2013年01月の記事 (1/1)

「鐘」 鬼藤千春

鐘       鬼藤千春

 長い夜だった。源さんのことが頭をよぎって、圭介はしばしば目覚めた。
「源さんのとこへ行くのはやめとけよ。愛想を尽かして女房は逃げたんじゃから――。もうどうしようもねえ男じゃ」
 九条の会の仲間が圭介にいった。圭介は源さんの生きざまを仲間から何回も聞いていた。それで、いつも気にかかっていたのだ。
 ――源さんは、いま八十二歳である。はたちの時、レッドパージに遭ったのだ。彼は国鉄の車掌をしながら、労働組合の青年部長をしていた。一九五〇年の秋、終業の間際だった。いきなり助役に駅の応接室に呼び出された。助役は彼を認めると、おもむろにソファから立ち上がって、口を歪めて話したのだ。
「君は職務の適格性を欠くので、明日から出勤しなくてよろしい」
 助役が源さんを凝視していった。
 それだけ告げると、助役はさっさと駅長室へ引き上げていった。源さんは助役のあとを追いながら叫んだ。――なぜだ、なぜなんだ!。助役は駅長室へ駆け込んで、ドアのロックをしてしまった。
 その日助役に呼ばれたのは三人だった。源さんたちは翌朝、労働組合の仲間の支援をえて抗議に行ったが、数人の警官が駅長室の前に立ちはだかっていた。
 ――助役を出せ! 口々に叫んだが、警官に威嚇されて引き下がざるを得なかった。結局、源さんは国鉄を解雇され、独身寮も追い出されたのだった。
 九月だというのに、残暑は厳しかった。圭介はパンとコーヒーの簡単な朝食を摂りながら、源さんを訪ねてみよう、と急に思いたった。
 圭介は家を出て、源さんの、その後について想いを馳せていた。彼は独身寮を追い出された後、職場を転々として挙句の果てに、半農半漁のこの村へ帰ってきた。そして、親戚の漁船に乗せて貰って、六十五になるまで魚を追いかけてきたのだ。
 圭介はいささか緊張して、玄関の前に立った。
「おはようございます」
 中からは、何も聞こえてこなかった。異様な静寂が立ち込めていた。
「ごめん下さい!」
 圭介は心持高く強い声で呼びかけた。
「なんじゃ、やかましいのう」
 源さんの鋭い声が飛んできた。
 圭介はゆっくり引き戸を引いた。源さんは座卓の脇に一升瓶を据えて、湯呑み茶碗で酒を飲んでいた。部屋の中は、新聞や雑誌、カップラーメンやビールの空缶が、足の踏み場もないほどに散らかっていた。
「わりゃ、誰なら」
 赤く濁った眼が鋭く睨んだ。
「わたしは、片桐というもんです。ちょっとお願いに上がりました」
「わしゃ、忙しいんじゃ、なんの用なら」
 源さんは、湯呑みを傾けて一気に酒を飲み干した。
「あのう、九条の会で、平和の鐘を打つお知らせに来たんです」
「平和? 九条の会? なんならそりゃ、わしにゃ、関係ねえ」
「九月九日九時九分に、円城院の寺の鐘を打つんです。ぜひお越し下さい」
 源さんに、チラシを渡しながら言った。
「鐘? そんなものを打って、平和になるんか。あめえのう。GHQじゃ」
「GHQ? なんですか?」
 圭介は源さんの顔を覗き込んだ。
「GHQにやられたんじゃ。わしの人生はそれで狂ってしもうたんじゃ」
 源さんは、遠くを見るような眼をして言った。
「源次郎さん、GHQのパージ、そして朝鮮戦争でしたね」
「そうじゃ。そのためにわしらは……」
 源さんは、チラシを拾い上げてじっと見ていた。
「じゃが、わしのような飲んだくれのとこへようきたのう」
 源さんの瞳にいくらか光が射してきた。
「源次郎さん、パージも戦争のためで……。いま、九条が危ないんです。自衛隊が他国へ出てゆけるようにしようという、もくろみが……」
「そうか、九条がのう。なんにも知らなんだのう。まあ、あてにはならんが、行けるようなら円城院へ覗こうかのう」
 源さんは、一升瓶のキャップをきつく締め付けながら言った。
 行けたら行くというのは、たいてい断り文句なのだ。圭介は半信半疑で帰路についた。
 九月九日がやってきた。圭介はこの行事に参加するのは初めてのことだった。彼は今春、市役所を定年になって故郷へ帰って来たばかりなのだ。
 鐘楼は円城院の西の丘にある。七、八人の人が鐘楼の前に集まっていた。談笑している時、ふと圭介が下に眼をやると、石階段を上ってくる人に気づいた。左手で手すりを掴み、右手に杖を持っていた。
 源さんだった。圭介は迎えに行って、左手を支えながら鐘楼まで案内した。まもなく九時九分である。代表者がその時間に合わせて鐘をひとつ打った。一人ひとりその後に続いた。最後に源さんが残った。彼はしばし躊躇していたが、合掌しておもむろに綱を手にし、二、三回撞木を振って、釣鐘を勢いよく打ち鳴らした。
 鐘は青く澄んだ秋空に鳴り響いた。
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「随想の部屋」 オープン

新しいカテゴリ「随想の部屋」をつくりました。

(笹本)

「新年にあたって」  鬼藤千春

新年にあたって       鬼藤千春

 大晦日恒例の紅白歌合戦にチャンネルを合わせて、テレビの前に座っていたが、私が考えていたことは、やがてくる新年のことである。二〇一三年がどんな年になるか、どんな年にしたいのか、ということどもだ。
 私の想いは大きく膨らんで、遠くを見るような眼でテレビの画面をぼんやりと見ていた。文学や健康、わが家の経済や生活のあり方、などが頭を過ぎっていった。
 生活の在りようの軸にしてゆきたいのは、「書くことと読むこと」ということであった。書くことといえば、まず日記を毎日綴ってゆくということである。小説の方は掌編小説を幾編かと短編を二つくらい書いてゆきたいというものだ。
 いま、一月を終えようとしているが、日記は四百字詰め原稿用紙にして、百五十枚の分量を書いてきている。一日平均五枚である。この日記の量は尋常ではないと思っているが、それは小説が書けないからだ。
 小説を書くということは、決して容易なことではない。まず「なぜ書くのか」、「何を書くのか」、「どのように書くのか」、ということをクリアしなければならないからである。言葉をかえれば、モチーフは、題材は、テーマは、創作方法は? ということを考えなければならないのだ。小説を書こうと思いたつと、まさに「寝ても覚めても」そのことを考えるようになる。自身の内部でそれが醸成するのを辛抱強く待つのだ。
 しかし、そんな辛い営為をしたからといって、いいヒントが天から舞い降りてくるわけでもないのだ。そこで小説が書けないから、やむなく私は日記を書いているのだ。謂わば、本業が芳しくないから、仕方なく内職をしているようなものだ。早く日記から開放されたいのである。
 読むこと、は書くことと切っても切れない関係にある。ほとんどの作家や評論家は、「いい小説を書こうと思えば、いい小説を沢山読むことだ」、ということを例外なく言っている。だから、いい本を一杯読むことが求められているのだ。が、私の友人は、「その歳になって今更本を読んでももう遅い。やめとけ」と手厳しい指摘をする。
 その通りだとも思う。遅きに失する、という気がしないでもない。たしかに青年時代には、「人間とは何か、人間はなんのために生きるのか」、という風なことを考え悩んでいた。したがって、感性も豊かで研ぎ澄まされていた。しかし、六十五歳にもなると、本から受容することが鈍感で限られてくるのはたしかだ。が、書こうと思うならば、あえて読まなければならないのだ。
 そこで新聞の連載小説を読むことも、私のひとつの目標にしたのである。いままで、この歳になるまで、新聞の連載小説を読んだことがなかった。単行本が発行されてから読めばいい、というのが私の考えであった。が、本にならない連載小説もあるから読んでおきたい、と思ったようなわけである。いま、「民主主義文学会」会員の須藤みゆきの「月の舞台」という連載を、一日も欠かさず読んでいる。
 そして、決して欠かせないことのひとつは、健康であるということだ。私の近しい人たちの中にも、健康を害している人がずいぶんと多い。そこで、ウオーキングをすることを心に秘めたのである。冬と夏は室内でウオーキング・マシンを使ってやることにしている。春と秋はもちろん室外へ出て、海や山の風景を眺めながら歩くのである。いまは、パソコンで高橋真梨子や山崎ハコの動画を視聴しながら、一時間のウオーキングだ。この一年、健康であることを痛切に願っている。
 新年を迎えて、新しい変化というのは、「まがね文学会」がホームページ(ブログ)を開設したということだ。これは会に活性化をもたらしている。私自身、年間に幾編かの掌編小説を書けばいいと思っていたのだが、このブログによって、毎月一編の掌編を書くことを心に期したのである。また、ある会員も自身の作品が掲載されたことによって、意識の変化があったようで、新しい提案を寄せてきている。彼ももっと作品を書いてみたいという希望を述べている。
 「まがね文学会」は、文芸誌「まがね」とブログという、発表の場をふたつ持ったということになる。そのどちらとも継続というのは難しいのだ。それでも「まがね」は三十数年発行してきて、試され済みであるけれど、ブログはこれからである。ネットでよく見受けられるのは、開設はしているが、それがなかなか更新されないということだ。それでは読者の信頼は得られない。私たちはこのブログを継続するだけでなく、豊かで充実したものにすることが使命となっている。
 最後に、「まがね文学会」のよりよき発展を願って新年を迎えたのである。会の目指すものは、単純化していえば次の通りである。つまり、一人ひとりの会員が、「よく読むこと」、「いい作品を書くこと」、そして、「仲間を増やすこと」である。そして、芸術と文学の民主的発展に寄与することだ。
 この一年が、「まがね文学会」と会員のみなさんにとって、いい年でありますようお祈り致します。

「駅」(バージョン2)  石崎徹

駅(バージョン2)      石崎 徹

「わかってるさ」いらだって、ギングの声がつい高くなった。「宇宙人保護法ができたくらい、ぼくだって知っている。でも法律は人の行為は罰するが、感情までは罰しないんだぜ」
「ママ、それ本当よ」とルルが言った。「オーレ先生が言ってたわ。でもわたし、あの人たちわりと好きなの。かわいいじゃない」
「ルル、おまえいまなんて言った? あの人たちって、あの化け物たちのことかい? あのとんでもなく気味の悪い、嫌なにおいのする生き物のことを、あの人だとか、かわいいだとか言ったのかい?」
「し! 黙って」ララが思わずあたりを見まわしながら注意した。「世の中には民法ってものもあるのよ。彼らの耳にはいったら名誉棄損で訴えられるわ」
 三人は人々でごった返す歩道を駅に向かって歩いているところだった。だが、人々?たしかに半分は人だったが、残りの半分はなんとも奇妙な形をした生き物だった。
「えい、ちくしょう」ギングは悪態をついたが、いくぶん声量を抑えた。「なんだって自分の国でびくびくして暮らさなきゃならないんだ。何世代にもわたって営々と築いてきた国を、どうしてぼくらが追い出されなきゃならないんだ」
「だって仕事がなくなってしまったんだもの。引っ越すしかないじゃない」
 ララの言うとおりだった。宇宙人たちが来はじめて、最初のうちは政府が厳重に隔離し、綿密な検疫が行われた。だが、どんどん大量にやってくるので、じきに迎えるこちらのがわが予防注射を受ける羽目になった。彼らは大量の未知のウイルスを持ち込んだので、医学界も衛生界も政府も人々もその対策に大わらわだった。洩れたウイルスもあり、死者も出た。排撃の世論も沸き立った。だが、彼らはじきにこちらの言語を解するようになり、知能も高く、高い文明と道徳を持っており、勤勉でもあることがわかって、受け入れるべきであるという世論がまさったのだ。
「オーレ先生が言ってたわ。住むところのなくなったかわいそうな人たちなんだから、受け入れるのが人道だって」
「人道なんて名目だけだよ。資本家たちは低賃金労働者を見つけ出したわけさ」
 彼らはじきに労働市場に投入された。最初は単純労働だけだったが、勤勉で知能も高かったので、専門職にまで進出した。しかも低賃金で文句もこぼさず働いた。その結果、ギングは失業したのだ。
「今度行く国には仕事があるの?」とルルがきいた。
「あの国の世論は賢明だからね。宇宙人の流入を制限しているんだ。まだ単純労働者しか受け入れていないよ。だから専門のスキルとノウハウを持った人間には仕事があるのさ」
「あの国が後進国だってだけのことよ」とララが溜息をつきながら言った。
「でも考えてもみろよ。原子核をいじることがどんなに危険かくらい、小学生だって知ってることだぜ。やつらはそのタブーを冒したんだ。自業自得じゃないか」
 駅の中は外よりもっと混みあっていた。やはり半分は宇宙人だ。彼らは住めなくなった自分たちの星をとっくに捨ててきたのだが、住みよい国を探してうろついているのだ。この周辺にはいくつもの国があって、文明の進歩の程度は多少違うが、いずれも人間の住む国だ。どの国も宇宙人たちをどう受け入れるかでそれぞれ悩んでいる。おかげで人間たちまでが、故国を捨てて外国へ移住せねばならない。
 三人は搭乗手続きを済ませ、人間たちの多いところを選って、ロビーの椅子に掛けた。
 いましも一台のロケットが発射する音が伝わってきた。外国に行くにはロケットで行くしかない。どこも別の星だから。
 ギングはまわりを見まわし、そばに宇宙人がいないことを確かめた。
「ララ、ルルの感覚がおかしくなったと思わないかい? ぼくは心配だな。ララはあの連中に平気になれると思うかい?」
「わたしだって、本音を言えばいやよ。でも時勢を受け入れていくしかないでしょう?」
 ギングは向こうを宇宙人たちが歩いていくのを見ていたが、嫌悪の気持ちの湧きたってくるのを抑えきれなかった。においもたまらないが、なんと奇妙な姿かたちだ。脚は四本しかなく、しかも二本は頭のすぐ下から垂れ下がっている。
 ギングは振り返って、妻と娘を見た。そのどちらもが持っている二十本ずつの脚のすばらしい美しさに思わず溜息を洩らした。

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1月例会報告

1月27日(日) 午後1時~4時30分  吉備路文学館

実作文学教室を行ないました。
課題は「駅」2000字以内の掌編です。
持ち寄られた作品は8作でしたが、時間の関係で7作について合評しました。

赤字は「掌編の部屋」で公開中(クリックしたら作品ページに飛びます)

妹尾倫良作品
・エピソードが多すぎあらすじになっている。
・描写がいい。

田中俊明作品
・初めのエピソードと以降の話が分裂しているのではないか。
・駅で見つけた楽しみについてはよくわかる。

桜高志作品
・時事的問題を取り上げたのが良い。
・主人公の設定、展開に無理がある。

井上淳作品
・若々しい反面、軽い印象。気持ちの変化をもたらすモメントが弱いのではないか。
・昭和の学園ドラマのようでおもしろい。

笹本敦史作品
・構成がうまい。
・ラストは解釈が分かれる。欠点と言えるのではないか。

石崎徹作品
・余韻が残る。後のシーンまで連想させる。
・掌編としての完成度が高い。

鬼藤千春作品
・大げさな表現が気になる。
・子どもたちの気持ちがよくわかる。

(笹本)

「駅」 井上淳

駅          井上 淳

 真夏の日差しがホームを真上から照らしていた。田舎の駅なので、電車はたまにしかこない。市街地に向かう次の電車がくるまでに、まだ三十分以上間があるので、人はほとんどいなかった。
 裕美子は、随分長い時間このホームで独り固まったようにベンチに座っていた。全身から汗が吹き出て、好きだった制服のカッターシャツを湿らせた。この制服を着るのも今日が最後かと思うと、裕美子は無性に悲しくなって、しきりにハンカチで顔をぬぐった。
 こんなはずじゃなかった――。今日は私にとって、ただの面倒な一日だったはずなのに。

裕美子は今朝、一年余り通っていた高校に行って、退学届を提出して来た。理由は、「家庭の事情」とだけ言った。先生は驚いて、考え直すように何度も言ってくれたが、裕美子はそうしようとは思わなかった。もうすべてが決まったことだった。
学校の校舎の隅の方から、美しいトランペットの音色が聞こえた。裕美子は思わず廊下で立ち止まったが、すぐに全てを振り払うように校門を目掛けて駆け出した。

「学歴なんて」と思う。学歴なんて価値のない人間の自慢話に過ぎない。早くいい仕事を見つけて、一日も早く家を出よう。気持ちが高ぶると、むしろ誇らしくさえあった。ついきのうまでは。

裕美子の家族は、裕美子が生まれる前からずっと兼業農家の父の実家で暮らしている。父は収入の少ない仕事を転々としていて、母はずっとパート勤めをしていたが、家計は苦しかった。父は小柄で極端に口数が少なく、反対に母はすこぶる気の強い性格で、夫婦仲は悪かった。喧嘩が始まると幼かった裕美子と裕美子より二つ下の妹は、いつも怯えて泣いていた。しばらくすると、どちらか、大抵は父が、ぷいっと出て行った。父がいなくなると、母は裕美子達に優しくしてくれた。何日かすると、必ず父は家に戻って来てくれた。裕美子にとっては、こんな父も母もかけがえのないものだった。
大きくなると、裕美子は学校にいる時間が好きだった。しっかりものの裕美子は、頑張り屋でもあり、勉強ができた。体も級友達より大きく、運動もできた。明るい性格で友達も多かった。中学に入ると、迷わず憧れだった吹奏楽部に入って、上級生になると部長を務めた。卒業したら看護師になりたいと思い、高校は衛生看護科に進んだ。高校に入っても吹奏楽を続けたくて、短時間のアルバイトをしながら忙しい毎日を懸命に過ごした。一ヵ月前、突然、母から父との離婚を告げられるまでは――。
 
 どれくらいの時間、この場にうずくまっていただろうか。ふと、かすかに、ざわめき声を捕らえた。胸の高まりを抑えて頭をもたげると、同じ高校の制服を着た生徒達が大勢、反対側のホームの階段を、声を上げながら駆け上がってくるのが見えた。まさか、今頃は県のコンクールに向けての本番練習だったはずじゃ・・・・・・。裕美子は訳も分からず震えた。だんだんと足音が近づいてくる。やっぱり!吹奏楽部のメンバーだ。
 裕美子は泣き顔を繕う余裕もなく、弱々しく立ち上がって、深く頭を下げた。
大好きだった先輩が、
「中里」
と力強い声で呼んだ。うんと懐かしいような気がした。裕美子は涙をこらえて、
「はい」
と答えた。みんなが緊張した表情で裕美子を見つめている。
「学校やめるんか」
「はい」
 仲の良かった何人かが、顔を歪めてすすり上げた。理由は言わなくてもみんな分かっていた。それが自分達の力ではどうしようもないことであることも。
先輩も言葉に詰まった様子だったが、やがて飛び切りの笑顔になって、
「がんばってな」
と、言った。みんなが一斉に、
「裕美子、元気でね」
「中里先輩、ありがとうございました」
と、口々に叫んだ。
いきなり一人が校歌を歌い出した。しかし、その声はすでにしゃくり上がっていて、歌にならなかった。裕美子は笑顔で何か言おうと頬の筋肉に力を入れたが、その瞬間、こらえきれなくなって、その場に泣き崩れた。

裕美子は一人、バイト先に向かう電車に夢見心地で揺られていた。
これが私の卒業式。決して忘れない。これから歩む道に苦労は多いだろうけど、絶対に幸せになるから。

石崎徹作 「駅」を掲載

掌編の部屋に石崎徹作「駅」を掲載しました。

石崎作品はこちらでも読むことができます。

「駅」 石崎徹

駅      石崎 徹

 時間がない。あの銀行の角をまがって階段を下りれば、郊外私鉄の地下駅だ。そこから二人は反対方向の電車に乗る。真美は自宅に、岳史は下宿先のアパートに。そして一週間後に卒業式を終えると、岳史は就職先に旅立つ。それまでに会う時間をとれるかどうかわからない。時間がないのだ。岳史は言い出すきっかけを焦っていた。なのに、真美は自分の話題に執着し続ける。
「カコが言ってるのは、最後に一度二人で会いたい、それだけのことなのよ」
 三月の夜風はまだ冷たい。終電に近く、歩道の往来はめっきり減った。商店もあらかた灯りを落としている。さほど広くはない車道を車がスピードを上げてすりぬけていく。疾走する欲望、そんなフレーズが脈絡もなく岳史の脳裏をかすめる。これは詩に使えるかもしれない。疾走する欲望、欲望が疾走する、車は欲望のように疾走する……
 いや、それどころじゃない、時間がないのだ。岳史は歩きながら真美を見る。ときを稼ぐために歩調を落とそうとするのだが、真美はさっさと歩き続ける。コートにマフラー、手袋をしているが、真美はまるで寒さを感じていないような活きいきとした表情で、速足で歩きながら、すばやく唇を動かしていた。
「聞いてるの!」
 真美が岳史をにらんだ。岳史は苦笑いを返す。
「なんで、そんなにわかんないの。少しくらい時間とれるでしょう?」
 サラリーマン風の男が真美を見つめたまま、すれ違っていった。
「興味がないんだ。君こそなんでそんなに熱心なんだ」
「頼まれたからよ。カコは大切な友達だし……」
「どうして君に頼むんだ。今日だって会ったじゃないか。自分で言えばいい」
「だから久保君には何にもわかっていないのよ。いじらしいと思わないの?」
 銀行の角をまがった。いよいよ階段だ。地下駅に続く階段。これを下りてしまえばおしまいだ。真美はしゃべりながら階段を駆け下りる。岳史も追いかけた。
 そのときデジャヴュのように、ある情景が浮かび上がる。あれはいつのことだったろう――駅って、人生みたいだと思わない? 見知らぬどうしがふと出会い、そしてわかりあうまもないうちに、離れ離れになってしまうのよ――あれを言ったのは真美だ。あのとき気にも留めなかった言葉が、なぜ急に切実に思い出されるのか。――
「ぼくは今日、君からそんな話を聞きたくなかったんだよ」
「人の心のわからない人ねえ」
 地下駅にはまだかなりの人がいた。二人は定期を使って改札を抜けた。四年間使ったこの定期とも、もうじきさよならだ。岳史は真美の方角の電光掲示を見る。まだ十二、三分ある。別々のホームへの階段の上で、やっと真美は立ちどまった。
「カコはずっと久保君のこと好きだったのよ。なのにあなたは少しも気づかない。なんでそんなに鈍感なの」
 いきなり岳史は我知らず口走っていた。
「じゃ、君はどうなんだ。君には人の心がわかるのか。ぼくの心がわかるのか。ぼくは今日、君の口からこんな話は聞きたくなかったんだ。ちくしょう、よりによって、こんな……」
 最後の言葉は呑み込んだ。
 沈黙。真美が眼を見開いて岳史を見つめる。深い眼だ。岳史はその眼を見つめ返した。眼がゆらぎ、真美がゆっくりと口を開いた。
「なんの……話をしてるの……」
 二人の脇をすり抜けて人々が駈け下りていく。一人の肩が真美に触れ、真美はよろめいて岳史の腕にすがった。強い力で握ってくる。そのまま、まぢかで岳史を見上げた。言うべきことがあるとすれば、いまだ。だが岳史の口からは無意味な言葉が出る。
「電車が来るよ。ホームまで行こう」
 真美はゆるやかな歩調で階段を下りた。下りながら切れぎれにつぶやく声が岳史の心に沁みこんでくる――でも、こんなことって……だって、わたし……
 人々の列から離れた場所で、真美は押し黙って、かたくなにも見える眼で前方を見つめている。岳史は横目でうかがいながら、その表情を記憶の底にたたみこむ。
 二本のレールが交わることなく闇に吸い込まれ、冷んやりした風が、殺風景なホームを吹き抜ける。やがて電車が音を立ててすべりこみ、着実に停止した。

鬼藤千春作 「駅」を掲載

掌編の部屋第2弾は鬼藤千春作「駅」です。

感想をいただければ幸いです。

「駅」  鬼藤千春

   駅    鬼藤千春

 駅には風花が舞っていた。
 耕一が、ほとんど使うことのなくなった駅である。駅はずいぶんさびれていた。駅前の雑貨品を取り扱う煙草屋も、そのとなりのパン屋もシャッターを下ろしている。広場にはタクシーが停まっており、運転手は車から降りて、両腕を高く上げ欠伸をしていた。
 駅の売店も閉じられ、ひところは十人近くいた駅員も、一人か二人になっていた。耕一は窓口で、名古屋までの乗車券と岡山からの新幹線の切符を求めた。彼はこれから出向で名古屋まで行くのだった。
 耕一は地元の半導体メーカーに勤めていたが、そこが不況に見舞われたのだ。高校を卒業してちょうど二十年である。その間、多少の景気の波はあったが、なんとか無事にしのいできた。が、今回の不況は、小手先の遣り繰りで乗り切れるというものではなかった。
 四十歳までの社員、三十名が業務命令で出向になったのだ。それは、有無を言わさぬものだった。それに従わなければ、ベトナムへの派遣か、もしくは退職を迫るというものである。やむなく、耕一は名古屋への出向を受け入れた。
 出向先は、半導体の製造とは縁もゆかりもない、自動車のメーカーだった。仕事の内容も現地へ行ってみなければ分からない、という曖昧なものである。
 見送りには、妻と小学六年の亜希子と四年の詩織がやってきた。家から駅までの車の中で、二人の子どもは自分たちが旅行にでもいくかのように、はしゃいでいた。耕一は車を運転しながら、出向先での仕事の不安に囚われていた。怒ったように唇を嚙んで、前方をじっと睨んでいる。時折、振り向いて子どもたちを叱った。
「父ちゃんがいない方がええよ。父ちゃんはガミガミうるさいばあじゃもん」
 負けん気の強い詩織が、口を尖らして言った。
「父ちゃんは酒を飲んで、からんでくるから厭じゃ。ずっと、名古屋へいっときゃええんじゃ」
 亜希子が後部座席から、運転席の方に身体を乗り出してきた。
「そんなことを言ったらいけません。これから七ヶ月、父ちゃんは独り暮らしになるんよ。それが分からんの。あんたらも淋しくなるんよ」
 助手席の妻が甲高い声を挙げて、二人をたしなめた。
 が、二人の子どもは、相変わらずもつれ合って騒いでいた。耕一は怒りが突き上げてきて、二人を殴りつけたい衝動に駆られた。やっとの思いで彼はそれを抑えていた。
 四人は陸橋を渡って、上りのプラットホームに降り立った。構内には北の方から雪が降り注いでいた。空を仰ぐと、北の空は鉛色に曇っていたが、南の空は青く透きとおっていた。やがて、山口百恵の「いい日旅立ち」という曲が流れてきた。下り方面の線路の先を望むと、グリーンとオレンジ色の列車が、朝日を浴びて疾駆してきている。まもなく列車は、ホームに車体を揺らしながら、滑り込んできた。
 耕一は、二つの大きなバッグを持って、列車に乗り込んだ。車内は比較的すいていたので、彼は窓際の席に座って窓を開けた。肌を刺すような風が、彼の頬を打った。
「母ちゃんの言うことをよく聞いて、しっかりやれよ」
 耕一は、二人の顔を交互に見ながら言った。
 ガタンと列車はひとつ身震いして、ゆっくりと動き出した。その時だった。亜希子が不意に号泣し、それにつれて、詩織も嗚咽を洩らし、膝を折って泣き崩れた。耕一は不意をつかれて狼狽し、厳粛な気持ちが胸を駆けぬけた。別れを告げる手が震えて、止まらなかった。
 列車は風花を切り裂いて、小さな駅をあとにした。

「まがね」を書店に置いていただきました。

イオンモール倉敷の喜久屋書店に「まがね」50.51.52.53号を置いていただきました。
各700円です。

(鬼藤)

掌編の部屋オープン

会員の掌編小説を紹介します。
カテゴリは「掌編の部屋」としました。
感想をいただければ幸いです。

第1回は笹本敦史「駅」です。

「駅」 笹本敦史

駅       笹本敦史

 五月二十三日、今日が私の最終出勤日だった。定年による退職日は六月末だが、使い残した年休と最早いつのものかわからない休日出勤の代休が合わせて二十七日半あるため、今日の午前までが仕事ということになった。もっとも新年度が始まってから二カ月足らずで退職する者に重要な仕事が任せられるわけもなく、この間は仕事と言ってもほとんど雑用だけだった。今は管理職になっているかつての部下が伝票の束を持って来て「役不足で申し訳ありません」などと言うのを、笑顔で受け取ったりしていた。定年になっても多くの社員は六十五歳までの再雇用を申し込んでいるが私は断った。私は幸い五歳下の妻がまだ元気に働いているし、子どももおらず、共働きしてきたこともあって住宅ローンも完済している。経済的には無理して働く必要はないのである。しかし仕事以外にこれと言って打ち込めるものも持たずにきた私にとって、退職というのは一抹の寂しさを感じるものではある。最後の日が水曜になるため、送別会は先週末に済ませている。今週は雑用すらも回されてこず、身辺整理と取引先への挨拶回りに明け暮れた。今日は出勤してから昼までに社内への挨拶回りを済ませ、途中、同期入社の常務と雑談を交わした。
「働かなくても良いなんてうらやましいな。うちは女房が絶対許してくれないぞ」
「役員がそんなこと言ってたら士気が下がるぞ」
「こんなことはお前にしか言わないよ。残念だな、本音が言える相手がいなくなって」
 最後に受けつけの女性に軽口をたたき、時間が早いことを除けば、いつもと同じように会社を出た。それは自分が望んだ通りの退職日のあり方だ。最早、会社は私を必要とはしていない。私も会社を必要とはしていないのである。そう考えると急に足場を失ったような心許なさを感じた。地に足が着いていないような不安な心持で岡山駅まで歩いた。平日の昼過ぎだから、さすがに人は少ない。いつもは混雑している改札を、押し合うこともなく一人で通り抜けた。掲示板を見ると、瀬戸大橋線の次の電車は高松行きの快速で五分後に出ることがわかる。ホームに着くとすでに電車が止まっていた。車内は空いていて、私は二人掛けの席の通路側に座った。乗客の多くは高齢者だ。自分がそう呼ばれるようになるのも遠い先のことではないのだろうな、などと考える。その中で若い男が一人、通路に長い足を投げ出すように座っている。学生ではなさそうだが、だらけた態度からして、まともに働いてもいないだろうと勝手に想像する。
 発車のベルが鳴った。ドアが閉まる直前、旅行用のトランクを引きずった若い女が乗ってきた。彼女は安堵の表情を浮かべ、座席を見回した後、通路を挟んだ私の隣の席に座った。これからどこかへ出かけるところなのか、帰るところなのか。窓側の席に押し込んだトランクに軽く手を掛け、駅の風景を目に焼きつけるように窓の外を見つめている。小柄だが姿勢が良く、清楚な黒のスーツが似合っている。高い位置で結んだポニーテールが意志の強さを表しているようだ。電車の速度が一定になると彼女は正面を向いた。私の位置からは横顔が見える。二十代中盤だろうか。もし自分に娘がいたとしたらこれぐらいの歳になっているだろうか。軽い肌の荒れを隠そうともしない薄い化粧が、容姿に対する自信の表れなのかも知れない。そう思えるほど、その横顔は凛として美しかった。いつまでも見ているわけにはいかないと思い、私は正面に目を向けた。週刊誌の広告が目に入った。見出しを見るだけで何となく内容が想像できる。それ以上を期待して買ってみると必ず期待は外れるのだが、所詮は暇つぶしに読む程度のものだ。それで良いのだと思う。
「次は茶屋町。茶屋町です」
 少しうとうとしていたらしい。気がつくと降車駅が近くなっていた。踏み切りの警報音、駅への高架を上るために出力を上げるモーターの音、それらが習慣的に私を立ち上がらせる。
 着信があったのだろう。彼女はポケットから携帯電話を取り出した。そして小さな声で二言三言話して電話を切った。「電車の中だから後で掛け直す」とでも言ったのだろうか。中国語のようだった。中国から来たのか、と思うと同時に、その若さに彼国の活力を感じた。彼女はどこの駅で降りるのだろうか。そしてそこには何が待っているのだろうか。それが何であれ、彼女は若さと強い意志で新しい道を切り開いていくのだろう。
 私は駅を出た。いつもと同じ駅前の風景のはずだが、何かが変わっているように感じた。それが何なのか、探してみようという気になった。

1月例会のお知らせ

1月例会は1月27日(日) 午後1時~4時30分
場所は吉備路文学館です。


今回は初めての試みとして「実作文学教室」を行います。
「駅」という題名で原稿用紙5枚(2000字)以内の作品を持ち寄って合評します。
現在、4人から作品(5作)が寄せられています。
当日、持ち込まれる場合は8部程度のコピーをご用意ください。

(笹本)

ただいま準備中

昨日は支部誌「まがね 54号」の編集会議が開かれました。
席上、事務局から書店に「まがね」を置かせてもらえるように交渉中であることが報告されました。

また、広報のためWebも活用していくことに、(何となく)決まりました。

というわけで、このブログを随時更新していきます。
(笹本)