「まがね」作品評の記事 (1/2)

 「まがね」59号を読む  矢嶋直武(「文芸多摩」同人)

 「59号」発行おめでとうございます。祝意を込めてつたない、本当につたない感想をお送りします。

 『来年の春』(長瀬佳代子)/家の近くの公園に見事な桜がある。もう五年ほど前のことになるが、満開の桜を見上げているぼくの背後から「いやあ、きれいだぁ」というかすれた声が聞こえてきた。振り向くと、毎週、教会で顔を合わせるKさんがいた。Kさんはぼくの顔を見て、やぁともおぅとも言わずにただ静かに笑っていた。つやつやと毛並みの良いコリーを連れていた。Kさんはこの公園に近いマンションで一人暮らしをしている。しばらくの間Kさんは黙って桜を眺めていたが、やがて長い白髪をかきあげながら「いつまで見られるのかなあ」と、誰に言うともなく呟くと軽く頭をさげて去って行った。ぼくはKさんが良くない病気を抱えていることを間もなく牧師から聞いた。Kさんが亡くなったのはその年の秋だった。ぼくも七十歳を過ぎてから自分の死を考えるようになった。実際、かつて一緒に働いていた仲間の訃報に接することも昨今珍しくはなくなった。いつの日か確実にその順番は自分にも回ってくる。その自覚は確かにある。しかし、Kさんのように「来年もこの桜が見られるのだろうか」と意識しながら桜を眺めたことはこれまでまだ一度もない。
 長瀬の作品「来年の春」に登場する<祥子>は、<来年の春のことは分からない>と二度呟き、その呟きがそのまま作品のタイトルとなっている。冒頭の部分で<五人全員七十代>という記述があるから<祥子>も七十代なのだろう。高齢者といえば言えないこともない。しかし、来年の桜を懸念したKさんのように、<祥子>が何か良くない病気を抱えているという説明はどこにもない。にもかかわらず<祥子>は、これが<納めの会>になるような気がして<食事会への出席を決める>など、残された時間に過剰なまでに捉われている。それはなぜなのか。単なる<老い>の自覚ばかりとは思えない。しばらく読み進むうちに、やがてその答えと思しきものが見えてくる。
 <安永が銚子を持ち上げ、祥子の盃に注ごうとした時、「書けなくて困っているんです」思わず祥子の口をついて出た。安永に三村の顔が重なったような気がした。>
 ここに<今、祥子を捉えているもの>の正体があり、また、この<作品の核>となるモチーフが潜んでいるとぼくは読んだ。ぼくは作者と面識があるわけでもなく、また、安易に<祥子>を作者自身と同一視するつもりもない。しかし、長瀬がこれまで書いてきた文章を読み返すとき、<祥子>には可なりの割合をもって作者自身がそこに投影されているようにみえる。

 例えば、作中<『うら』には毎号短い作品を書いてきた><テーマが見つからない時は身辺雑記を書いたり、身近に見る人のエピソードを拾い、とにかく『うら』に休まず発表することを目標にしていた>とあるが、この『うら』を「まがね」に置き換えればそれはそのまま以下の文章に重なる。
<◆まがね第二号に初めて作品を発表し、以来休まず書いてきた。今回の五十一号の作品は五十作目になる。(皆勤賞) KN >(「まがね」51号編集後記) さらに、長瀬の書いた「真金吹く吉備」(同55号)によれば、「まがね」の創刊号は<七七年三月>に出たとあり、長瀬は<その第二号に「裏切り」を発表、そのまま今日まで毎号書き続けてきた>と書いている。これらの一致はますます<祥子>を作者長瀬の分身と思わせるに十分な根拠を与える。
 さらに、「書くこと」についてもこんな記述がある。
 <筆が止まらなかったのは、書いた作品は自分が生きた証であり、書くことが祥子を支えている何本もの柱の一本で、だから書き続けることができた。>
 先に見た<書けなくなった>という<祥子>の台詞が、本人にとってどれほど重いものか、その重みをこの言葉はよく伝えている。つまり、<書けなくなる>ことは<祥子>にとって<生きた証>を失い、自らの存在を支える<柱>を失うことに等しいと言っているわけなのだから。その意味では、かつて野中秋子が「小説が出来ない」(同54号)で描いてみせた世界と必ずしも同じでない。だからこそ、安永の語る<書けない時こそ書かなきゃいけん。書くことで脱出できる>という<О氏>の助言も、今の<祥子>を奮い立たせる力にはなり得ない。 
 ならば、四十年もの間絶えることなく続けてきた<書く>という行為が、今、なぜ<書けなくなった>のか。作者はそれを明らかにしない。いや、明らかにできないのかもしれないし、あるいはまた明らかにしたくないのかもしれない。作者はただ、<頭の隅には『うら』への道を遮断している得体のしれないものがこびりついて離れない>とだけ書く。
 しかし、そんな<祥子>にも一つはっきり分かっていることがあるのではないかとぼくはみる。それは、<書けなくなる>ことに付随して生まれるであろう<別離>に対する怖れである。それは、ひよっとすると今の<祥子>にとって、<書けなくなる>こと以上に辛いことなのかもしれない。
 <三村や安永たちと過ごした学び舎がだんだん遠くなる。『うら』の目次から祥子の名前も消えていく。>
 この表現の中にこそ、今の<祥子>が抱く辛さが隠されているように思えてならない。
 <三村>は「特攻無惨」(同53号)を書いた三宅陽介ではないかとぼくは勝手に想像して読んだのだが、<書くこと>がこれまで<祥子を支えて>きた<何本もの柱の一本>であったように、<三村>も<安永>も、そして<『うら』>も、<祥子を支え>てきた大切な柱の一本、一本であったことは間違いないだろう。つまりは、<書けなくなる>ということが同時に、それらの大切な柱一本一本をも失うことになる、その怖れの中に<祥子>は今立っていると言えるのではないだろうか。
 <書くこと>とともに、これまで自身を支えてくれていたそれら柱の一本一本が徐々に遠のいていく。その遠のいていく柱一本一本の感触を、記憶の中から呼び戻し、確かめつつ、静かに、じっと迫りくる寂寥のなかに独り立つ。
 そんな<祥子>の姿が見えてくるような作品である。

 「結婚願望相談所」(井上淳)/<夏に着る着物>をもらったので<夏まで生きていようと思った>とは、太宰治『葉』の有名な一節だが、この作品には<二人の息子>が<いい人と結ばれ>るまでは<死ぬに死ねない>という老夫婦が登場する。二人はもう七十五歳を過ぎており、のんびりしている余裕はない。そこで<ついに最後の手段に打って出ることを決意>する。それが「結婚願望相談所」である。二人の息子のうち、兄の和也は四十五歳。弟の俊彦は四十を過ぎたばかり。この二人の兄弟が「結婚願望相談所」を介してどのような婚活を展開し、どのように幸せを掴むことになるのか、その顛末を語ったのがこの作品である。
 婚活を先にスタートするのは弟の俊彦。彼は<開始時刻の三十分も前から>席に着き、<婚活パーティー>の開始を待っている。そこに現れたのが加奈である。俊彦は一目見てすっかり気に入ってしまう。そこのあたりを作者は<俊彦は理非なく生理的に舞い上がってしまって、猛進した>と書く。なんともわかりやすい、直截的な表現である。この作者はほかの場面においても同様で、<いかに文学的な表現を工夫するか>といったようなことに無駄な時間は費やさない。<根は助平なので><鼻の下を伸ばしながら><輝かんばかりの美人><大きな顔に品のない厚化粧>といった具合に、まさに<気取らず、飾らず、普段着そのまま>に、日常的、常套的表現を連発しながら饒舌に喋りまくる。それは前号の「間男」以来のこの作者の一貫したスタイルである。
 俊彦の<猛進>は功を奏し、やがて、加奈が俊彦の家を訪問するまでに二人の関係は進んでいく。しかも、加奈は自分の友人を俊彦の兄に紹介するという積極ぶりまでみせる。ところが、順調にみえた二人の関係も長くは続かない。突然、加奈からの連絡はぱったり途絶えてしまい、<ごめんなさい。もう会えなくなりました>のメールを最後に加奈は去ってしまうのである。このメールを受け取ったときの俊彦の描写も<頭が錯乱し発狂しそうになりながらも、身もだえしながら必死に堪えた>と、そのものずばりの、いかにもわかりやすい表現である。
 兄の為に加奈が紹介してくれた女性が真弓、この真弓が今度は傷心の弟、俊彦のために友達を紹介してくれる。まさに<友だちの友だちはみな友だち>である。真弓によって紹介された俊彦の新しいお相手の名前は梶原真理子。作者によって<大きな顔に品のない厚化粧>と書かれた女性である。ちなみに、作者はこの文章につづけて<地味な真弓が美人に見えるほど容姿が醜かった>と手厳しく畳みかける。よほど真理子の顔が気になるらしい。しかし、<案ずるより産むが易し>の譬え通り、物語はハッピーエンドへと収束していく。兄和也は真弓さんと、弟俊彦は真理子さんと、それぞれ幸せを手にする。兄はその喜びを父親に電話で伝えながら<胸にじーんと熱いものが込み上げて>くる。
 
 ネットには「生涯未婚率男性23%、女性14%に急上昇」の文字が躍る。先ごろ、芥川賞を受賞した話題作『コンビニ人間』(村田紗耶香)も、未婚のままコンビニで働き続ける女性が主人公だったが、「未婚」はいろいろな意味で今やすこぶるホットな社会問題である。「民主文学」においてももっと描かれていいテーマだと思う。ただ、男の側からアプローチする場合と、女の側からアプローチする場合とでは、かなりその捉え方が異なってくるような気がする。もちろん、この作品は男性の側から捉えた結婚であり、婚活である。従って、そこには自ずと<男の側の特徴>が出ているように思う。いや、ぼくは「未婚」にせよ「婚活」にせよその問題について特別詳しいわけでもないし、強い関心を持っているわけでもない。だから、なんとなくこの作品を読んで感じたことだけを言っているにすぎないのだが、その一つの特徴として感じたのは「男はやっぱり<見た目>を重視するのかなぁ」ということだった。これはとりわけ<日本人の男>の特徴なのだろうか。なぜそんなことを言うかというと、ぼくがかつて教えていた高校生の話を思い出したからなのだ。海外、主に英米圏への留学体験を持つ女の子たちがほぼ共通して言っていたのは、「日本の男の子(高校生)って、女の子見るとき、まず、顔だよね。でも、向こうの子ってさぁ、違うんだよね。顔、関係なく付き合ってくるんだよね」ということ。その話を思い出しながらこの作品を読むと、確かに、俊彦君はメチャメチャ容姿に拘っている。ただ、ぼくは「婚活パーティー」なるものを経験したことはないけれど、かなりそれは「不自然で、異常な状況設定」だなぁとも思う。つまり、何の事前情報もなく、いきなり対面させられるわけだから、そりゃ<「見た目」で判断するしかない>のかもしれない。しかも、それで一生の(一生続くかどうかわからないけれど、とりあえず)相手を決めちゃうというんだから、考えてみれば何とも<恐ろしい>ことだと思う。昔、『結婚という冒険』(ジェームス三木)という芝居があったけれど、まさに「大いなる冒険」ということになるのかもしれない。それからもうひとつ。日本人の男は<見た目で>判断する傾向があるとは言っても、<未婚女性14%>の人がみな容姿に恵まれなかった人なんて言えないはず。だから、世の中ちゃんとうまくいっているのかもしれない。それからついでにもう一つ。この作品に出てくる男が<見た目に拘っている>からといって、それを理由にこの作品の文学的価値を低くみるなどとぼくは決して思ってはいないということ、そのことははっきり断っておきたい。ただ、女性の読者はこうした物語をどう読むか、ちょっと気になっただけである。《全体的に男尊女卑の感があり、気分が悪い》(宇垣信子「H介護士さん」同59号)などというお叱りを受けなければ良いのだが。
 さて、ぼくのこうした感想に対してあるいは異議を唱える人があるかもしれない。
──いやいや、俊彦ははじめのうちは確かに<美人>を期待していた。でも、最終的には<厚化粧>の真理子を選んだじゃないか、だから、決して<見た目>で女性を選んでいることにはならないんだよ、と。
 そう、確かにそのとおりなのだ。しかし、俊彦が<真理子のどこに惹かれたのか>はどこにも書かれていない。むろん、<真理子の厚化粧に>惹かれたとも書いてない。ぼくとしてはそこはぜひ知りたいところなのである。無論、同じことは真理子にも、真弓にも、そして和也にも言える。彼らがそれぞれお互いのどこに惹かれたのか、それがわからない。その中身が書かれていれば、和也の胸にじーんと込み上げてきたという《熱いもの》がぼくの胸にもひたひたと沁みてきただろうにと残念に思ったりもするのだ。しかしそこに踏み込もうとすれば、この作品はもうもっと別の作品になっていたのかもしれないし、作者の狙いは初めからそんなところにはなかったのかもしれない。あるいはまた、<男にしろ女にしろ、相手を好きになるのに理屈なんか無いさ。なんとなく、ただ、なんとなくだよ、みんな>と考えておられるのかもしれない。うん、確かにそうかもしれない。それはそれでわからないこともない。
 ただ、ぼくが言っているのも実はそれほど理屈っぽいことではないのだ。例えば、四人が俊彦のクルマでレストランに向かう場面がある。そこにこんな記述がある。
 《ゆったりとした温かい時間が流れ、長年の引きこもり生活で傷ついた心が優しく癒されていくようだった。》
 そう、この《温かい時間》が、四人の男女をそれぞれ結び付けていったものなのかもしれない。そして、作者もそう思ってこの一節を書き入れたのかもしれない。そう解釈することもできる。でも、それならばぜひそこを<言葉による説明>ではなく<描写>でもって、もう少し丁寧に、印象的にそれを描いて欲しかったなあと願うのである。
 
 さて、ここまでつまらない感想を長々書いてきて、その後、ぼくは或るものを見てびっくり仰天してしまったのだ。それは石崎徹のブログに書かれた、この作品に関する宣伝文。短いので引用させていただく。
<「願望」と付いているところがミソ。俊彦、40歳、独身。お見合いパーティーでついに絶世の美女をゲット。その裏には何があるのか? この作家の作品は決して当たり前には終わらない。>(「まがね59号」発行 2017.7.25 )
 ぼくはこのブログを読んで正直焦った。
──やばい‼ 「願望」? 「裏」? 当たり前には終わらない?
 ぼくは慌てて読み返してみた。しかし、いくら読んでもぼくにはその「ミソ」も「裏」も読み取れない。確かに、「願望」の二文字は少しだけ気にはなっていた。でも、わからないままに読み飛ばしてきてしまった。「ミソ」って何だ! 「裏」って何だ! あの善良なる兄弟は騙されていたということなのか。両親の喜びはヌカヨロコビだったということなのか。この相談所は詐欺だったということなのか。最後に啓子お婆ちゃんの発した「人を使って騙したりして──」は一体何なんだ。
 結局、ぼくはこの作品に仕組まれた<仕掛け>も<カラクリ>も読み解けなかった。そのうえ、スーパーの売り場でお爺ちゃん、お婆ちゃんが立ち話でもしているような、そんな内容の無い感想も<勿体なくて>消せなかった。真に恥ずかしい。 

 「桜の花が咲く頃」(桜高志)/中国ではつい最近まで「一人っ子政策」なるものがおこなわれていた。その結果、男性の人口が圧倒的に多く、したがって、数少ない女性を求めてその何百倍もの男性が競い合うということになった。そんなわけで、今の中国では「高収入」「高学歴」ばかりか「家だってクルマだって」持っていなければなかなかお嫁さんは来てくれない。その所為ばかりではないと思うが<中国の若い女性はみんな強い>のだ。それは三年間中国の大学で学生たちを見てきたぼくの率直な感想である。
 一方、そんな中国の男たちから見れば何とも羨ましい<16人の職員の中で、男は俺一人だ>と豪語する男の物語、それが「桜の花が咲く頃」である。
 主人公は自らを<チビ・ハゲ・デブの三拍子揃った男>と卑下して語る。このような人物を一人称で自嘲的に語る作風は、芥川賞作家西村賢太の私小説に似ている。
 <俺>は16人の女の中から3人の女を選び、それぞれ3人のプロフィールを語りながら<俺>との関わりに触れていく。そこで、なぜ<3人>なのかということがまず気になるところだが、作者は<俺が女として認めたのは3人だけだ>としか書いていない。さてそうなると、<俺にとって女って何?>という、これまた厄介な問題になるわけだがそれについては最後に触れることにする。
 一人目の女は<峰岸京子46歳><俺が「般若のお京」と呼んでいる>女である。この女は16人いる女の中から、ともかく<女として>選ばれたわけだから、何かしら<俺>から見た<女の魅力>を持っているはずなのだ。しかし、<ショートカットで童顔>と書かれたほかはこれといって<魅力>らしきものは書かれていない。強いて言えば<介護の技術はぴか一>とあるのみ。しかしそのすぐあとに<仲間への配慮がねえ><怒った顔の恐ろしさはまさに般若だ>とつづく。ほかにも<口やましい>(「口やかましい」の誤りではないか)<甲高い声>などとあるがいずれもこの女の<魅力>とは言い難い。
 二人目は<花咲純22歳>、<俺>が<お水の純>と呼ぶ女である。この女については<スタイル抜群><目鼻のはっきりした美人>とあり、さらに<物覚えが良い><介護は要領よく><不器用な俺は純に助けを求める>とかなりべた褒め。ところが残念なことにこの女には<彼氏>がいるとわかり、途端に<俺の恋心は萎えてしま>う。
 3人目は<山田裕子31歳><八方美人の裕子>と<俺>が呼んでいる女である。三人の女の中でこの女に関する記述がもっとも多い。まず<よく気のつくできた女>で、もちろん<独身>、さらに<肌の白さが匂いたち><女盛りを感じさせ>る、<お京と比べると月とスッポン>とまで言い切る。仕事の面でも<介護に専念する>健気な女。これだけの<魅力>を持った女なのだから<俺>が夢中になるのも当然。<俺>のなかで<裕子への恋心>は日々ふくらんでいく。ところが、本命とも思えた女裕子は<三月で退職する>ことになる。看護学校に進むことになったのだ。心優しい<俺>は<春のおめでとうケーキ>を買って別れの準備をする。ところがなんとその日<裕子>は欠勤。しかも、あろうことか<裕子>のために準備したケーキをあの<京子>が、「今日が誕生日を覚えてくれていたんだ。愛を感じるわ」とチャッカリ<受け取ってしまった>というのである。ここまでくるともう、かつての「松竹新喜劇」を観ているような気分になってくる。さしずめ、<お京>役はあの「京唄子」だろうか。そして更なるどんでん返しは、縁とは不思議なもの、花見の帰りに<俺>はその京子から<告白>を受け、<ダメ男の俺は京子とつきあうことに>なったのだぁ、で幕となる。
 前号の「僕が生協を辞めた理由」に対してぼくは<読み終えた後、ぼくは思わず「山田さん、お疲れさま!」「山田さん、頑張って!」と声を掛けたくなりました>と「まがね」のブログに書き送ったのだが、今回は<良かったね、亀田さん。おめでとう!>と声を掛けたくなった
 さて、せっかくのハッピーエンドに水を差すわけではないが、ここで<俺(亀田さん)>は<お京>の「どこに惹かれ(惚れ)たの?」という問題に少々こだわってみたい。それは同時に、<俺にとっての女って何さ>という、はじめの問題にもつながる。つまり、<俺が女として認めた3人>というところの、その<女として>の中身にかかわってくることでもあるのだ。
 留学経験のある女の子から見た「日本の男子高校生」についてはすでに紹介したが、つぎに、フェミニストと称する日本の女性たちが捉えた「ニッポン男子」とは。
──男が女に求めるものは「セックス」と「母性」のみ。
 ぼくはこのことばを初めてみたとき、随分過激なことを言うものだなぁと正直思った。でも、こう言われても仕方がないところがぼくたちにはあるかもな、とその後思うようにもなった。そして「桜の花が咲く頃」というこの作品は見事にそのことを表しているように思えた。たとえば、<俺>が<お水の純>に嫉妬したときも、また<八方美人の裕子>の夢を見たときも、いずれも<俺>の頭の中は「セックス」でいっぱいだった。唯一、例外的に<お京>に対してはそういう場面がなかったけれど。
 ならば、<お京>の中に<俺>は一体絶対<女の何を>見たというのだろうか。
 それはまぎれもなく<母性>だろう。<子>にとって<母>という存在は、つねに「甘えさせてくれる存在」であり「許してくれる存在」であり「護ってくれる存在」であり「癒してくれる存在」なのだ。
──<ダメ男>の<俺>には<お京>が必要なのだ。そして、そのことをよく見抜いている<お京>は、だからこう言うのだ。<亀田さんには私みたいな女が要るんよ>と。
 ついでに言えば、「結婚願望相談所」において兄和也が感じた<温かい時間>の背景にもこの<母性>が透けて見えるのである。
 但し、このように書いたからといって、ぼくは決して<亀田敏男>を批判しているわけでもなければ、まして軽蔑しているわけでもない。「保育園落ちたのは私です」というプラカードに倣って言えば、「亀田敏男は私です」とも言えるからだ。ただし、ぼくと<亀田>の間にははっきりとした違いが一つある。それは、哀しいかなぼくは<亀田>ほど若くはないということ。しかし、老いることもあながち悪いことではないのだ。社会学者で日本の代表的フェミニスト上野千鶴子が小熊英二との対談のなかで<性欲が減ると人生がずいぶんと平和になった>と語っているではないか。
 冗談はさておき、ぼくたち読者にとっては<立派な男の物語>より<ダメ男の物語>のほうがつねに魅力的なのだ。<寅さん>が広く愛されてきたのもそのことと無関係でない。
 しかしその一方で、野中秋子がかつて《ロダンをして、あの時代で女性を一人の人間として見る力をどれ程持ち得ていたであろうか》(「カミーユ・クローデルとロダン」55号)と書いた地平と<亀田>との間にかなりの段差があることは否定しようがない。
「まがね」はそれだけの奥深さを含み持っているということでもあるのだろうか。

「消えた子」(妹尾倫良)/毎年8月になると新聞、テレビは「戦争」に関わる<特集番組>を組む。また、公共機関でも<平和>を願ってさまざまな企画をやる。今年もぼくは「731部隊」「沖縄の少年兵」「満蒙開拓団」「泰緬鉄道」などなど、それらに関わる映画やテレビ番組を見た。ぼくは昭和20年の台湾生まれで、いわゆる「湾生」だから、戦争の直接の体験はない。だから、もっぱら映画を観たり、本を読んだりして戦争を学ぼうとしているわけなのだが、そのなかでぼくが驚くのは、「今、初めて明かされる事実」がまだまだあるということなのだ。つまり、戦後70年も経っていながらこれまで「隠されてきたこと」「秘せられてきたこと」「明らかにされないままに過ぎてきたこと」が今になってもまだたくさんあるということ、そのことにぼくは改めて驚かされている。怖いことだと思う。
 妹尾によるこの作品はそれら<埋もれた事実>に光を当てようとする意欲作とみた。
 まず最初のシーンは「私」が「乾のり子の個展」を見に「福渡の町」を訪ずれるところからはじまる。乾の個展を「私」に紹介したのは絵の先生で、乾も同じ先生に絵を教わっている。次のシーンはそれから「数年後」のこと、「私」は先生から「話がある」と呼び出される。先生の話によると「六十余年前に福渡で野積みの火薬が大爆発し、亡くなったのは私の弟です」と、あの乾さんが語ったというのである。先生は「あんた、話を聞きに行きんさい。取材じゃ」と私を急き立てる。それに応じて私は再び福渡に出かける。乾は自宅に私を招き入れ、それから亡くなった弟の話をはじめる。そこから先はしばらくのり子による回想がつづく。弟が前掛けの切れ端だけ残して消えたこと。三女の末っ子で家の跡取りだったこと。婿養子に入ってくれた夫が交通事故で死んだこと。子どもが二人残されたこと。そして、弟の死んだ十月十六日のこと。
 それから先、「夫が亡くなって十年近くなった時、変化が」あったという。その「変化」とは「真夜中、不思議な声音を聞く」ようになるというのであるが、それは「弟からのあの世からの伝言」と思えたと乾はいう。それから乾は私を外へ連れ出し、兵隊さんを風呂に入れた思い出を話す。そこまでで一応<のり子>による回想は終わる。そこから今度は節を改め、先生から届いたというコピーが紹介される。そこには<十月十六日の詳細な記録>が書かれている。そのあと再び節を改め今度は先生のことに話は移る。先生の父は三十七歳で招集されたこと。その時先生は八歳だったということ。そこからまたすぐに節が変わり、今度は<建部町史のKさん>が登場する。そして後半部分はこのKさんの語る回想が最後までつづく。それによってさまざまな人たちの運命を狂わせていった戦争の実態が明らかにされてゆく。しかし、残念なことにこの後半の記述は分かりにくいところが多く、ぼくは読みながら何度も行きつ戻りつせざるを得なかった。そのわかりにくさはKさんの登場から始まったように思われる。幾つか、例を挙げてみよう。
 <私を預けるようにして先生は去る。去った。太く高く伸びた樹、これから眠りに入る公孫樹を残して、先生もK氏も歩き始める。もう少し散りゆく秋を味わいたい私も、その後を追った。>(p.54 上段16~19)
 <去った>先生の後をなぜ<私>が<追う>のか。<先生>は私をK氏に<預け>て去ったんだから、<先生>とK氏は別行動を取るはずではないか。つまり、<先生>の去った後、残されるのは「私」と「Kさん」でなければおかしい。それがなぜ<先生もK氏も歩き始める>となるのだろう。
 それから下段に移って17行目。<氏の舌が滑らかになってくる。少年になってくる。>の後は、K氏の<語り>になっていくと読むべきなのだろう。つまり、「 」の中にくくられる内容になるはずだ。ところがそのK氏の語りがどこまで続くのかがよくわからない。55ページの下段に<Kも何度か通った>という記述が出てくる。K氏が語りの中で自分のことを<Kも>と言うのは不自然である。とするならば、K氏の語りはどこで終わったのか。その二行前の<・・・麻雀いろいろあるが>まででK氏の語りは終わったと読むべきなのか。ところが、しばらくいくと再び<・・・じゃった><いますがな>というように、明らかに「話し言葉」と思われる表現が出てくる。つまり、いつの間にかKの語りになっているわけだ。ところが56ページの下段にまた<Kも運転はできて・・・>と出てくるのでこれはもう語りではないだろう。というようなわけで、ここまでくるともうぼくの弱い頭は回転不能。要するに、どこまでがKの話している部分なのか、作者の語り部分はどこからどこなのか、ぼくにはそれがさっぱり分からなくなる。Kの語っているところであるならば、そこは「私は・・」とならなければおかしい。しかし、<Kにとってはうらやましい存在じゃった>(p.57上段)とは何か。「私にとっては」となるはずではないのか。ここにもまた作者による何かしらの「仕掛け」があるのだろうか。そうだとすれば、ぼくはまた「読み取り能力の不足」を暴露するということになるわけだ。しかし、何といわれようとわからないものは分からないのだ。正直お手上げである。かくして、興味深い題材を扱いながら、この作品はぼくにとって消化不良のまま終わってしまった。しかし、長年詩を書いてこられた方にふさわしく、<ことば>の選び方は秀逸だ。それはぼくにもわかる。「消えた子」というタイトルにしても、そこから無限にイメージが広がっていく素晴らしい表現となっている。

「アンジー」(笹本敦史)/昔、ぼくが勤めていた高校には、「音楽」「美術」「書」とならんで芸術選択科目の中に「演劇」という科目が設けられていた。そして、ぼくはその「演劇」を定年で辞めるまで担当してきた。当然、ぼくの授業を取る生徒のなかには「演劇好き」の生徒もいた。だから、彼らは卒業して大学に行っても、専門学校に行っても、自分で芝居を書いたり自ら演じたりする者が少なからずいた。そんな中の一人S君が、大学で演劇サークルを立ち上げ自ら書いた台本を公演すると知らせてきた。もちろん、ぼくはそれを観に行った。内容は若い男女のほほえましい恋物語だった。そのワンシーン。
─ 女「ねえ、私のこと、好き?」
─ 男「もちろんだよ、大好きだよ」
─ 女「私の、どこが好きなの?」
─ 男「優しいところかな」
─ 女「優しい女なんて、いくらでもいるじゃない。別に私でなくても」
 この女の最後の台詞はたぶんS君が書きたかった台詞なのだろう。ひょっとして、S君の実体験から生まれた台詞かもしれない。
 似たような台詞は、かつて観た「下妻物語」という映画のなかにもあったような気がする。そこに出てくるヤンキーの女が言っていた。
──「私でなきゃダメ、って言って! ほかのどんな女でもダメ、って言って!」
 これらの台詞は何も「男と女の世界」に限ったものではない。
 ぼくがいつも思い出すのはあの事件。2008年、東京秋葉原で起きた通り魔事件。別称「秋葉原無差別殺傷事件」とも言われた。つまり、<動機なき殺人>、「殺す人間はだれでもよかった」という犯人の自供がそのことばを生んだ。
 折しも、街には「非正規労働者」が溢れていた。「お前の代わりなんて幾らでもいる」、それが経営者の強味。つまりは、「誰でもよい」のだ。
 ぼくは井上の作品、桜の作品に対して、<この女はこの男のどこに惚れたのか><この男はこの女のどこに惚れたのか>と、そこに野暮ったいまでに拘ってきた。それはとりもなおさず、<この女でなければならない理由は何なのか><この男でなければならない理由は何なのか>、その理由を問うものだった。むろん、「そんなもの、理由なんてねえのさ」というのも一つの答えと受け止めてきた。しかし、そこに<不安>を抱く人間がいたっておかしくはないのだ。
──「私のどこが好きなの?」「私でなければ本当にダメなの?」「私の代わりはいるの? いないの?」
 ここにきてようやく「相手の女にとって自分は果たしてどんな存在なのか」ということに疑いを持つ男が登場した。それが「アンジー」の<僕>である。
 <僕と麻衣は毎週末を一緒に過ごすようになり、あたりまえのようにセックスをした。他の女性を知らない僕は、彼女はセックスがしたいだけで相手は僕でなくてもいいのではないかと思うことがある。それはセックスの時の麻衣がただ快楽を求めているだけのように見えるからだ><麻衣にとって僕は何人かつきあってきた男の一人にすぎないのではないだろうか>
 恋はひとを幸せにするばかりではない。恋は、時にひとを不安へと導き、嫉妬の闇に陥れ、果ては自己嫌悪の奈落へ突き落すことだってある。笹本は恋に対して決して楽天的ではない。前作においても、笹本は恋と格闘する少年を描いた。
 ここでエーリヒ・フロムを持ち出すなんて野暮の骨頂かもしれないが、でも、フロムはやっぱり<いいこと言ってるじゃん>と改めて思わせてくれる。
──誰もが愛に飢えている。ところが、愛について学ばなければならないことがあるのだと考えている人はほとんどいない。その理由の第一は、たいていの人は愛の問題を、「愛する能力」の問題ではなく、「愛される」という問題として捉えているからだ。つまり人々にとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるかということなのだ。(「愛するということ」鈴木昌訳) 
 
「はーるよ来い」(前律夫)/「小説が出来ない」(野中秋子)には、<オノミチ気に入った>というサーファーが出てくる。実は、ぼくも<尾道>が好きなのだ。ただ、このサーファーとぼくとの違いは、<ぼくはまだ尾道を見たことがない>というところである。しかしこう書くと、「見たこともないのにどうして好きなんだ」といぶかしく思われるに違いない。確かにおかしい。でも、ぼくの頭の中にはすでにしっかり尾道の風景が焼き付いているのだ。それは高校時代に好きだった林芙美子の「放浪記」から、そしてもう一つは、これも大好きな小津安二郎の「東京物語」から。
 すでに書いたとおりぼくも七十歳を過ぎた。両親はとっくにいない。妻もいない。残りの人生をひとりどこでどう過ごそうか。この頃、毎日のようにそれを考える。そしてそのときいつも思い浮かべるのが、海の見える、温暖な光の注ぐ、そう、<尾道>のような町並みなのだ。「海の近くで暮らす」、それは子どもの頃からの夢だった。しかし、尾道は東京からあまりに遠い。なぜ、遠いとダメなのか。死体は身内に渡すものだとどこかで読んだ。だとすれば、ぼくの死体は、少年の時に別れた息子にはるばる東京から引き取りに来てもらわなければならない。それはなんとも申し訳ない。だから、東京から遠い尾道はぼくのなかで永遠に<夢の町>で終わるのかもしれない。
 前の戯曲「はーるよ来い」の舞台となる「望湖荘」は、まさにぼくが憧れてやまないその<瀬戸内海に面した>町に建つグループホームだ。前の作品を読むのは今回が初めてではない。前回は「ケチなたーやんの貸し金庫」を読ませてもらった。二つの作品に共通して言える前の作品の特徴は、<限りなくどこまでも人間臭く><限りなくどこまでも暖かい>という、この二語に尽きる。
 今回の作品はまだ続きがあるようなのでゆっくり先を楽しみにしたいと思う。また、今後グループホームへの入所も選択肢のひとつに入れているぼくにとって、この作品は<必読の書>となるに違いない。

 <あとがき>
 先ごろ直木賞を受賞した佐藤正午が「作家の力量は」と問われ、「嘘をほんとうに見せること」「おもしろがってもらえればそれで十分。ほかに褒め言葉はいらない」と答えた。(「月曜インタビュー」しんぶん赤旗 2017.8.28)
 <おもしろさ>にはいろいろなおもしろさがあるものの、小説はやはり<おもしろく>なければならないだろう。「民主文学」も「まがね」から学ばなければならない。
「まがね」59号、思いっきり<空振り><的外れ>を繰り返しながらもすっかり楽しませていただいた。加えて、勝手なことをいろいろ書かせていただいた。失礼なところも多々あると思うが、世の中まあいろんな人間がいると思ってどうかお許しを願いたい。
 矢嶋直武 2017.9.5

(太文字は管理人が加工しました)

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石崎 徹「柿の木のある窓辺で」(まがね58号)  植田与志雄

石崎 徹「柿の木のある窓辺で」(まがね58号)  植田与志雄

 詩など、普段は読むこともないのでこういうのを読んでもさっぱりわけが分からないんですが、「たぶん」と「もちろん」に興味を引かれました。
 ここに惹かれたのは技術者根性かもしれません。不確実と確実、両端が並んでいるところに興味が……。
 近くのものに、つまり生活に興味のない男、何を探しているのか、あるいは何かを探しているのかどうかもあやふやな男、だからすべてが「たぶん」なのだろう。
 女は近くのもの本位、つまり生活本位、愛するに足る生活があるのだろうけれど、生活なんだからあやふやさはなくて、生活に根を持つ愛なのだから「もちろん」というほど確かなものなのだろう。
 窓辺のテーブルでの食事、たわわな実をつけた柿の木、すべての好ましいものが手の届く近いところにある、山も空も近くにある。
 好ましいものが近くにあることを実感しているのは女なんだろう、男は女の視線を通してこれらを見て、好ましいものが近くにあることを女に寄り添うことで察しているのだろう。
 だから自分の感覚ではなく、女の実感に同意して、そうだねと言う。だから最後に先ず女が生活を愛していることが確認されて、次にそれに男が同意しつつも、やはり自分は何かを探し続けている、何を探しているのかもあやふやなまま……たぶん。
 男と女は異なる軌道を辿っているけれど、この詩のように一瞬だけ交わることがある。交わるけれど、それは一瞬でたがいに同化することはない。そこがいいんですよね!!
 最後にこのことを確認するために初めの順序を逆転させて二行が繰り返される。
 交わるけれど同化しない、のは自治会活動での人間観察からも感じるのです。
 ドミソは互いに自分の音は確かに持っていることで和音を形成する。各個が同化せずに自己を保つことでハーモニーが生まれる。
 同化を求めず交差を求める、交差の瞬間に何かが光る。
 民主主義は間違えると同化を求めるけれど、要注意。

 詩はどう解釈しても自由とのことなので、こんなこと考えたという報告です。

「まがね58号」感想      高原利生

「まがね58号」感想      高原利生


北杏子「尺取虫よ」
 
 最後の1行「可愛いものよ」が余計である。それ以外は、人と対象の一体的関係の表現として完ぺきである。

石崎 徹「柿の木のある窓辺で」
 
 最初と最後の(リフレインの)部分がわざとらしくて過剰だ。
 初読では、男が傲慢なのではないかという気がしたが、これはただ、男の「ずっと何かを探していた」ことを、女の「生活を愛していた」ことより上位においてしまう評者の固定観念だったのだろう。
 これは詩の中の「男」が作者本人であるかどうかには関係ない。「徹」という作者名で作者が男であると思っていいだろうが、これはさらに関係ない。
 二節目の「二人は食事した」に続く文が現在形だが過去の話と思ってよく、全体として今までの回想と思っていいのだろう。柿の木とその背景の見事な描写があり、女が、それらの見える今の場所を「いいところね」と言い、男が同意する。
 この同一性と「ずっと何かを探していた」男と「生活を愛していた」女の差異との関係がさっぱり分からない。
 その不思議な関係を、疑問、余韻として残すのが作者の意図なのであろうか?

野中秋子「母を 生きる」
 
 感動的である。16節からなる詩が、10節までの母の事実、10節目の最後から続く4節の母と自分の関わり、最後の2節は、野中さんご自身のこれからへの決意、祈り、叫びだと思う。
 全体が見事な構成になっている。
 初めに読んだとき、16節全体はご自身向けの詩として、発表作品としては最後の2節を削除したもの、という二編の詩があるとして読むと良いのだと思った。
 今は全体でいいのだと思う。
 特に、終わりの6つの節は、良い古典的交響曲を聴いているように、気持ちが作者とともに高まっていき、そして、作者とともに決意、祈りで終わる。
 感情の高ぶる詩を読んだのは何十年ぶりのような気がする。昔読んでいた感情の高ぶる詩は、単純な青春詩集、革命詩集だったような気がする。これはそうではない。
 いま望まれているのは、「広い」だけでなく「新しい」感情、価値であろう。
 野中秋子さんの詩は、老いてボケた母とともに生きる一体感という「新しい」感情表現として貴重である。
 ただ何かとの一体化の感情が生まれているから新しいのではない。全体の野中さんの、ボケた母との一体感とそれを自分の生き方にして行く具体的過程が新しい。
 一見「愚かに」見える母の行為に悩み迷いそれでも全体を受け入れて生きていくべきではないかと読者にも思わせる複雑な過程の全体が新しい。
 野中さんの詩の内容とは全く関係ないのだが、今の大きな課題の一つは、「憎しみ」の処理である。「憎しみ」の処理がもし可能であるとしたら、それはこの野中さんのような悩みと思考の複雑高度な過程を経なければならないのではなかろうか?
 最後の2節が前の節の内容を活かしたものであればもっと良かった、というのはないものねだりである。感動的な詩だった。野中秋子さん、ありがとうございました。


女性三人の作品について

 今回は詩だけ出された野中秋子さんの「母を 生きる」が感動的だったのと同様、長瀬佳代子さんの「寒い日」と随想のジャンルに入れられた「母物語」もどちらも感動的だった。事実は小説より奇なり。「母物語」は特に心に残る。長瀬佳代子さん、ありがとうございました。
 野中秋子さんと長瀬佳代子さんはともに、前のまがねの感想の時にも触れた。お二人の優れた文は偶然ではなかったのだ。
 野中秋子さん、長瀬佳代子さん、妹尾倫良さんが、いずれも生活を感動的に描いている、三人がいずれも女性であることは興味深い。
 昔は、女性が生きること、生活することは労働だった。労働とは対象を変えながら生きることである。女性は、昔、(今以上に)周りに、ある時には抗いながら、対象を変えながら生きなければならなかった。労働が賃労働に限らないのは今も昔も同じである。(将来、賃労働でない労働が、賃労働と同じに扱われるようになることを考えている。中期的には賃労働もなくなる。)
 随想のジャンルの妹尾倫良さん「約束の詩」も同様に感動的だった。これまた、事実は小説より奇なり。随想のジャンルに、いずれも一ページちょっとと短い、長瀬佳代子さんの「母物語」と妹尾倫良さん「約束の詩」が並んでいる。詩の野中秋子さんの「母を 生きる」も特に長くはない。「小説」ではないこのように短い三人の三つの文が、人に、涙が出るほどの感動を与えることにただただ驚いている。
 偶然かもしれないがこの三つは、ともに、ある人との関わりの数十年の歴史の物語である。それを一ページにまとめて感動させる。忙しいかたでも野中秋子さんの詩「母を 生きる」と、この二編だけで、「まがね58号」は読む価値がある。どうかお読みください。
(高原の書いているものが感動を与えないのは残念であるが仕方がない)
 長瀬佳代子さんの「寒い日」と妹尾倫良さんの「カラスになった日」の内容に触れる時間がない。

妹尾倫良作品について

 妹尾倫良さんが今回は目次の「創作」「随想」「詩」の最後にそれぞれ1編ずつ計3編出された。彼女の何に感動するかとしばらく考えてきて、分かったような気がすることがあるので、それを書く。
 妹尾さんの「随想」の文体は他の人と変わりない。整った良い文である。しかし、妹尾さんの詩と小説は、文体がガラッと変わる。文と文の関係が、読む緊張を必要とさせるようになる。時間、空間が連続的、直線的でなくなる。それでいて、彼女は、野中秋子さん、長瀬佳代子さんにはない、尋常な世界からより大きな広さを持った尋常でない世界を構成することができ、ある種の右遠俊郎に似てくるところがある。(といって僕は、右遠俊郎は一冊しか読んでいない。題も忘れた。)
 まがね58号の全部に目を通せていない。野中秋子さん、長瀬佳代子さん、妹尾倫良さんの三人の女性に驚嘆したものに限られたことをお許しいただきたい。

 「まがね58号」感想  矢嶋直武(「文芸多摩」同人)


「まがね58号」拝受いたしました。ありがとうございました。
 まず手にして、その体裁の良さに感心しました。組み方もカットも題字もすべて良し。さすが58号、センスの良さとともにその年輪を感じます。

 「ケチなたーやんの貸し金庫」 前 律夫
 方言の醸し出す穏やかな空気と、<春先の>ぽかぽかした陽だまりを髣髴とさせるような雰囲気が相まって、まるで「現代版・日本昔ばなし」を聴いているような感じで読みました。今は放映していない常田富士夫と市原悦子の名コンビによるあの「日本昔ばなし」です。したがって、最後の「オチ」も、「開けてみたら中は空だったとさ、チョン」とか「中は空だったそうな、オシマイ」と、ぼくは勝手にそう書き換えて読んでしまったくらいです。そんなわけで、「昔ばなし」(作者は「たわいもない立ち話」と書いておられますが)として読めば、最後のオチも「ははは……」と笑って済ませることもできます。そこでもって「金はどこへ消えちまったわけ?」などと真顔で聞いたら、「この無粋者」「野暮」「石頭」と叱られてしまうのかもしれません。あるいは「その先は読者であるアンタが勝手に想像をすればいいのさ。ははは……」と笑われてしまうのかもしれません。でも、ぼくはやっぱりその先が<気になり>ました(笑)。仮に「コーポの女」が持ち去ったとすれば、昨今ワイドショーを賑わす「後妻業」とかさなり、なんだか<おどろおどろしく>なり、<たわいもない立ち話>がにわかに<生々しい話>になってしまいます。それはおそらく作者にとって<本意>ではないのでしょう。しかし、<だったら、あの金はいったい何処へ……>とやっぱりぼくの悩みは消えません(笑)。

 「寒い日」 長瀬佳代子
 ぼくも70を過ぎて主人公の気持ちが実感としてよくわかります。おそらく主人公は作者の分身と考えてよいのだろうと思って読みました。したがって、主人公の想いにはリアリティがあるのだとも思いました。この種の作品は<私小説的リアリズム>、あるいは<日常生活的リアリズム>と呼ぶことができるでしょう。しかし、ときどきこうした作品は<身辺雑記的>と批判的に言われることもあります。が、身辺雑記そのものが悪いわけではないでしょう。身辺雑記を基調としながらもそこにほんの一つでも主人公の<発見>があれば、それは作品として立派に成立すると思います。そして、この作品で言えば、末尾の<引用部分>がそれ(発見)に当たるのだと思います。ただ、おそらく寂聴さんのものと思われる文章の引用ははたして必要だったのか。悩ましいところだと思います。なぜならば、引用文の中に述べられた一つの認識、それを<具体的な人間の生活をとおして形象化しようと試みたもの>がまさに作品『寒い日』そのものだと思うからです。別の言い方をするならば、『寒い日』を読み終えた読者が読後、しみじみ引用部分に示されたような認識に導かれるならば、『寒い日』は作品として成功したといえるのではないでしょうか。
 もうひとつ、これは本質的なことではありませんし、長いキャリアをお持ちの作者はたぶんご存じのことと思いますが、小説の場合(評論は違いますが)、原文のまま他人の文章を引用する際には<著作権>の問題が発生してしまい煩雑な手続きが必要となります。その点からも原文の引用はやはり一考を要することのように思います。

 「はつ恋」 笹本敦史
 作品としての完成度は高いと思いました。ただ、「はつ恋」という魅力的なタイトルに惹かれ、いつ恋が始まるのかと期待しながら読み進めてきたミーハーのぼくにとっては、試合の場面ばかりが延々と続きなかなか恋が始まらないことに少々いらいらしました。そのうちに、意地の悪いぼくは<作者の目的は「動く対象を描写するデッサン力」を身に着けるところにあるんじゃないか。そのために試合場面を延々と描いているんじゃなかろうか>なんて疑いだしたくらいです。たとえば、剣豪小説の作家が立ち回りの場面をいかに生き生きと迫力をもって描くかに文章修行を積むように。いや、いや、これはほんの冗談ですが、でも、そんな邪推をしたくなるほどに試合の場面はやや長すぎた感があります。
 さて、タイトルにある「恋」ですが、<はつ恋>と言えば水玉模様の包装紙に包まれた「カルピス」を思い出します。「カルピス」は高らかにうたいます。<甘酸っぱいはつ恋の味、それは「カルピス」>と。しかし、作品「はつ恋」に<甘美なイメージ>はありません。主人公<僕>の「はつ恋」は痛ましいまでに無残な敗北に終わります。いや、闘ってもいないのですから敗北とも言えません。そんな<僕>を捉える作者の筆はすこぶる冷静にしてストイック。<僕>を作者の分身とすれば、<自虐的>な印象すら受けました。ただ、そこにリアリティを感じなかったということではありません。抑制的ではありますが十分に主人公の内面は伝わってきます。具体的には「何か言うかと思った堀内が黙ったまま同情するような目で僕を見ていた。僕はそれを無視して、試合の再開を待った」(p.34)「ペンとシェークではラケットの使い方が違うので、打ち方を教えることはできないだろうと思いついたのは少し時間が経ってからのことだ」(p.35)なんと<いじらしい>「僕」ではありませんか。ただ、作者のこうした抑制的な筆使いからすると、最後の「堀内が覗き込んで言った時、僕は胸を押さえてうずくまっていた」にはやや不満が残りました。自身の<心の動揺>を必死に取り繕い、それを堀内に見抜かれまいと<けなげな>努力を続けていた「僕」も、ここへきてはいよいよ力尽きてしまった、それはよくわかります。しかしその表現として「胸を押さえてうずくまってしまった」はあまりに直球過ぎはしまいか。ほかになにか別の終わり方はなかったか。「じゃあ、お前ならどう書くんだ」と言われても答えはないんですが、面白く読ませていただいただけに少しばかりそこに不満が残りました。そう、不満を述べたついでにもうひとつ言わせてください。それは「汗」です。これまでみてきたように、主人公「僕」は<うぶで、ナイーブで傷つきやすい少年>です。つまり、少年の<恋情>はすこぶる<プラトニック(精神的)>なものです。それに対して、作品にしばしば書かれる<汗>は<肉体的なもの>を連想させ、両者の間に<違和感>を覚えます。もしこの作品が作者自身の体験を多少なりともベースにしているとしたら、「汗」のイメージは成人した後の作者が<頭(観念)>で付加したものではないでしょうか。

 「間男」 井上 淳
 <ちょっぴり色っぽいショートショート>として楽しく読ませていただきました。次回はこの<続編>をぜひ読みたいと思います。「間男」ということばからして作者はそれほどお若い方ではないと想像しますが、たぶん、小説になる材料をたくさん持っておられるのでしょう。また、楽しませてください。

 「僕が生協を辞めた理由」 桜 高志
 この小説を読むまでぼくは「生協」というものに民主的なイメージを持っていました。つまり、利益至上主義の一般企業とは区別してみていました。その根拠は特にないのですが、大学に入った時、食堂も「生協」でしたし書店も「生協」でした。また集会に行くと「生協」の旗も見かけました。それらがなんとなく「民主的」というイメージをつくりだしていたようです。そう、病院で言えば「民医連」系の病院という感じです。良心的で信頼が置ける。そこで働く人たちの権利も当然守られている、そう思っていました。ですから、この小説を読んでぼくはびっくりしました。読み終えた後、ぼくは思わず「山田さん、お疲れさま!」「山田さん、頑張って!」と声を掛けたくなりました。そして、日本の労働者は大変な苦労をしているのだなあと改めて思いました。むろん、作品としての完成度という点ではいろいろ弱点はあるでしょう。あるいは、小説の組み立て方としてもいろいろ意見はあることでしょう。しかし、読みながら<こりゃあ、ひどい><あんまりじゃないか>と読者をして思わせるということは間違いなく作品の力でしょう。

 「カラスになった日」 妹尾倫良
 ぼくにとって「まがね」は初めて読む雑誌です。そこに集う書き手についてもぼくはまったく知識がありません。ですから、この作品の書き手に関しても失礼ながらなんの予備知識もありません。しかし、この作品を読むことでぼくは不思議な世界に引きずり込まれました。この世であってこの世でないような。現実であって現実でないような。生者が死者と対話し、死者が生者と対話をしているような。音のないモノクロの世界がどこまでもつづく。作者はすでに三冊の詩集を世に送り出しておられるということですから、この力は長年「ことば」と格闘する中から獲得されたものであることは間違いないでしょう。「まがね」はまさに<多士済済>、すぐれた才能をお持ちの方たちが実にたくさんおられることを思い知らされました。

 取り急ぎ、「創作」として掲載されている作品についてのみ僭越ながらぼくのつたない感想を申し述べました。失礼がありましたらお許しください。
「まがね」のますますのご発展を祈念いたします。
 暑さ厳しき折、どうぞご自愛ください。

笹本敦史「水を売る」を読む  鬼藤千春

笹本敦史「水を売る」を読む  鬼藤千春

 笹本敦史の「水を売る」は、「まがね」55号に収載されている30枚の短編小説である。小説はもちろんいろんな創作方法があっていいし、そうでなければ画一的な小説ばかりになって、小説世界は狭小になってゆくだろう。
 だが、「まがね」55号の10編の創作を読んで感ずるのは、多くの作者が「小説世界を構築する」という意識が希薄であるということだ。小説とは何か、小説の心とは何か、という根源的な問いがなされないままに、筆を執っている作品が多いように思う。
 が、「水を売る」は秀逸な短編小説になっている。小説とは何か、小説の心とは何かを自らに問いかけ、ひとつの小説世界を築き上げている。もし、その問いかけがなく、書かれているとしたら、彼はきわめて優れた才能を有しているということができるだろう。
 しかし、彼はおそらく無意識のうちに「水を売る」を書いてはいないに違いない。いかにして小説として成立させるかが練られたうえで、書かれたように思う。テーマもプロットも彼の中にあって、あるいは書いてゆくうちに認識が深まって、この小説は生まれたのだろう。
 ここでは、ストーリーをなぞることをするつもりはない。ぜひこの作品を手にとって、読んでもらいたいと思っている。主人公は小さな酒屋を営む門倉歳三だが、この男にある営業社員が、いわゆる健康飲料水を取り扱ってくれるように奨めにくる。ここから物語は展開することになる。
 ここで、作品の最後を紹介しておきたいと思う。この手法は笹本流ともいえるもので、「瓦解」という作品でも描かれているが、この作品でも瓦解が象徴的に描かれている。門倉歳三の「瓦解」である。
「えっ? それじゃあ、どうするんだよ。この積み上げた水の山」
 景子が霊峰水の箱を激しく叩いた。何かが弾ける音が響いた。積み上げた霊峰水が崩れた。(中略)つぶれたペットボトルから漏れたらしい水が床を覆っている。霊峰水のうちの一箱が壁を突き破っていた。
「こりゃ壁が薄すぎだ」
「手抜き工事だな」
 アルバイトが囁き合っていた。
 これが、最後の場面だ。歳三は、腰が抜けて立てなくなり、景子は呆然と立ち尽くしている。これが、歳三の末路である。つまり瓦解だ。歳三は営業社員の詐欺に遭ったといえなくもないが、そういう見方だけでは捉え方が狭すぎるといえるだろう。
 作者は歳三を通して、人間というもの、人間の弱さというものに焦点をあてて、小説世界を創りあげている。小説に模範はないし、みんな違ってみんないいと思うけれど、この作品から小説作法の多くを学ぶことができると思っている。
 ただ、この作品にも問題点があって、手放しで評価するわけにはいかない。それは作品の冒頭で、読者にその結末が想像できることである。推理小説でその結末が分かってしまったら面白くないのと同じである。
 が、人間の微妙な心の弱点、あるいは心のスキを捉えて小説世界を構築した、きわめて優れた作品だということができるだろう。秀逸で佳作である。

秀作・有坂初江「麦秋」を読む  鬼藤千春

秀作・有坂初江「麦秋」を読む  鬼藤千春
2007年1月「まがね」第45号

 キッチンでガラスコップの曇りを磨いていると、次子の背後で電話が鳴った。夫の久が受話器をとり、「やめたんか」という声が聞こえてきた。長男の克人からの電話だった。
 「克人がまた仕事を辞めたそうや。次の仕事は、決めとるそうや」と久が言った。「14年間に、4へん目の失業や」、「どうなっとんかなあ」
 克人は高等専門学校電子工学科を卒業し、東京のソフトウェア会社に就職した。現在33歳で独身である。
 次子は15年前の今頃、克人が就職試験を受けたことを思い出していた。田んぼが麦秋の季節を迎えている頃だった。
 「面接の時、父親が勤める会社の名前を訊かれたんや。父ちゃんが共産党員やということが分かったら、内定しても取り消しになるかも分からん」
 「今頃でも、そんなことあるんかな」
 「あるんだよ。父ちゃんも母ちゃんも甘すぎるんだよ。内定が取り消されるようなことにでもなったら、恨んでやる」
 「父ちゃんが何をしたというの。組合の大会でいつも発言することが、そんなに嫌われねばならないことなの」
 「そんな理屈、聞きとうない。あんたたちには、子どもの幸せを願う気持ちがないんか」
 克人は大学へ行きたいという希望を持っていた。しかし、中学校卒の共産党員の父親と、パートパートを繋ぐようにして働いている母親だった。3人の子どもが皆大学へ進学できるなんて、夢でも無理だと思い至ったようだった。大学進学の夢を絶たれ、希望する就職先の夢まで絶たれてたまるかという苛立ちが、そうした言葉を発しているのではないかと次子は思った。
 しかし、就職の内定取り消しということはなく、無事就職できた。が、克人は最初の就職先を4年で辞めた。〈長時間労働がたまらん〉と克人は言った。今はコンピュータの時代といってもいいが、次子にはその実態がよく分からない。しかし、克人をとおして、あまりにも過酷な職場が多い、ということだけは分かっていた。
 電話があった2日後に克人は丸亀の実家に帰ってきた。克人は2階に荷物を置いて1階に下りてきた。「おやっさんは」と訊いた。久は他家の掃除にバイトに出かけているのだった。次子も一緒にいくところだったけど、克人が帰って来るというので、待っていたのだった。
 「あんさんたちは、そんなことまでしよりますんか」
 「年金は削られるし、健康保険、税金などの支払いも、大変なんよ。年金で足りないのなら、働けってことでしょうね」
 翌朝、克人は山に登ってくると言った。「香川県の山」という本を持っており、彼は出かけていった。次子は部屋の掃除でもしてやろうと思って、2階へ上がった。布団も上げており、思ったより片付いていた。次子は部屋の隅に2つの瓶を見つけた。ひとつはサプリメントの茶色い瓶と、もうひとつは白い錠剤の入った瓶である。
 白い錠剤は胃薬である。33歳という若さで胃が悪いのだ。医者に行くと、不規則な労働が原因だと言われたそうだ。次子は掃除の手を休め、その場に座り込んだ。克人の、きつい労働と生活ぶりが透けてくる気がした。働きながら命を削られている。克人が4回も仕事を辞めたのは、自分でブレーキをかけたということなのかと次子は考えていた。
 翌朝、克人はまた東京へと旅立って行った。麦刈りはもう終わっていた。次子は、麦秋の光景に、克人の自立する日を重ねて、想像した日があったことをまた思い出していた。

 これは、2007年度の「民主文学」支部誌・同人誌推薦作に入選した作品である。共産党員を父親にもつ息子の生き方を掬いとった佳作である。貧しくも慎ましく暮らす共産党員家族の在りようを描くとともに、息子を通して生き難い社会と時代の相を写し取っている。何よりも主人公次子の、息子に注ぐ眼差しが温かくて、しかもその視座は広くて深いところが優れている。

秀作・諸山立「遠ざかる灯」を読む  鬼藤千春

秀作・諸山立「遠ざかる灯」を読む  鬼藤千春
2003年10月「まがね」第40号

 20年ぶりの中学校同窓会が2週間後にせまっていた。直樹が洗顔をすませて部屋に戻るとき、脈がとんだのが判った。朝食のとき、妻に脈のとんだことを言った。「気にしすぎよ」と、頭からとり合ってくれない。
 この夫婦の会話が軽妙で面白い。
 「死ぬかと思うから、心配になるのよ。死んでもいいと思っておれば、別に恐れることないんじゃない」
 「その、死んでもいいと思えんから問題なんだ。そんなに簡単なことじゃあない」直樹は台所で食器を洗っている妻の背を睨みつけた。
 「死んでもいいんじゃあない? もう俺は役目が済んだって、自分でいつも言ってるじゃないの。それに、これから大仕事を始める訳でもないでしょう」
 「それだったら、お前も同じじゃないか。お前、死んでもいいと思っているのか?」
 「私? 私はあなたより若いもん。まだまだ死ねないわ」と言い、
 死ねない理由は? 「それはねえ、あなたのこと。私がいなかったら、あなた独りで生きていけないじゃない」
 今回の同窓会は北陸の海沿いの温泉で開かれる。その不安が脈をとばしているのかも知れないし、何かの悪い兆候かも知れぬ、と思った。
 同窓会は盛会だった。50年ぶりという初参加者が7人もいた。直樹は、病院で24時間心電図までとった。が、どこも悪くないという診断と、軽い精神安定剤をもらった。とくに身体の変調はみられなかった。
 宴会をお開きにして、会場をラウンジに移して2次会が盛り上がっている時、妻から電話があった。「あのね、町内の小西さんが亡くなられたの。夕方に気分が悪いと言ってご飯も食べずに横になったというの。それで――そのままってことらしい」
 直樹はラウンジへ戻ったが、急に気持ちが冷えて仲間たちと一緒には騒げなくなった。〈こんな時に――いやな電話だ。朝すればよいものを〉妻を恨んだ。トッと脈がとんだ気がした。脈拍を計ってみたが異常はない。が、不安がどっと押し寄せてきて、心を締めつける。
 安定剤をとりに部屋に戻ろうと立ち上がった。ラウンジの入口で理子に出会った。中学生のとき、好意を寄せていた女性だ。横をすり抜けようとしたが、腕をしっかり掴まれた。少し酔っているようだ。
 「どこにいたのよ。ちっとも話をしてないじゃないの」
 「やめろ。部屋に用があるんだから」
 「あら酔ったの? 苦しいの? だったら部屋に行こう。私介抱するから」
 理子は結局部屋までついてきた。
 「大事にしてよね。1人じゃ不安でしょ。私少しの間、傍にいるから横になったら」理子は手を引いてソファに座らせた。母親が病気の子どもの世話をやくような感じだ。
 「理子、お前宴会ですごくはしゃいでいたから、幸せいっぱいというところなんだろうな」
 「はしゃいでいるように見えた? 自然にしとこうと思ってたんだけど、だめねえ。知らないうちに突っ張ってたのね、私」
 「主人が死んじゃったの、春。まだ半年にもならないの。誰にも言ってないからみんな知らないわ。だから、直ちゃん。奥さん大事にしてよ。生きているっていうことが、どれだけ大事で、素晴らしいことかって。生きていてほしかった」理子は何か宣言でもするようにきっぱりと言った。
 習慣とはおそろしいもので、翌朝5時半きっかりにいつものように目が覚めた。吉沢と2人、11階の部屋に戻ったのは1時を過ぎていたように思う。身を起こし、枕許の水差しの水をゴクゴクと飲んだ。
 「起きたのか」吉沢が声をかける。暫く2人は蒲団に入ったまま、暗いなかで『死』について言葉を交わした。それは、直樹が小西さんの死亡のことを話してから、自然にそういう流れになった。自分たちはあと何年永らえるのだろうかと、2人とも長いため息をついた。
 「俺はもう、いつ死んでもいいと思ってる」吉沢がニヤリと笑って言った。
 「もうそんな台詞はやめようぜ。もっと、生きる意味をもって生きるんだよ。やることは結構さがせばいっぱいある筈だぞ」
 直樹は自分に言い聞かせるつもりも含めて強く言った。
 直樹は起き上がり電燈をつけ、窓のカーテンを引いた。夜はまだ明けてなかった。岬に続く道なのであろう、ヘッドライトが連なってふたつ、ゆっくりと遠ざかっていく。冷たく硬いその光は、魂が天上に昇ってゆく姿にも思えた。
 〈ふたつ同時とは、行かないものだ〉
 振り返ると、吉沢はひどく深刻な表情をして正座をし、天井を睨んでいた。指にはさんだ煙草の灰が長くなり、今にも蒲団の上に落ちそうだった。

 これは、2004年度「民主文学」支部誌・同人誌推薦作に入選した作品である。人間の根源的問題である「死」について考えさせる一編で、派手ではないが、深く「死と生」について迫っている優れた小説である。

秀作・実盛和子「英ちゃん」を読む  鬼藤千春

秀作・実盛和子「英ちゃん」を読む  鬼藤千春
1992年8月「まがね」第24号

 敏子の姉の夫、義兄の葬式のあとの打ち上げでのことである。喪の客も次第に立ち上がって、午後5時に始まった酒盛りも大分下火になってきた。もう9時になっていた。が、居残った人たちは足を投げ出したり、立てひざをしたりして行儀が悪いことおびただしい。喪の家の者が酒席をもてなし、燗の番から酒の酌までやらされるのである。
 敏子はそれがたまらない。独り台所にいると、「一寸きて酌でもせんかや。積もる話もあるでのう」と、幼な友達の英一(英ちゃん)が来て言った。敏子が燗をして座敷に入ってゆくと、英一は大胡座をかいている。「ま、ええから一杯飲めや。わしにも酌をさせてくれえや」敏子にコップを持たせ、ビールを注いだ。そして敏子の顔をしげしげと見た。
 「あんたも偉うなったのう。で、今は共産党の幹部か。子どものころ泣き虫じゃったあんたがのう」、「いや私は幹部でも何でもありゃしません。ただ『赤旗』を配ったり、ビラを撒いたりしとる位です」それから英一は、葬式の電報のことで、からんできた。共産党の参議院議員候補と町会議員候補の弔電は、お前が打たせたのかというのだった。
 「共産党も厚かましいのう。明日は町議選挙の告示ぞ。わしは同級の中山京一を応援しょうるんじゃ。この村で票がよそへ逃げるようなことはわしが許さん」英一はよほど腹に据えかねているようだった。「じゃからわしは共産党が大嫌いなんじゃ」と憤慨している。
 「共産党がむつかしゅういうから、まとまるもんもまとまらん。皆とおなじことをしょうりゃあええんじゃ。電報までよこしても此処の票は何ぼも出りゃあせん」敏子は呆気にとられてしまった。何時の間に英一はこんなにわからずやになったのか。こんな支離滅裂な論理が通るとでも思っているのだろうか。
 「あれ、もう10時じゃが、そろそろ迎えの電話を入れようか」と姪の益美が言って、英一の家に電話をした。ものの5分もすると英一の息子はやってきた。40歳くらいの背丈の高い息子に半ば担がれるようにして、英一は玄関を出て行った。
 それを見てから敏子はそっと裏口へ回った。「英ちゃん、そこまで送ろうか」、「あ、送ってくれるいうんか、嬉しいのう」と言って、英一は息子を先に帰らせた。夜風が肌をなぶるような4月の夜である。「ここで蛍とってよう遊んだなあ」、「よう遊んだのう。あの頃はよかったのう。敏ちゃん、あっという間の50年じゃ」
 「英ちゃん、今日座敷で共産党のことを大嫌いというたけど、あれは本気でいうたん」敏子は一寸きつい調子で言った。「英ちゃん、あんたずっと以前に共産党に入っとったことがあったなあ。どうしてやめたん?」英一は立ち止まったまま、煙草をふかく吸い、吐き出した。「ひと口にはいえんのう。戦後のどさくさ紛れにやったことじゃ」
 「原因は矢張りレッドパージかなあ。ある日、突然わしの目の前から党が無くなってしまったんじゃ。それで途方にくれてのう。寄ってゆくところもないし、やめたも同然よ」
 「では共産党を嫌いというわけではないんじゃね」敏子は、この点だけははっきりさせないと気が済まない。「英ちゃん、私は共産党に入って20年になるけど、いつも胸を張っとるよ。それはしんどいことは一杯あるわ。でも世の中を変えるんじゃから当然のことじゃ。だからこそしんどくてもやり甲斐があるんじゃない」英一は何もいわずに聞いていた。解った、解ったというように頷いていた。
 「敏ちゃん、一寸待っとれや。苺が熟れとるで」英一はハウスの中に入っていった。暫くごそごそ動いていたが、両手いっぱいの苺を摘んで出て来た。「食べえや。今年は出来が良うてのう」敏子はひとつ摘まんで口に含んだ。ツンと甘酸っぱい味と芳香が口の中に広がった。英一は敏子の白いエプロンを広げさせて、その中に苺を入れた。
 エプロンの中の苺はさわやかに匂った。

 これは、1992年度の「民主文学」支部誌・同人誌推薦作に入選した作品である。英ちゃんの人間像がくっきりと活写されている佳編である。「苺」という題名にしてもいいような、苺の甘酸っぱい味と香りが英ちゃんの「人となり」を象徴的に表している。

妹尾倫良「四十年目の夏」を読む  鬼藤千春

 秀作・妹尾倫良「四十年目の夏」を読む  鬼藤千春
    1986年3月「まがね」第15号

 被爆40周年を迎えたこの夏、広島で被爆した100人近いジャーナリストの「不戦」の碑が建立された。その機会に、被爆したジャーナリスト関係者と家族の消息を調査し、聞き書きなどして平和の尊さを世に伝える企画がなされた。
 「私」は津山に被爆者の家族がいるというのを聞いて、そこを訪ねた。そして、広島の原爆に遭った家族に会い、その様子を聞かせてもらったのである。その人は、主人を原爆で喪った未亡人で、気持ちよくその模様を話してくれた。
 主人は津山新聞(のち岡山新聞に吸収合併される)の記者をしていた。20年の5月に広島へ赴任することになった。8月になって広島が大変なことになったということが伝わってきた。主人から速達がきたのは終戦の翌日16日だった。その手紙は代筆でした。「広島の戦災にて重傷致し、国民学校講堂に伏床中なれど、板の上にそのままでフトンもなく困りはてておられる」というものだった。
 そして、姉の婿が広島へ行ってくれたんです。顔と腰以外は全身火傷で床に寝かされており、歩くこともできなかった。姉婿は担架を都合して、津山まで連れて帰ってくれた。主人はすぐに入院しました。「背中がむずむずする、見てくれ」と主人は言いました。見ると蛆がわいていました。生きとる人間に蛆ですよ。
 「手に針が立っとる。カミソリが立っとる、取ってくれ」と主人は言うんです。ひりひりして痛かったんでしょうな。そんなことがあって、やがて主人は亡くなってしまいました。8月24日、年齢は34歳でした。
 私は30歳で未亡人になったんです。考えてみれば、結婚生活は7年間でした。それからはとにかく働くばかりでした。5人も子がおれば、私が頑張る以外道がないでしょう。行商、失対事業、寮の管理人、とにかくよう働きました。生活保護も末っ子の奈津ちゃんが中学に入ってから、初めてもらえることになったんです。子どもが幼い時は、生活も苦しかったし、何度一緒に死のうと思ったか知れません。話が終わったのは2時近かった。朝の9時からの聞き書きだった。
 最後に奥さんは言った。
 「今はええです。戦争はもういやですな」

 これは、1986年度の「民主文学」支部誌・同人誌推薦作に入選した作品である。「まがね文学会」としては、三宅陽介の「山男と弥ァやん」の優秀作につぐ、2人目の受賞である。
 奥さんの話が被爆の情況、残された家族の生活の在りようをリアルに伝えている作品である。妹尾倫良の作家活動のひとつの一里塚であるとともに、それ以後の作家としての歩みの起点ともなったものである。

秀作・三宅陽介「山男と弥ァやん」を読む  鬼藤千春

秀作・三宅陽介「山男と弥ァやん」を読む  鬼藤千春
1978年9月「まがね」第3号

 この作品は、「民主文学」‘78年の支部誌・同人誌推薦作の優秀作に選ばれたものだ。また三宅陽介が、35年以上にわたる作家活動の出発点となった、記念すべき作品である。その後、彼は2つの長編とその他の単行本を上梓し、数多くの短編、そして随想を発表してきた。
 この作品の主要な登場人物は、「山男と弥ァやん」、そして視点をもった「ぼく」の3人である。この3人の人物形象が優れている。まさに、血と肉をもったリアリティのある人間として、作品の中で生きている。
 特に、弥ァやんが生き生きと描かれている。彼は終戦の日から50日ほど経った、秋の半ばに戦地から帰ってきた復員兵である。弥ァやんは25、6歳の青年で、ぼくとひと回りくらいの年の差があった。
 彼は戦地から村に帰った翌朝には田圃に出て、鍬を揮い村の衆を吃驚させた。また、彼は松茸引きの名人だった。ぼくは働き者で、松茸引きのうまい弥ァやんを敬服していた。ぼくは以前、彼に松茸引きに連れて行ってもらったことがある。
 その弥ァやんが、まだあたりが仄暗い朝、松茸引きに出かけていて、偶然、山男に出くわしたのである。山男は山兎のようにすばやく消えてしまった。その話が広まると、わしが山で逢ったのもその山男かも知れん、という目撃者が現れた。寺の住職だった。
 そして、3番目の目撃者になったのは、ぼくだった。見たのは鎮守の森から50米ほど登った天王さんだった。ひと坪ほどの祠の祭壇の前で兵隊服の男が、お供え物を食べているのだった。そして、男はぼくたちの方を見てにっと笑い、大股に歩いて山へ入って行った。
 それから、村ではさまざまなことが起こるようになった。お初っあんの台所に入り込んで、羽釜に半分以上あった麦飯が、ひと粒残さず平らげられていた。そして、留守の間に何者かに入られて飯を食われた、という家がだんだん現れるようになった。
 その頃から、山男の正体は脱走兵らしい、という噂が流れるようになった。台所の土間についてある足跡が、大きな兵隊靴だったのだ。そして、役場の人の話では、終戦のひと月ほど前、この村の駅に臨時停車した軍用列車から、ひとりの兵隊が逃げ出したことがあったという。その脱走兵が、龍王山にこもっている山男ではないかというのだった。
 ぼくのお祖母ァは、自分の息子を戦争でなくしていたが、墓参りだと言って、頻繁に墓地に行くようになった。饅頭や餅のお供え物は、お父うと山男のためのように思えた。
「ほんに死んでしもうてはつまらんのう。お国のためじゃいうて、死んでしもうたら何にもならんことよ」とお祖母ァは、お父うの墓の前で声を震わせて訴えるのだった。
 3月に入って、山男をつかまえるために、部落総出で龍王山の山狩りをすることが決まった。捜索隊は40数人集まり、弥ァやんは副隊長である。家には男手がいないので、隊員としてぼくも参加した。
 8人から10人くらいで5つの班をつくり、龍王山の5つの谷を捜索するのである。しかし、山男は見つからなかった。そして、弥ァやんが解散を宣言した。そして、みんな山を下りかけた時、忘れ物をした太一サが引返したら、石垣をよじのぼっている山男を見つけて大声を上げた。
 そして、山男は捕らえられたのである。あっけない幕切れだった。弥ァやんは役場の兵事係と駐在所の巡査に山男を突き出したのだった。お祖母ァは晩飯の時、誰にともなく言った。
「山男サは可哀そうなことをしたのう。せっかく命が助かって、ええ所に住んどったのに。ほんに弥ァやんはむごいことをしたのう」

 この作品は、詩人の土井大助や評論家の佐藤静夫などから高い評価を受け、三宅陽介が作家として歩み始めた処女作である。