が届けられただけで、お骨は還らなかったんじゃ。じゃから、うちの人の大切にしていた、望遠鏡を納めてやっとんじゃ」
 老婆は眼を赤く染めて、墓石を手のひらでやさしくさすっていた。

「白樺」 石崎明子

白樺   石崎明子
 
 図書室で勉強しようと思ったのには訳がある。韓国人のスーキョンが、ガラス越しにリスを見たと言ったのだ。
 図書室は寮の中庭に面している。奥の方は密林のような有り様だから、リスがいたって不思議ではない。フランス美術史のノートをめくりながら、時折ちらっと庭を見やる。
 もう中心街ではノエルのイルミネーションがにぎやかで、オペラ座の前の広場には回転木馬も姿を見せた。ウィンドウの樅の木は店ごとに趣向を凝らして飾りたてられ、大人も子供もうきうきと街を闊歩する。もちろん、暖かいコート、帽子にマフラーは必需品だ。
 ところが、来週にテストを三つもかかえた私はといえば、昼下がりの図書室で、ロマネスクとゴシックの建築様式の違いについて頭を悩ませていたりするわけだ。そういえば、川向こうの移動遊園地も今日までって言ってたっけ。
 リスは現れない。もしかしたら既に冬眠に入ったのかもしれない。乾いたいい匂いのする枯れ葉をいっぱい敷き詰めて、頬には山ほど木の実をつめこんで、春の緑の新芽の夢を見ながら。
 それはともかく、勉強勉強。フランス美術史は最も好きな授業だが、最もハードな授業でもある。マダムルコントは三十代半ばの優しい声をした教授で、授業はスライドを見ながら行われる。ラスコー洞窟の壁画の頃は、慣れない学生達の耳を気づかって、スローペースだった講義も、二カ月たとうとしているこの頃は猛スピードで進んでいく。マダムの言葉を必死に書きとっている間に、いつのまにか一時間がたっている始末だ。綴りも何もあったものじゃない。ノート一杯に書きちらかされているアルファベットを判読しながら、Jersualem(エルサレム)がJesusalem(エスサレム)となっているのにため息をつく。
 キリストの十二使徒って誰だっけ? と考えていた時、すぐ近くで落ち葉を踏みわける足音がした。顔をあげると、一人のシスターが眼の前をゆっくり横切った。
 シスターマリーテレーズだ。年老いた静かな横顔を紺の頭巾が包んでいる。庭の小道を遠ざかって見えなくなった。何をしているのだろう。もしかして日曜日のシスター達は、朝昼夕の祈りのほかにも、こうやって祈り続けているのだろうか。
 また木立の向こうにちらっと彼女が見えた。日本人のみきさんによると、二十年前知人がこの寮に住んでいた頃には、彼女が毎日猛烈に働いていたそうだ。今では、マリージュヌヴィエーブとマリーアルメールの二人のシスターが寮を取り仕切っていて、マリーテレーズを見ることはあまりない。一生涯尼僧服に身を包み、神に仕え、他人のためにつくし、そうして彼女らの日々は暮れていくのだろうか。カトリックの国フランスに、時々、不思議な気持ちを覚える。その果てしない信仰は、どこから来るのだろう。庭中を歩きまわったあと、彼女の姿は消えた。
 いつになく敬虔な気持ちで残りのノートを見直す。建築技術が高度になるにつれ、徐々に高くなっていく教会の尖塔。より高く、空に突き刺さるほどに、人は神に近づくことを望み続けた。シャルトル大聖堂のステンドグラスは地上で最も美しい青色である。その色を今日出そうと試みるのは、無駄なことなのだ。
 日差しがかげり、鳥の声がしだした。視線をあげ驚いた。様々な種類の小鳥達が、庭中を歩きまわっていた。
 ガラス越しに二メートルのところを、黒いしなやかな姿の野鳥が器用に落葉をひっくりかえしつつ、ぴょんと跳んでは何かをついばんでいる。手前にはスズメほどの大きさの小鳥がやってきて、無心に地面をつつきはじめた。柔らかそうな白い胸のにこ毛と灰色の羽根が、はっきりと見分けられる近さだ。
 こんなにたくさんの野鳥を一度に見たのは、生れてはじめてかも知れない。異なる音程の鳴き声がひっきりなしに、庭のあちらこちらから聞こえる。
 白樺の木立が風にざわめいた。しなやかな白い幹が優しく揺れ動いている。雲の隙間からのぞいた夕日に照らされて、金色のこまかい葉がふるえている。幾枚かの葉がゆるやかならせんを描いて落ちた。金の粒を庭にふりまいているように見えた。
 私はじっとそれを見つめていた。探し求めていた答えを、確かに見つけたような気がしていた。

入会のおすすめ

生きる手ごたえを文学に見出そう

文学を、もう一度私たちの身近に引き寄せてみませんか。

 日々の暮らしのせわしさや息苦しさのなかで、つい遠ざけてしまっている「読むこと」。

 ふと心に浮かべることはあっても、わけもないままに自分にはむりと決めこんでいる「書くこと」。

 私たちは、読むことも書くことも、生きるうえでの大事なものとして受けとめ、初めて書こうとする人たちを心から歓迎します。互いに読み合い、書き合うことで、より良く生きる手ごたえをつかみませんか。

 文学に関心を寄せているあなたに、私たちはこう呼びかけます。

「書くためには、孤独も仲間も必要です」



お問い合わせはメールフォームからどうぞ。

「失踪」 鬼藤千春

 失踪  鬼藤千春

 西の空が茜色に染まっている。晩秋の落日である。紘一は民商の商工新聞を、班長の家に数部ずつおろして回っていた。車に乗り込もうとした時、携帯が鳴った。
「三沢君、大変じゃ。梅村さんが――。まあいい、話はあとじゃ。すぐ帰ってくれんか」
 事務局長が、早口で喋った。
「あ、あの、事務局長。梅村さんに何かあったんですか」
 おうむ返しに、紘一は訊いた。
「電話では、話せん。とにかく帰ってくれ」
 事務局長は一方的に電話を切った。
 紘一は渋滞した道を、苛々しながら走った。
「おう、三沢君。待ってたんじゃ。梅村さんの行方が分からん。支部長が知らせにきてくれたんじゃ」
 紘一が事務所に着くなり、事務局長は慌てたようすで言った。
「三沢君、これから支部長と一緒に、梅村さんの家に行ってくれんか」
 事務局長は、振り向いて支部長を見た。
 支部長はソファに座って、神妙な顔つきをしていた。彼は電器店を営みながら、支部長を引き受けていた。紘一は支部長を乗せて、慌しく事務所を出た。
 梅村さんは、一カ月ほど前に税務調査を受けた。任意調査であるにもかかわらず、家の事務室に上がりこんで、帳簿類を持ち帰ったのだ。その時、梅村さんはいなくて奥さんだけだった。気が動転した奥さんは、なすすべもなく、立ち竦んでいたという。翌日、梅村さんは支部の仲間と一緒に、税務署へ抗議に行ったが、面会は叶わなかった。
「奥さんの話では、おとといの晩から家に帰っていないそうじゃ。捜索願いは、わしが午後に行って、それからじゃ」
 支部長は助手席で腕を組んで、おもむろに言った。
 梅村さんには、その後過大な追徴税額が提示されたが、それを納める金がなかった。何回か督促状がきたが、電話で何回も待ってくれるように頼んだ。しかし、税務署は容赦しなかった。ついに、売掛金を差し押さえてしまったのだ。
「支部長、売掛金を押さえるというのは、無茶じゃ。従業員の給料や外注費が払えんじゃろう」
 助手席をちらっと一瞥して、紘一は言った。
「そうじゃ。本人も従業員も取引先も、お手上げじゃ」
 支部長は紅く染まった空を、睨みつけていた。
 梅村さんの家に着くと、奥さんが座卓の前に座り、青ざめていた。
「奥さん、何か手がかりになるようなものはありませんか。親戚や友人には連絡を取られましたか」
 紘一は座卓に近づいて言った。
 奥さんは、魂が抜けたように、ぼんやりしていた。虚ろな眼を宙に泳がせている。
「いろんなところに電話をかけてみたんですが、消息は分かりません。主人は今どこで何をしているんでしょうか。心配で眠れません」
 紘一の方に視線を投げて、奥さんは言った。
「そうそう、三沢さん。主人の机の上に書き置きがあるんですよ」
 奥さんは、立ち上がって事務室の方に行った。
 ――許してくれ。売掛金を差し押さえられたんじゃ、どうにもならん。心配せんでもいい。わしはちょっと出かけてくる。
 紘一は、走り書きされた便箋を、食い入るように見つめていた。サインペンで書かれたその字は乱れている。梅村さんの心の有りようが、はっきり示されていた。
「まず、梅村さんを捜し出すことが先決です。それには、奥さんが気をしっかり持つことが必要です。私たちも協力します」
 奥さんを覗き込んで、紘一は言った。
「主人は帰ってくるでしょうか。それが心配でなりません。いくらか金は持って出たようですが、着の身着のままです」
 奥さんは、目頭をハンカチで押さえていた。
「奥さん、近いうちに、売掛金の差し押さえ解除の交渉を、税務署とやりましょう。中央支部としても、全力で取り組みます」
 紘一は膝を前に進めて、声をかけた。
「みなさんにはご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い致します」
 奥さんは、気を取り直したように、声を挙げた。
「奥さん、心配するこたあねえ。わしらがついとるんじゃから、ご主人がおらん間は、奥さんががんばらにゃ」
 支部長が、包み込むように励ました。
 陽がすっかり落ちて、街は闇に溶け込んでいた。紘一は、きっ、とフロントガラス前面の光景を睨んで、心がたぎってくるのを感じていた。

「アンジェ――Angers―― 」  石崎明子

アンジェ――Angers――   石崎明子

土曜日はいつも雨
アンジェの雨は音もなくふる
きこえるのは ただ 木の葉のざわめきだけ
こまかな雨が 立ち並ぶ家々を
石畳の路地を 木々を
しっとりとしめらせていく
ぬくもったへやの中で
横文字の小説にかじりついている私
ときおり外を眺めては
あした天気になあれとためいきをつく
おりしもへやを満たすはショパン
雨のプレリュード
そうだな でも雨はきらいじゃない
こころが静かになるから

日曜日はいつも晴れ
ひだまりに誘われとびだした
フォッシュ通りを右に折れ
公園のベンチでうとうとおしゃべり
安息日の中心街はひとけもなく
お店はみんな閉まっている
平日にまたいらっしゃいね と
飾り窓の小熊がウインクした
知らない道を探検しようと
迷い込んだはジャンヌダルク通り
背の高い楓の並木道に
遅い午後の光が斜めに射し込む
道ゆく人はみな
黄色い落ち葉に埋もれて歩く
うん 私 お日様がすきだな
世界を
より美しく見せてくれるから

天使――Ange(アンジュ)と響きが似る街の
ある週末のお話



 無事にAngers(アンジェ)に着きました。
 寮には、カトリックのシスターが2人います。Angersはきれいで古風なところです。むらさきいろに紅葉している木があちらこちらにあります。冬は零下になるらしいのですが、今のところは暖かい日やら寒い日やらが交互に来ている感じです。
 そして、Angersの土曜日は必ず雨で、日曜日は必ず晴れです。今年はじめからAngersにいる人も「だいたいそう」と、言ってました。土曜日はあちらこちらで市が立つし、お店も開いているし、次の日も休みだし、遊びに行きたいのに、雨が降って寒々しくなって、仕方ないから宿題をして、日曜日はいー天気でお散歩に行くんだけど、カフェ以外は閉まっています。
 ――Angersはそういう街みたいです。

「岡山民報」に「鐘」が掲載される

「岡山民報」に「鐘」が掲載される

 「岡山民報」に、鬼藤千春の「鐘」が掲載されました。「民報」は岡山県における、民主的な新聞です。これに、小説が掲載されるということは記憶にないのですが、あったとしても極めて稀なことです。
 この掲載を通じて、「まがね」の読者が増えたり、まがね文学会の会員が増えたりすることが期待されます。また、ブログの訪問者が増えることも望みたいと思います。
             
(鬼藤千春)