「まがね」作品評の記事 (1/2)

石崎 徹「柿の木のある窓辺で」(まがね58号)  植田与志雄

石崎 徹「柿の木のある窓辺で」(まがね58号)  植田与志雄

 詩など、普段は読むこともないのでこういうのを読んでもさっぱりわけが分からないんですが、「たぶん」と「もちろん」に興味を引かれました。
 ここに惹かれたのは技術者根性かもしれません。不確実と確実、両端が並んでいるところに興味が……。
 近くのものに、つまり生活に興味のない男、何を探しているのか、あるいは何かを探しているのかどうかもあやふやな男、だからすべてが「たぶん」なのだろう。
 女は近くのもの本位、つまり生活本位、愛するに足る生活があるのだろうけれど、生活なんだからあやふやさはなくて、生活に根を持つ愛なのだから「もちろん」というほど確かなものなのだろう。
 窓辺のテーブルでの食事、たわわな実をつけた柿の木、すべての好ましいものが手の届く近いところにある、山も空も近くにある。
 好ましいものが近くにあることを実感しているのは女なんだろう、男は女の視線を通してこれらを見て、好ましいものが近くにあることを女に寄り添うことで察しているのだろう。
 だから自分の感覚ではなく、女の実感に同意して、そうだねと言う。だから最後に先ず女が生活を愛していることが確認されて、次にそれに男が同意しつつも、やはり自分は何かを探し続けている、何を探しているのかもあやふやなまま……たぶん。
 男と女は異なる軌道を辿っているけれど、この詩のように一瞬だけ交わることがある。交わるけれど、それは一瞬でたがいに同化することはない。そこがいいんですよね!!
 最後にこのことを確認するために初めの順序を逆転させて二行が繰り返される。
 交わるけれど同化しない、のは自治会活動での人間観察からも感じるのです。
 ドミソは互いに自分の音は確かに持っていることで和音を形成する。各個が同化せずに自己を保つことでハーモニーが生まれる。
 同化を求めず交差を求める、交差の瞬間に何かが光る。
 民主主義は間違えると同化を求めるけれど、要注意。

 詩はどう解釈しても自由とのことなので、こんなこと考えたという報告です。
スポンサーサイト

「まがね58号」感想      高原利生

「まがね58号」感想      高原利生


北杏子「尺取虫よ」
 
 最後の1行「可愛いものよ」が余計である。それ以外は、人と対象の一体的関係の表現として完ぺきである。

石崎 徹「柿の木のある窓辺で」
 
 最初と最後の(リフレインの)部分がわざとらしくて過剰だ。
 初読では、男が傲慢なのではないかという気がしたが、これはただ、男の「ずっと何かを探していた」ことを、女の「生活を愛していた」ことより上位においてしまう評者の固定観念だったのだろう。
 これは詩の中の「男」が作者本人であるかどうかには関係ない。「徹」という作者名で作者が男であると思っていいだろうが、これはさらに関係ない。
 二節目の「二人は食事した」に続く文が現在形だが過去の話と思ってよく、全体として今までの回想と思っていいのだろう。柿の木とその背景の見事な描写があり、女が、それらの見える今の場所を「いいところね」と言い、男が同意する。
 この同一性と「ずっと何かを探していた」男と「生活を愛していた」女の差異との関係がさっぱり分からない。
 その不思議な関係を、疑問、余韻として残すのが作者の意図なのであろうか?

野中秋子「母を 生きる」
 
 感動的である。16節からなる詩が、10節までの母の事実、10節目の最後から続く4節の母と自分の関わり、最後の2節は、野中さんご自身のこれからへの決意、祈り、叫びだと思う。
 全体が見事な構成になっている。
 初めに読んだとき、16節全体はご自身向けの詩として、発表作品としては最後の2節を削除したもの、という二編の詩があるとして読むと良いのだと思った。
 今は全体でいいのだと思う。
 特に、終わりの6つの節は、良い古典的交響曲を聴いているように、気持ちが作者とともに高まっていき、そして、作者とともに決意、祈りで終わる。
 感情の高ぶる詩を読んだのは何十年ぶりのような気がする。昔読んでいた感情の高ぶる詩は、単純な青春詩集、革命詩集だったような気がする。これはそうではない。
 いま望まれているのは、「広い」だけでなく「新しい」感情、価値であろう。
 野中秋子さんの詩は、老いてボケた母とともに生きる一体感という「新しい」感情表現として貴重である。
 ただ何かとの一体化の感情が生まれているから新しいのではない。全体の野中さんの、ボケた母との一体感とそれを自分の生き方にして行く具体的過程が新しい。
 一見「愚かに」見える母の行為に悩み迷いそれでも全体を受け入れて生きていくべきではないかと読者にも思わせる複雑な過程の全体が新しい。
 野中さんの詩の内容とは全く関係ないのだが、今の大きな課題の一つは、「憎しみ」の処理である。「憎しみ」の処理がもし可能であるとしたら、それはこの野中さんのような悩みと思考の複雑高度な過程を経なければならないのではなかろうか?
 最後の2節が前の節の内容を活かしたものであればもっと良かった、というのはないものねだりである。感動的な詩だった。野中秋子さん、ありがとうございました。


女性三人の作品について

 今回は詩だけ出された野中秋子さんの「母を 生きる」が感動的だったのと同様、長瀬佳代子さんの「寒い日」と随想のジャンルに入れられた「母物語」もどちらも感動的だった。事実は小説より奇なり。「母物語」は特に心に残る。長瀬佳代子さん、ありがとうございました。
 野中秋子さんと長瀬佳代子さんはともに、前のまがねの感想の時にも触れた。お二人の優れた文は偶然ではなかったのだ。
 野中秋子さん、長瀬佳代子さん、妹尾倫良さんが、いずれも生活を感動的に描いている、三人がいずれも女性であることは興味深い。
 昔は、女性が生きること、生活することは労働だった。労働とは対象を変えながら生きることである。女性は、昔、(今以上に)周りに、ある時には抗いながら、対象を変えながら生きなければならなかった。労働が賃労働に限らないのは今も昔も同じである。(将来、賃労働でない労働が、賃労働と同じに扱われるようになることを考えている。中期的には賃労働もなくなる。)
 随想のジャンルの妹尾倫良さん「約束の詩」も同様に感動的だった。これまた、事実は小説より奇なり。随想のジャンルに、いずれも一ページちょっとと短い、長瀬佳代子さんの「母物語」と妹尾倫良さん「約束の詩」が並んでいる。詩の野中秋子さんの「母を 生きる」も特に長くはない。「小説」ではないこのように短い三人の三つの文が、人に、涙が出るほどの感動を与えることにただただ驚いている。
 偶然かもしれないがこの三つは、ともに、ある人との関わりの数十年の歴史の物語である。それを一ページにまとめて感動させる。忙しいかたでも野中秋子さんの詩「母を 生きる」と、この二編だけで、「まがね58号」は読む価値がある。どうかお読みください。
(高原の書いているものが感動を与えないのは残念であるが仕方がない)
 長瀬佳代子さんの「寒い日」と妹尾倫良さんの「カラスになった日」の内容に触れる時間がない。

妹尾倫良作品について

 妹尾倫良さんが今回は目次の「創作」「随想」「詩」の最後にそれぞれ1編ずつ計3編出された。彼女の何に感動するかとしばらく考えてきて、分かったような気がすることがあるので、それを書く。
 妹尾さんの「随想」の文体は他の人と変わりない。整った良い文である。しかし、妹尾さんの詩と小説は、文体がガラッと変わる。文と文の関係が、読む緊張を必要とさせるようになる。時間、空間が連続的、直線的でなくなる。それでいて、彼女は、野中秋子さん、長瀬佳代子さんにはない、尋常な世界からより大きな広さを持った尋常でない世界を構成することができ、ある種の右遠俊郎に似てくるところがある。(といって僕は、右遠俊郎は一冊しか読んでいない。題も忘れた。)
 まがね58号の全部に目を通せていない。野中秋子さん、長瀬佳代子さん、妹尾倫良さんの三人の女性に驚嘆したものに限られたことをお許しいただきたい。

 「まがね58号」感想  矢嶋直武(「文芸多摩」同人)


「まがね58号」拝受いたしました。ありがとうございました。
 まず手にして、その体裁の良さに感心しました。組み方もカットも題字もすべて良し。さすが58号、センスの良さとともにその年輪を感じます。

 「ケチなたーやんの貸し金庫」 前 律夫
 方言の醸し出す穏やかな空気と、<春先の>ぽかぽかした陽だまりを髣髴とさせるような雰囲気が相まって、まるで「現代版・日本昔ばなし」を聴いているような感じで読みました。今は放映していない常田富士夫と市原悦子の名コンビによるあの「日本昔ばなし」です。したがって、最後の「オチ」も、「開けてみたら中は空だったとさ、チョン」とか「中は空だったそうな、オシマイ」と、ぼくは勝手にそう書き換えて読んでしまったくらいです。そんなわけで、「昔ばなし」(作者は「たわいもない立ち話」と書いておられますが)として読めば、最後のオチも「ははは……」と笑って済ませることもできます。そこでもって「金はどこへ消えちまったわけ?」などと真顔で聞いたら、「この無粋者」「野暮」「石頭」と叱られてしまうのかもしれません。あるいは「その先は読者であるアンタが勝手に想像をすればいいのさ。ははは……」と笑われてしまうのかもしれません。でも、ぼくはやっぱりその先が<気になり>ました(笑)。仮に「コーポの女」が持ち去ったとすれば、昨今ワイドショーを賑わす「後妻業」とかさなり、なんだか<おどろおどろしく>なり、<たわいもない立ち話>がにわかに<生々しい話>になってしまいます。それはおそらく作者にとって<本意>ではないのでしょう。しかし、<だったら、あの金はいったい何処へ……>とやっぱりぼくの悩みは消えません(笑)。

 「寒い日」 長瀬佳代子
 ぼくも70を過ぎて主人公の気持ちが実感としてよくわかります。おそらく主人公は作者の分身と考えてよいのだろうと思って読みました。したがって、主人公の想いにはリアリティがあるのだとも思いました。この種の作品は<私小説的リアリズム>、あるいは<日常生活的リアリズム>と呼ぶことができるでしょう。しかし、ときどきこうした作品は<身辺雑記的>と批判的に言われることもあります。が、身辺雑記そのものが悪いわけではないでしょう。身辺雑記を基調としながらもそこにほんの一つでも主人公の<発見>があれば、それは作品として立派に成立すると思います。そして、この作品で言えば、末尾の<引用部分>がそれ(発見)に当たるのだと思います。ただ、おそらく寂聴さんのものと思われる文章の引用ははたして必要だったのか。悩ましいところだと思います。なぜならば、引用文の中に述べられた一つの認識、それを<具体的な人間の生活をとおして形象化しようと試みたもの>がまさに作品『寒い日』そのものだと思うからです。別の言い方をするならば、『寒い日』を読み終えた読者が読後、しみじみ引用部分に示されたような認識に導かれるならば、『寒い日』は作品として成功したといえるのではないでしょうか。
 もうひとつ、これは本質的なことではありませんし、長いキャリアをお持ちの作者はたぶんご存じのことと思いますが、小説の場合(評論は違いますが)、原文のまま他人の文章を引用する際には<著作権>の問題が発生してしまい煩雑な手続きが必要となります。その点からも原文の引用はやはり一考を要することのように思います。

 「はつ恋」 笹本敦史
 作品としての完成度は高いと思いました。ただ、「はつ恋」という魅力的なタイトルに惹かれ、いつ恋が始まるのかと期待しながら読み進めてきたミーハーのぼくにとっては、試合の場面ばかりが延々と続きなかなか恋が始まらないことに少々いらいらしました。そのうちに、意地の悪いぼくは<作者の目的は「動く対象を描写するデッサン力」を身に着けるところにあるんじゃないか。そのために試合場面を延々と描いているんじゃなかろうか>なんて疑いだしたくらいです。たとえば、剣豪小説の作家が立ち回りの場面をいかに生き生きと迫力をもって描くかに文章修行を積むように。いや、いや、これはほんの冗談ですが、でも、そんな邪推をしたくなるほどに試合の場面はやや長すぎた感があります。
 さて、タイトルにある「恋」ですが、<はつ恋>と言えば水玉模様の包装紙に包まれた「カルピス」を思い出します。「カルピス」は高らかにうたいます。<甘酸っぱいはつ恋の味、それは「カルピス」>と。しかし、作品「はつ恋」に<甘美なイメージ>はありません。主人公<僕>の「はつ恋」は痛ましいまでに無残な敗北に終わります。いや、闘ってもいないのですから敗北とも言えません。そんな<僕>を捉える作者の筆はすこぶる冷静にしてストイック。<僕>を作者の分身とすれば、<自虐的>な印象すら受けました。ただ、そこにリアリティを感じなかったということではありません。抑制的ではありますが十分に主人公の内面は伝わってきます。具体的には「何か言うかと思った堀内が黙ったまま同情するような目で僕を見ていた。僕はそれを無視して、試合の再開を待った」(p.34)「ペンとシェークではラケットの使い方が違うので、打ち方を教えることはできないだろうと思いついたのは少し時間が経ってからのことだ」(p.35)なんと<いじらしい>「僕」ではありませんか。ただ、作者のこうした抑制的な筆使いからすると、最後の「堀内が覗き込んで言った時、僕は胸を押さえてうずくまっていた」にはやや不満が残りました。自身の<心の動揺>を必死に取り繕い、それを堀内に見抜かれまいと<けなげな>努力を続けていた「僕」も、ここへきてはいよいよ力尽きてしまった、それはよくわかります。しかしその表現として「胸を押さえてうずくまってしまった」はあまりに直球過ぎはしまいか。ほかになにか別の終わり方はなかったか。「じゃあ、お前ならどう書くんだ」と言われても答えはないんですが、面白く読ませていただいただけに少しばかりそこに不満が残りました。そう、不満を述べたついでにもうひとつ言わせてください。それは「汗」です。これまでみてきたように、主人公「僕」は<うぶで、ナイーブで傷つきやすい少年>です。つまり、少年の<恋情>はすこぶる<プラトニック(精神的)>なものです。それに対して、作品にしばしば書かれる<汗>は<肉体的なもの>を連想させ、両者の間に<違和感>を覚えます。もしこの作品が作者自身の体験を多少なりともベースにしているとしたら、「汗」のイメージは成人した後の作者が<頭(観念)>で付加したものではないでしょうか。

 「間男」 井上 淳
 <ちょっぴり色っぽいショートショート>として楽しく読ませていただきました。次回はこの<続編>をぜひ読みたいと思います。「間男」ということばからして作者はそれほどお若い方ではないと想像しますが、たぶん、小説になる材料をたくさん持っておられるのでしょう。また、楽しませてください。

 「僕が生協を辞めた理由」 桜 高志
 この小説を読むまでぼくは「生協」というものに民主的なイメージを持っていました。つまり、利益至上主義の一般企業とは区別してみていました。その根拠は特にないのですが、大学に入った時、食堂も「生協」でしたし書店も「生協」でした。また集会に行くと「生協」の旗も見かけました。それらがなんとなく「民主的」というイメージをつくりだしていたようです。そう、病院で言えば「民医連」系の病院という感じです。良心的で信頼が置ける。そこで働く人たちの権利も当然守られている、そう思っていました。ですから、この小説を読んでぼくはびっくりしました。読み終えた後、ぼくは思わず「山田さん、お疲れさま!」「山田さん、頑張って!」と声を掛けたくなりました。そして、日本の労働者は大変な苦労をしているのだなあと改めて思いました。むろん、作品としての完成度という点ではいろいろ弱点はあるでしょう。あるいは、小説の組み立て方としてもいろいろ意見はあることでしょう。しかし、読みながら<こりゃあ、ひどい><あんまりじゃないか>と読者をして思わせるということは間違いなく作品の力でしょう。

 「カラスになった日」 妹尾倫良
 ぼくにとって「まがね」は初めて読む雑誌です。そこに集う書き手についてもぼくはまったく知識がありません。ですから、この作品の書き手に関しても失礼ながらなんの予備知識もありません。しかし、この作品を読むことでぼくは不思議な世界に引きずり込まれました。この世であってこの世でないような。現実であって現実でないような。生者が死者と対話し、死者が生者と対話をしているような。音のないモノクロの世界がどこまでもつづく。作者はすでに三冊の詩集を世に送り出しておられるということですから、この力は長年「ことば」と格闘する中から獲得されたものであることは間違いないでしょう。「まがね」はまさに<多士済済>、すぐれた才能をお持ちの方たちが実にたくさんおられることを思い知らされました。

 取り急ぎ、「創作」として掲載されている作品についてのみ僭越ながらぼくのつたない感想を申し述べました。失礼がありましたらお許しください。
「まがね」のますますのご発展を祈念いたします。
 暑さ厳しき折、どうぞご自愛ください。

笹本敦史「水を売る」を読む  鬼藤千春

笹本敦史「水を売る」を読む  鬼藤千春

 笹本敦史の「水を売る」は、「まがね」55号に収載されている30枚の短編小説である。小説はもちろんいろんな創作方法があっていいし、そうでなければ画一的な小説ばかりになって、小説世界は狭小になってゆくだろう。
 だが、「まがね」55号の10編の創作を読んで感ずるのは、多くの作者が「小説世界を構築する」という意識が希薄であるということだ。小説とは何か、小説の心とは何か、という根源的な問いがなされないままに、筆を執っている作品が多いように思う。
 が、「水を売る」は秀逸な短編小説になっている。小説とは何か、小説の心とは何かを自らに問いかけ、ひとつの小説世界を築き上げている。もし、その問いかけがなく、書かれているとしたら、彼はきわめて優れた才能を有しているということができるだろう。
 しかし、彼はおそらく無意識のうちに「水を売る」を書いてはいないに違いない。いかにして小説として成立させるかが練られたうえで、書かれたように思う。テーマもプロットも彼の中にあって、あるいは書いてゆくうちに認識が深まって、この小説は生まれたのだろう。
 ここでは、ストーリーをなぞることをするつもりはない。ぜひこの作品を手にとって、読んでもらいたいと思っている。主人公は小さな酒屋を営む門倉歳三だが、この男にある営業社員が、いわゆる健康飲料水を取り扱ってくれるように奨めにくる。ここから物語は展開することになる。
 ここで、作品の最後を紹介しておきたいと思う。この手法は笹本流ともいえるもので、「瓦解」という作品でも描かれているが、この作品でも瓦解が象徴的に描かれている。門倉歳三の「瓦解」である。
「えっ? それじゃあ、どうするんだよ。この積み上げた水の山」
 景子が霊峰水の箱を激しく叩いた。何かが弾ける音が響いた。積み上げた霊峰水が崩れた。(中略)つぶれたペットボトルから漏れたらしい水が床を覆っている。霊峰水のうちの一箱が壁を突き破っていた。
「こりゃ壁が薄すぎだ」
「手抜き工事だな」
 アルバイトが囁き合っていた。
 これが、最後の場面だ。歳三は、腰が抜けて立てなくなり、景子は呆然と立ち尽くしている。これが、歳三の末路である。つまり瓦解だ。歳三は営業社員の詐欺に遭ったといえなくもないが、そういう見方だけでは捉え方が狭すぎるといえるだろう。
 作者は歳三を通して、人間というもの、人間の弱さというものに焦点をあてて、小説世界を創りあげている。小説に模範はないし、みんな違ってみんないいと思うけれど、この作品から小説作法の多くを学ぶことができると思っている。
 ただ、この作品にも問題点があって、手放しで評価するわけにはいかない。それは作品の冒頭で、読者にその結末が想像できることである。推理小説でその結末が分かってしまったら面白くないのと同じである。
 が、人間の微妙な心の弱点、あるいは心のスキを捉えて小説世界を構築した、きわめて優れた作品だということができるだろう。秀逸で佳作である。

秀作・有坂初江「麦秋」を読む  鬼藤千春

秀作・有坂初江「麦秋」を読む  鬼藤千春
2007年1月「まがね」第45号

 キッチンでガラスコップの曇りを磨いていると、次子の背後で電話が鳴った。夫の久が受話器をとり、「やめたんか」という声が聞こえてきた。長男の克人からの電話だった。
 「克人がまた仕事を辞めたそうや。次の仕事は、決めとるそうや」と久が言った。「14年間に、4へん目の失業や」、「どうなっとんかなあ」
 克人は高等専門学校電子工学科を卒業し、東京のソフトウェア会社に就職した。現在33歳で独身である。
 次子は15年前の今頃、克人が就職試験を受けたことを思い出していた。田んぼが麦秋の季節を迎えている頃だった。
 「面接の時、父親が勤める会社の名前を訊かれたんや。父ちゃんが共産党員やということが分かったら、内定しても取り消しになるかも分からん」
 「今頃でも、そんなことあるんかな」
 「あるんだよ。父ちゃんも母ちゃんも甘すぎるんだよ。内定が取り消されるようなことにでもなったら、恨んでやる」
 「父ちゃんが何をしたというの。組合の大会でいつも発言することが、そんなに嫌われねばならないことなの」
 「そんな理屈、聞きとうない。あんたたちには、子どもの幸せを願う気持ちがないんか」
 克人は大学へ行きたいという希望を持っていた。しかし、中学校卒の共産党員の父親と、パートパートを繋ぐようにして働いている母親だった。3人の子どもが皆大学へ進学できるなんて、夢でも無理だと思い至ったようだった。大学進学の夢を絶たれ、希望する就職先の夢まで絶たれてたまるかという苛立ちが、そうした言葉を発しているのではないかと次子は思った。
 しかし、就職の内定取り消しということはなく、無事就職できた。が、克人は最初の就職先を4年で辞めた。〈長時間労働がたまらん〉と克人は言った。今はコンピュータの時代といってもいいが、次子にはその実態がよく分からない。しかし、克人をとおして、あまりにも過酷な職場が多い、ということだけは分かっていた。
 電話があった2日後に克人は丸亀の実家に帰ってきた。克人は2階に荷物を置いて1階に下りてきた。「おやっさんは」と訊いた。久は他家の掃除にバイトに出かけているのだった。次子も一緒にいくところだったけど、克人が帰って来るというので、待っていたのだった。
 「あんさんたちは、そんなことまでしよりますんか」
 「年金は削られるし、健康保険、税金などの支払いも、大変なんよ。年金で足りないのなら、働けってことでしょうね」
 翌朝、克人は山に登ってくると言った。「香川県の山」という本を持っており、彼は出かけていった。次子は部屋の掃除でもしてやろうと思って、2階へ上がった。布団も上げており、思ったより片付いていた。次子は部屋の隅に2つの瓶を見つけた。ひとつはサプリメントの茶色い瓶と、もうひとつは白い錠剤の入った瓶である。
 白い錠剤は胃薬である。33歳という若さで胃が悪いのだ。医者に行くと、不規則な労働が原因だと言われたそうだ。次子は掃除の手を休め、その場に座り込んだ。克人の、きつい労働と生活ぶりが透けてくる気がした。働きながら命を削られている。克人が4回も仕事を辞めたのは、自分でブレーキをかけたということなのかと次子は考えていた。
 翌朝、克人はまた東京へと旅立って行った。麦刈りはもう終わっていた。次子は、麦秋の光景に、克人の自立する日を重ねて、想像した日があったことをまた思い出していた。

 これは、2007年度の「民主文学」支部誌・同人誌推薦作に入選した作品である。共産党員を父親にもつ息子の生き方を掬いとった佳作である。貧しくも慎ましく暮らす共産党員家族の在りようを描くとともに、息子を通して生き難い社会と時代の相を写し取っている。何よりも主人公次子の、息子に注ぐ眼差しが温かくて、しかもその視座は広くて深いところが優れている。

秀作・諸山立「遠ざかる灯」を読む  鬼藤千春

秀作・諸山立「遠ざかる灯」を読む  鬼藤千春
2003年10月「まがね」第40号

 20年ぶりの中学校同窓会が2週間後にせまっていた。直樹が洗顔をすませて部屋に戻るとき、脈がとんだのが判った。朝食のとき、妻に脈のとんだことを言った。「気にしすぎよ」と、頭からとり合ってくれない。
 この夫婦の会話が軽妙で面白い。
 「死ぬかと思うから、心配になるのよ。死んでもいいと思っておれば、別に恐れることないんじゃない」
 「その、死んでもいいと思えんから問題なんだ。そんなに簡単なことじゃあない」直樹は台所で食器を洗っている妻の背を睨みつけた。
 「死んでもいいんじゃあない? もう俺は役目が済んだって、自分でいつも言ってるじゃないの。それに、これから大仕事を始める訳でもないでしょう」
 「それだったら、お前も同じじゃないか。お前、死んでもいいと思っているのか?」
 「私? 私はあなたより若いもん。まだまだ死ねないわ」と言い、
 死ねない理由は? 「それはねえ、あなたのこと。私がいなかったら、あなた独りで生きていけないじゃない」
 今回の同窓会は北陸の海沿いの温泉で開かれる。その不安が脈をとばしているのかも知れないし、何かの悪い兆候かも知れぬ、と思った。
 同窓会は盛会だった。50年ぶりという初参加者が7人もいた。直樹は、病院で24時間心電図までとった。が、どこも悪くないという診断と、軽い精神安定剤をもらった。とくに身体の変調はみられなかった。
 宴会をお開きにして、会場をラウンジに移して2次会が盛り上がっている時、妻から電話があった。「あのね、町内の小西さんが亡くなられたの。夕方に気分が悪いと言ってご飯も食べずに横になったというの。それで――そのままってことらしい」
 直樹はラウンジへ戻ったが、急に気持ちが冷えて仲間たちと一緒には騒げなくなった。〈こんな時に――いやな電話だ。朝すればよいものを〉妻を恨んだ。トッと脈がとんだ気がした。脈拍を計ってみたが異常はない。が、不安がどっと押し寄せてきて、心を締めつける。
 安定剤をとりに部屋に戻ろうと立ち上がった。ラウンジの入口で理子に出会った。中学生のとき、好意を寄せていた女性だ。横をすり抜けようとしたが、腕をしっかり掴まれた。少し酔っているようだ。
 「どこにいたのよ。ちっとも話をしてないじゃないの」
 「やめろ。部屋に用があるんだから」
 「あら酔ったの? 苦しいの? だったら部屋に行こう。私介抱するから」
 理子は結局部屋までついてきた。
 「大事にしてよね。1人じゃ不安でしょ。私少しの間、傍にいるから横になったら」理子は手を引いてソファに座らせた。母親が病気の子どもの世話をやくような感じだ。
 「理子、お前宴会ですごくはしゃいでいたから、幸せいっぱいというところなんだろうな」
 「はしゃいでいるように見えた? 自然にしとこうと思ってたんだけど、だめねえ。知らないうちに突っ張ってたのね、私」
 「主人が死んじゃったの、春。まだ半年にもならないの。誰にも言ってないからみんな知らないわ。だから、直ちゃん。奥さん大事にしてよ。生きているっていうことが、どれだけ大事で、素晴らしいことかって。生きていてほしかった」理子は何か宣言でもするようにきっぱりと言った。
 習慣とはおそろしいもので、翌朝5時半きっかりにいつものように目が覚めた。吉沢と2人、11階の部屋に戻ったのは1時を過ぎていたように思う。身を起こし、枕許の水差しの水をゴクゴクと飲んだ。
 「起きたのか」吉沢が声をかける。暫く2人は蒲団に入ったまま、暗いなかで『死』について言葉を交わした。それは、直樹が小西さんの死亡のことを話してから、自然にそういう流れになった。自分たちはあと何年永らえるのだろうかと、2人とも長いため息をついた。
 「俺はもう、いつ死んでもいいと思ってる」吉沢がニヤリと笑って言った。
 「もうそんな台詞はやめようぜ。もっと、生きる意味をもって生きるんだよ。やることは結構さがせばいっぱいある筈だぞ」
 直樹は自分に言い聞かせるつもりも含めて強く言った。
 直樹は起き上がり電燈をつけ、窓のカーテンを引いた。夜はまだ明けてなかった。岬に続く道なのであろう、ヘッドライトが連なってふたつ、ゆっくりと遠ざかっていく。冷たく硬いその光は、魂が天上に昇ってゆく姿にも思えた。
 〈ふたつ同時とは、行かないものだ〉
 振り返ると、吉沢はひどく深刻な表情をして正座をし、天井を睨んでいた。指にはさんだ煙草の灰が長くなり、今にも蒲団の上に落ちそうだった。

 これは、2004年度「民主文学」支部誌・同人誌推薦作に入選した作品である。人間の根源的問題である「死」について考えさせる一編で、派手ではないが、深く「死と生」について迫っている優れた小説である。

秀作・実盛和子「英ちゃん」を読む  鬼藤千春

秀作・実盛和子「英ちゃん」を読む  鬼藤千春
1992年8月「まがね」第24号

 敏子の姉の夫、義兄の葬式のあとの打ち上げでのことである。喪の客も次第に立ち上がって、午後5時に始まった酒盛りも大分下火になってきた。もう9時になっていた。が、居残った人たちは足を投げ出したり、立てひざをしたりして行儀が悪いことおびただしい。喪の家の者が酒席をもてなし、燗の番から酒の酌までやらされるのである。
 敏子はそれがたまらない。独り台所にいると、「一寸きて酌でもせんかや。積もる話もあるでのう」と、幼な友達の英一(英ちゃん)が来て言った。敏子が燗をして座敷に入ってゆくと、英一は大胡座をかいている。「ま、ええから一杯飲めや。わしにも酌をさせてくれえや」敏子にコップを持たせ、ビールを注いだ。そして敏子の顔をしげしげと見た。
 「あんたも偉うなったのう。で、今は共産党の幹部か。子どものころ泣き虫じゃったあんたがのう」、「いや私は幹部でも何でもありゃしません。ただ『赤旗』を配ったり、ビラを撒いたりしとる位です」それから英一は、葬式の電報のことで、からんできた。共産党の参議院議員候補と町会議員候補の弔電は、お前が打たせたのかというのだった。
 「共産党も厚かましいのう。明日は町議選挙の告示ぞ。わしは同級の中山京一を応援しょうるんじゃ。この村で票がよそへ逃げるようなことはわしが許さん」英一はよほど腹に据えかねているようだった。「じゃからわしは共産党が大嫌いなんじゃ」と憤慨している。
 「共産党がむつかしゅういうから、まとまるもんもまとまらん。皆とおなじことをしょうりゃあええんじゃ。電報までよこしても此処の票は何ぼも出りゃあせん」敏子は呆気にとられてしまった。何時の間に英一はこんなにわからずやになったのか。こんな支離滅裂な論理が通るとでも思っているのだろうか。
 「あれ、もう10時じゃが、そろそろ迎えの電話を入れようか」と姪の益美が言って、英一の家に電話をした。ものの5分もすると英一の息子はやってきた。40歳くらいの背丈の高い息子に半ば担がれるようにして、英一は玄関を出て行った。
 それを見てから敏子はそっと裏口へ回った。「英ちゃん、そこまで送ろうか」、「あ、送ってくれるいうんか、嬉しいのう」と言って、英一は息子を先に帰らせた。夜風が肌をなぶるような4月の夜である。「ここで蛍とってよう遊んだなあ」、「よう遊んだのう。あの頃はよかったのう。敏ちゃん、あっという間の50年じゃ」
 「英ちゃん、今日座敷で共産党のことを大嫌いというたけど、あれは本気でいうたん」敏子は一寸きつい調子で言った。「英ちゃん、あんたずっと以前に共産党に入っとったことがあったなあ。どうしてやめたん?」英一は立ち止まったまま、煙草をふかく吸い、吐き出した。「ひと口にはいえんのう。戦後のどさくさ紛れにやったことじゃ」
 「原因は矢張りレッドパージかなあ。ある日、突然わしの目の前から党が無くなってしまったんじゃ。それで途方にくれてのう。寄ってゆくところもないし、やめたも同然よ」
 「では共産党を嫌いというわけではないんじゃね」敏子は、この点だけははっきりさせないと気が済まない。「英ちゃん、私は共産党に入って20年になるけど、いつも胸を張っとるよ。それはしんどいことは一杯あるわ。でも世の中を変えるんじゃから当然のことじゃ。だからこそしんどくてもやり甲斐があるんじゃない」英一は何もいわずに聞いていた。解った、解ったというように頷いていた。
 「敏ちゃん、一寸待っとれや。苺が熟れとるで」英一はハウスの中に入っていった。暫くごそごそ動いていたが、両手いっぱいの苺を摘んで出て来た。「食べえや。今年は出来が良うてのう」敏子はひとつ摘まんで口に含んだ。ツンと甘酸っぱい味と芳香が口の中に広がった。英一は敏子の白いエプロンを広げさせて、その中に苺を入れた。
 エプロンの中の苺はさわやかに匂った。

 これは、1992年度の「民主文学」支部誌・同人誌推薦作に入選した作品である。英ちゃんの人間像がくっきりと活写されている佳編である。「苺」という題名にしてもいいような、苺の甘酸っぱい味と香りが英ちゃんの「人となり」を象徴的に表している。

妹尾倫良「四十年目の夏」を読む  鬼藤千春

 秀作・妹尾倫良「四十年目の夏」を読む  鬼藤千春
    1986年3月「まがね」第15号

 被爆40周年を迎えたこの夏、広島で被爆した100人近いジャーナリストの「不戦」の碑が建立された。その機会に、被爆したジャーナリスト関係者と家族の消息を調査し、聞き書きなどして平和の尊さを世に伝える企画がなされた。
 「私」は津山に被爆者の家族がいるというのを聞いて、そこを訪ねた。そして、広島の原爆に遭った家族に会い、その様子を聞かせてもらったのである。その人は、主人を原爆で喪った未亡人で、気持ちよくその模様を話してくれた。
 主人は津山新聞(のち岡山新聞に吸収合併される)の記者をしていた。20年の5月に広島へ赴任することになった。8月になって広島が大変なことになったということが伝わってきた。主人から速達がきたのは終戦の翌日16日だった。その手紙は代筆でした。「広島の戦災にて重傷致し、国民学校講堂に伏床中なれど、板の上にそのままでフトンもなく困りはてておられる」というものだった。
 そして、姉の婿が広島へ行ってくれたんです。顔と腰以外は全身火傷で床に寝かされており、歩くこともできなかった。姉婿は担架を都合して、津山まで連れて帰ってくれた。主人はすぐに入院しました。「背中がむずむずする、見てくれ」と主人は言いました。見ると蛆がわいていました。生きとる人間に蛆ですよ。
 「手に針が立っとる。カミソリが立っとる、取ってくれ」と主人は言うんです。ひりひりして痛かったんでしょうな。そんなことがあって、やがて主人は亡くなってしまいました。8月24日、年齢は34歳でした。
 私は30歳で未亡人になったんです。考えてみれば、結婚生活は7年間でした。それからはとにかく働くばかりでした。5人も子がおれば、私が頑張る以外道がないでしょう。行商、失対事業、寮の管理人、とにかくよう働きました。生活保護も末っ子の奈津ちゃんが中学に入ってから、初めてもらえることになったんです。子どもが幼い時は、生活も苦しかったし、何度一緒に死のうと思ったか知れません。話が終わったのは2時近かった。朝の9時からの聞き書きだった。
 最後に奥さんは言った。
 「今はええです。戦争はもういやですな」

 これは、1986年度の「民主文学」支部誌・同人誌推薦作に入選した作品である。「まがね文学会」としては、三宅陽介の「山男と弥ァやん」の優秀作につぐ、2人目の受賞である。
 奥さんの話が被爆の情況、残された家族の生活の在りようをリアルに伝えている作品である。妹尾倫良の作家活動のひとつの一里塚であるとともに、それ以後の作家としての歩みの起点ともなったものである。

秀作・三宅陽介「山男と弥ァやん」を読む  鬼藤千春

秀作・三宅陽介「山男と弥ァやん」を読む  鬼藤千春
1978年9月「まがね」第3号

 この作品は、「民主文学」‘78年の支部誌・同人誌推薦作の優秀作に選ばれたものだ。また三宅陽介が、35年以上にわたる作家活動の出発点となった、記念すべき作品である。その後、彼は2つの長編とその他の単行本を上梓し、数多くの短編、そして随想を発表してきた。
 この作品の主要な登場人物は、「山男と弥ァやん」、そして視点をもった「ぼく」の3人である。この3人の人物形象が優れている。まさに、血と肉をもったリアリティのある人間として、作品の中で生きている。
 特に、弥ァやんが生き生きと描かれている。彼は終戦の日から50日ほど経った、秋の半ばに戦地から帰ってきた復員兵である。弥ァやんは25、6歳の青年で、ぼくとひと回りくらいの年の差があった。
 彼は戦地から村に帰った翌朝には田圃に出て、鍬を揮い村の衆を吃驚させた。また、彼は松茸引きの名人だった。ぼくは働き者で、松茸引きのうまい弥ァやんを敬服していた。ぼくは以前、彼に松茸引きに連れて行ってもらったことがある。
 その弥ァやんが、まだあたりが仄暗い朝、松茸引きに出かけていて、偶然、山男に出くわしたのである。山男は山兎のようにすばやく消えてしまった。その話が広まると、わしが山で逢ったのもその山男かも知れん、という目撃者が現れた。寺の住職だった。
 そして、3番目の目撃者になったのは、ぼくだった。見たのは鎮守の森から50米ほど登った天王さんだった。ひと坪ほどの祠の祭壇の前で兵隊服の男が、お供え物を食べているのだった。そして、男はぼくたちの方を見てにっと笑い、大股に歩いて山へ入って行った。
 それから、村ではさまざまなことが起こるようになった。お初っあんの台所に入り込んで、羽釜に半分以上あった麦飯が、ひと粒残さず平らげられていた。そして、留守の間に何者かに入られて飯を食われた、という家がだんだん現れるようになった。
 その頃から、山男の正体は脱走兵らしい、という噂が流れるようになった。台所の土間についてある足跡が、大きな兵隊靴だったのだ。そして、役場の人の話では、終戦のひと月ほど前、この村の駅に臨時停車した軍用列車から、ひとりの兵隊が逃げ出したことがあったという。その脱走兵が、龍王山にこもっている山男ではないかというのだった。
 ぼくのお祖母ァは、自分の息子を戦争でなくしていたが、墓参りだと言って、頻繁に墓地に行くようになった。饅頭や餅のお供え物は、お父うと山男のためのように思えた。
「ほんに死んでしもうてはつまらんのう。お国のためじゃいうて、死んでしもうたら何にもならんことよ」とお祖母ァは、お父うの墓の前で声を震わせて訴えるのだった。
 3月に入って、山男をつかまえるために、部落総出で龍王山の山狩りをすることが決まった。捜索隊は40数人集まり、弥ァやんは副隊長である。家には男手がいないので、隊員としてぼくも参加した。
 8人から10人くらいで5つの班をつくり、龍王山の5つの谷を捜索するのである。しかし、山男は見つからなかった。そして、弥ァやんが解散を宣言した。そして、みんな山を下りかけた時、忘れ物をした太一サが引返したら、石垣をよじのぼっている山男を見つけて大声を上げた。
 そして、山男は捕らえられたのである。あっけない幕切れだった。弥ァやんは役場の兵事係と駐在所の巡査に山男を突き出したのだった。お祖母ァは晩飯の時、誰にともなく言った。
「山男サは可哀そうなことをしたのう。せっかく命が助かって、ええ所に住んどったのに。ほんに弥ァやんはむごいことをしたのう」

 この作品は、詩人の土井大助や評論家の佐藤静夫などから高い評価を受け、三宅陽介が作家として歩み始めた処女作である。

桜高志「認知症の母」を読む  鬼藤千春

 桜高志「認知症の母」を読む  鬼藤千春

 認知症は、アルツハイマー型認知症や脳血管性型認知症が多いが、まだ原因が解明されないでいる認知症も多い。85歳以上になると4人に1人が認知症になるといわれている。
 この作品の母、実里も84歳で4人のうち1人がかかると言われている年齢に相当する。だから、この作品は特異な事例ではなく、ごくありふれた病気が題材として掬い取られている。
 母は、自立した生活を営むことができなくなっており、夫の世話で、我が家で暮らしている。が、介護3級の母は、月、火、水、金の4日間、介護施設で過ごしている。
 次男の敏男は毎週土曜日、母に会いにゆく。「尿とりパッドが盗まれたとか、いろんな虫が布団にさばりついとる」とか、認知症特有の言動が見られる。それを敏男に訴えるのである。
 しかし、この作品の特筆すべきところは、介護施設の職員との恋愛話である。母は職員の山川が好きになってしまうのだ。山川は38歳の独身男である。それを知った夫、陽介は「他の男に横恋慕するような者は出て行けえ」と言って口をきいてもらえなくなった。
 さらに、「山川さんがあやこさんとできてしもうたんじゃ。奥の倉庫で2人がキスしょうるとこを見た」というのだった。あやこさんは75歳で介護なしでは生きていけない老婆である。
 「山川さんを盗られてしもうた。が、しょうがないか。2人が仲良うしょうるから」と母はあきらめたようだ。そして、母は言うのだ。「施設にも男はぎょうさんおるけど、陽介さんが1番じゃ。ハンサムじゃし、優しいからなぁ」
晩秋のおだやかな西日をあびて、母は「陽介さんが1番じゃ」と笑顔で話すのだった。
 この作品は、認知症という一般的には暗くて陰惨な話が多いなかで、恋愛話をからめた、いかにもユーモラスに満ちた物語である。それがこの作品の命でもあり、作者の視点はオリジナリティーに満ちている。
 さらに、敏男の存在は大きい。いくら認知症といえども、残余の能力は存在するし、その能力は潜在しているといわれている。敏男が母、実里に辛抱強くつき合って、コミュニケーションをとる姿に胸を打たれる。それが、母の認知症の在りようを明るくしている。